第4話
翌日もまた、シェルドと通話することになった。
アミと話したときは、父のこと以外にも、アミの仕事や住んでいる環境について知ることができたが、シェルドに関しては父の話ばかりで、シェルド本人についてはほとんど分からないままだった。
「昨日はごめんね。急に通話を切ることになっちゃって」
「大丈夫です。用事があるなら仕方ないですから」
シェルドの用事について訊けば、シェルドについて知ることができるだろうか。でも、聞いてはいけない気もする。人と話すことは楽しいが、こういうところに難しさを感じる。
「用事っていうか、仕事があってね」
この流れなら訊けそうな気がする。
「仕事は何をなさっているのですか?」
「教師だよ。学校で子供たちに歴史や思想を教えている」
「教師……。ということは、シェルドの住む塔には人がいるんですね」
「ああ、ケイドの塔は人がいないのか。アルフと二人暮らしだったから、アルフが死んだら一人になるよな」
「そうですね……。シェルドの塔はどのくらい人がいるんですか?」
「うーん。二千人くらいかな」
二千人……自分にはあまり想像がつかない数だった。唖然としていると、シェルが困ったように笑った。
「そんなことで驚くなよ。ほかの所に比べたら、二千人でもそんなに多い方じゃないよ」
「そんなに人がいる環境なんて、自分には想像できません」
「俺からしたら、塔で一人ぼっちな方が想像つかない。塔にたくさんの人がいることは、普通のことなんだよ。アルフも、人がたくさん住んでいる塔の存在に驚いていたけど、これはお前らの環境が特殊なだけだ」
一瞬、シェルドは驚くほどさみしげな表情をした。
「塔っていうのは、一つの国なんだ。塔が仮国と呼ばれていることは知っているだろう?お前は、国民一人の国で生きているようなものなんだよ」
塔に一人ぼっちというのは、そんなにおかしいことなのだろうか。アミだって一人だったのに。しかし、国民一人の国と言われると、確かに普通ではない気がした。
「ケイド、お前この世界にどのくらいの仮国があるか知っているか?」
「え……知らないです。」
そんなことは、一度も気にしたことがなかった。私の回答に、シェルドは力なく笑った。
「約千棟ある。」
「千……?」
私の狼狽に対し、シェルドは冷静だった。
「塔のような高層のものが約四百棟、平屋建てのものが約六百棟あり、それぞれに二千人くらいの人間が住んでいると言われている」
「え……平屋建てのものもあるんですか……?」
「あるよ。むしろそっちの方が多数派だよ」
シェルドは無知な私をみて、嬉しそうに微笑んだ。
「千棟の建物それぞれに二千人の人間が住んでいたら、この世界の人間の数はどのくらいになる?」
頭の中で計算して出た答えは、私にとってあまりに多く、計算が間違っているのではないかと疑うほどだった。
「二百万……」
「そうだ。その中で、建物に一人ぼっちで生活している人間の数は五人だけだ」
「世界に人間が二百万人いて、人間がいない環境で生きているのは五人……。そんなに少ないものなのですか。正直、信じられません」
自分が生きている世界の話をしているはずだが、私にはあまりに壮大すぎて、物語を聞いているような気持ちになった。
「五人っていうのは俺が調べて確認した人数だから、実際はもっと多いかもしれない。まあ、きっちり調べても十人もいないだろう。それくらい君の環境は特殊なんだよ」
「そうだったんですか……」
説明されても、あまり実感がわかなかった。
「そして、その五人のうち一人がお前で、一人はリリカの娘だ」
「……アミのことですか」
シェルドはぽかんと口を開けて驚いていた。大きな蒼色の瞳が、宝石のようだった。
「アミと話をしたのか」
「はい」
私とアミが話していることが、そんなに不思議なことなのだろうか。シェルドは首をかしげて考え込んでいた。しばらくして、小さく「あ」と声を漏らして、不審そうにシェルドを見つめている私にひらひらと手を振った。
「どうしてケイドがアミと話したことがあるのか、ちょっと疑問に思ってね。考えてみれば、アミはリリカのチャットアカウントを継いでいたな。」
「チャットアカウント?」
「遠くにいる人ともリアルタイムで会話ができるチャット機能、それを使うためのもう一人の自分……って感じかな」
「はぁ……」
説明されてもよく分からず、曖昧な返事をすると、シェルドは「お前、何もわかっていないだろ。」と笑って、この端末の機能を一から説明してくれた。どうやら私は、アカウントの名前を父の名前にしたまま、シェルドやアミと話していたらしく、シェルドに自分の名前に変えろと言われた。私としては父の名前でも困らなかったが、シェルド曰く、会話の相手が混乱するから変えた方がいいらしい。
「こんなもんかな、また分からないことがあれば聞いてくれ」
一通り説明が終わって、私もこの端末のことをかなり理解できた。
「ところで……アミと仲良くなれたか?」
「?……はい」
どうしてそんなことを聞くのだろうか。不審そうに答えると、シェルドが笑いながら顔の前で手を振った。
「いや、そんな怪しまないでくれ。お前たちがどんな話をするのか気になったんだ。アミのことは、俺もよく知っているから」
「ああ……そうでしたか。アミとは親同士の話とか、脳の管理という共通の仕事があったので、それについての話をしました」
シェルドが目を見開いて驚いた。
「あ!お前も脳の管理をやっているのか」
「はい」
シェルドは一瞬暗い顔をしたが、すぐに私の顔を見て微笑んだ。
「人間がいない環境で生きている者同士が、出会うこと自体ものすごく珍しいのに、その二人が共通の仕事をしているなんて、奇跡みたいなもんだよ。本来あり得ないことだからな」
言われてみれば、確かに奇跡なのかもしれない。アミと出会ったことが奇跡のようだと思うと、気恥ずかしくなってシェルドから顔をそらした。シェルドは私の様子に目もくれず、話をつづけた。
「しかもな、人間が一人しかいない仮国なんて、自然にできるものでもないんだ。お前ら以外の、人間がいない仮国に住む三人は、自ら一人になった人たちだ」
「一人に自らなる?どういうことですか」
私の問いにシェルドは顔を曇らせた。言葉を選ぶように、シェルドはしばらく考え、やがて口を開いた。
「同じ仮国に住むすべての人間を、皆殺しにしたんだよ。毒殺とかあらゆる手段で。」
よくわからないことだらけだ。この世界に人間が二百万もいるというだけでも実感がなく、想像できないことなのに、人間を殺す人間なんて本でしか見たことない。実在するなんて考えられない。
「どうしてそんなことを……」
「周りの人間が鬱陶しいと感じたり、復讐だったり、理由はさまざまだろうよ。本人に殺人の動機を聞いたことはないから分からないけどな」
人間が鬱陶しいと感じることがあるのだろうか。こればかりは人がいる環境で生まれ育った者にしか分からない感情なのだろう。
では、なぜ私の塔は自然に人間がいない環境ができたのだろうか。
「一人で生きていて、アミやケイドのように純粋ないい子は本当に珍しい。自ら望んで一人になったわけじゃなくても、ずっと一人で生活していれば、どこかおかしくなってしまうものだよ」
純粋な子、それは自分には似合わない言葉だと思った。きっとシェルドは私を誤解している。一人で生きていて、どこかおかしくなってしまった部分、自分には心当たりがある。それをシェルドに話すつもりはなく、私はただほほ笑み、シェルドにもう一つ疑問をぶつけた。
「どうして……私の塔は自然に人間が一人しかいない環境になったのでしょうか。」
シェルドは黙って何か考え込んでいる。思えば、私の塔についての情報を、私以上にシェルドが知っているはずがないのだ。私は急いで発言を取り下げた。
「すいません。自分の塔のことは、自分で調べるべきですよね。忘れてください」
「いや、大丈夫だ。むしろ……その問題は俺にも考えさせてほしいものなんだ」
「……どうして?」
恐る恐るきいてみると、シェルドは黙り込んでしまった。眉をひそめて、腕を組んで何か考え込んでいる様子だった。答えが気になってシェルドを見つめていると、私の視線に気づいたのか、ふっと笑って顔の前で手を振った。さっきまで険しい顔をしていたとは思えないほど、気の抜けた笑顔だった。
「いや、単純に興味があってね」
考え込んでいた割には短い返事だった。シェルドはため息をついて、もう一度私を見た。
「そういえば、他の仮国の話とか、世界の話とか、そういう話はアルフから何も聞いていなかったのか?」
「……そんな話をしてくれた記憶はないですね。外の世界の話はたくさんしてくれましたけど……」
「そうだろうな。あいつは外の世界が大好きだったから」
シェルドは何かを思い出しているかのように、遠くを見つめている。その表情は柔らかく、どこか儚げであった。
「シェルドにも外の世界の話をしていたのですか?」
「ああ、俺も外の世界には興味があったから、よく外の世界について書かれている本を見つけてきては、アルフと内容を共有していたよ。」
シェルドと知り合ってまだ日が浅いのに、シェルドと父が話している様子は、容易に想像できた。
「アルフも世界について何も知らなかった。だから、あいつはまだ教師になっていなかった頃の俺に、仮国のことやこれまでの歴史を教えてほしいと言ってきたんだ。そこまではよかったんだが、アルフは自分が興味のある、人間が外の世界で生きていた時代の話以外はほとんど聞いてくれなくて、俺は苦労した覚えがあるよ」
私は思わず笑ってしまった。いかにも父らしい話だった。笑う私を見て、シェルドも笑っていた。
その話を聞いて、私もシェルドから色んな話を聞きたいと思った。
「シェルドさん、私にも仮国のことや歴史を教えてください。自分には関係ないからと言って、このまま知らないで生き続けるのは嫌です」
父も世界について知らなかったとシェルドは言っていた。きっとたくさん人間がいる塔で生きていれば、私にも父にもそういうことを知る、教育の機会は十分に与えられていたのかもしれない。でも、私の生きる塔は人間がいない。そして、ここで教師であるシェルドと出会ったのも、偶然ではない気がした。私はこの好機を逃したくなかった。
「やっぱりあいつの息子だな。アルフと同じことを言っていて驚いたよ」
シェルドは優しく微笑んでいたが、その笑顔の中には悲しさもあった。
「いいよ、俺も教育者の端くれだ。学びたい意欲がある子を放っておけない」
「ありがとうございます」
その後、お互いの都合がいい時間帯に「授業」の時間をとれるように、シェルドと話し合った。シェルドの予定を聞いていると、人間がいる塔で生活していて、なおかつ仕事をしている人というのは、こんなにも忙しいものなのかと驚かされた。シェルドが私にかまっていられる時間は、一日のほんの少しだった。
「短い時間だが、質のいい授業ができるようにするからな」
「はい、よろしくお願いします」
明日から、シェルドにこの世界について色々教えてもらうことになった。準備があるため、今日は予定を合わせたところでお開きとなった。
新しいことを始めるときの胸の高鳴りが久しくて、部屋で一人微笑んだ。
「それ、シェルドのことでしょ」
メッセージでアミに、この世界のことについてある人から色々教えてもらうことになったと話したら、すぐにその「ある人」を当てられてしまった。シェルドとアミはお互いをよく知っているらしい。
「じゃあ、アミもシェルドの「授業」を受けたんだね」
「ううん、私は受けていないの。まず、シェルドとそんなまじめな話をしたこともないわ」
アミと一緒にシェルドの授業を受けてみたいと思った。本でよく見る「学校」というものは、同世代の子供たちが集まって、大勢で授業を受けるらしい。私はそれに少し憧れていた。アミがいれば、学校にいるような気持ちになれそうだった。
「アミも一緒に受けようよ」
人を誘うなんて初めてで、こんな言い方であっているのかもわからなかったが、この機会を逃してはいけない気がして、とにかくメッセージを送ってみた。送った後に、恥ずかしさが胸から湧いてきて、顔を真っ赤にして画面から目をそらした。
「うーん……」
アミは悩んでいるのか、返信が少し遅かった。
「お母さんにね、他の仮国の話とか、外の世界の話とか、色々教えてもらったこともあったの」
「じゃあ、シェルドに教えてもらう必要もないくらい知識はあるんだ」
「ううん、その時の私はそういう話に興味がなかったから、ちっとも話を聞かなかったのよ」
「お母さんがいなくなってから、もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと思うことも多いよ」
そう思うことは、私にもよくあった。後悔してもどうしようもないのに、何度も思ってしまう。人生をやり直せるなら、幼い頃に戻って親ともっとふれあいたい。私もアミも、はやくに親を亡くしている。そんな二人でしか共有できない想いが他にもあるかもしれない。
「今でも集中して話を聞くことは苦手だけど、ケイドが一緒なら楽しいかもね」
アミに一緒にいて楽しい人と思われていることが嬉しかった。
「私も一緒に受けてみようかな」
アミの言葉を聞いて、仲間ができた安堵と高揚感が胸に広がった。どちらも体験したことがなく、本の中でしか見たことがないものだ。この感情が自分の心の中にあることに驚いた。
「ありがとう。シェルドには僕から話しておくよ」
急いで、シェルドにメッセージを送った。仕事の合間だったのか、すぐに返信がきた。
「そうか、アミにも話を持ち掛けようと思っていたから、ちょうどよかった」
どうやら私が誘わずとも、アミはシェルドの授業を受けることになっていたようだ。
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