第3話

私は水槽に入った脳を管理し、それぞれの脳に刺激を与え、人の一生の夢を見せる仕事をしている。そのため一日に一回、脳の部屋を見回り、異常がないか確認し、なにか脳から見せてほしい夢のリクエストがあれば確認しなければならない。警備ロボットがいるが、そこは人間がやらなければならないことらしい。

見回りは、正直やりたいものではなかった。脳も臓器なので、見ていて気分がいいものではなかった。でも、母と父が死に、生きる意味を失い、もう死んでしまおうかと思っていた私に、生きる意味を与えてくれたのはこれらの水槽の脳だ。水槽の脳たちは、私が与えた脳波によって人生の幻覚の中を生きている。もし、脳たちが元の人格を忘れて、管理人が見せている人生の幻覚を自分の人生と思いこんでいるのならば、管理人の私がいなくなったとき、彼らの人生はそこで終わってしまう。

水槽の脳には、管理人である私が必要なのだ。見回りも、必要なのだ。生きるしかない。やるしかなかった。


脳の部屋に入り、様子を見て回る。母はこの見回りの時に、脳に話しかけて回っていた。そんなことを繰り返していたせいか、母は精神的におかしくなってしまい、体も心も弱くなっている時に病気にかかって死んでしまった。私も昨日、母をまねて脳に話しかけてみたが、自分が何をしているのか分からなくなる奇妙さに耐えきれなかった。

今日も相変わらず異常はなく、リクエストもなく、寄り道せずに自室に戻った。

端末を起動させてみると、リリカの娘のアミからメッセージが届いていた。

「お返事ありがとうございます。あなたはアルフさんの関係者ですか?アルフさんには母がお世話になったので、少し話をしたいです。」

アミにも自分がアルフの息子であることを告げてなかった。人と話をすることに慣れていないのが、こういうところに表れてしまうのだろう。

「申し遅れました。私はアルフの息子、ケイドです。私もお話ししたいです。」

と返信したが、父の愛人の娘と話をするのは少し複雑な気持ちであった。

すぐに返事が返ってこなかったので、飯を食って風呂に入った。

風呂から出ると、メッセージが届いていた。

「息子さんだったのですね。初めまして、私はアミです。よろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いします。」

秘書や母以外の女性と話すのは初めてだったので、ひどく緊張した。返事を考える時も、これでいいのかと文章をつくっては消すを繰り返した。

「私の母と貴方のお父さんは恋仲だったそうですが、貴方のお父さんは私の母について何か言っていましたか?」

いきなり気まずいところにふれられた気がした。父は私に愛人のことなど一切言っていなかったので、何も話すことがなかった。

「父は私に一切そういう話をしてこなかったので、リリカさんのことは今日初めて知りました。」

そもそも父は私に恋愛の話を全くしなかった。父と母がどのように出会い、結婚するような仲になったのか、それすらも私は知らない。

「私は母からアルフさんの話をよく聞いていたので、貴方もそうなのかなと思ったんですが……アルフさんは恋愛の話をあまりしたがらない人だったんですね。」

「そうですね。だからリリカさんについても、二人がどんなやりとりをしていたのかも、何も知らないんです。アミさんが知っていることがあれば教えてほしいです。」

父親と愛人についての話は、知らない方がいいのかもしれないが、やはりどうしても気になった。十四年を父と共に過ごしても、私は父のことをほとんど知ることができなかった。父が死んでしまった今、父を知る手掛かりはアミやシェルドしかないのだ。

「私がわかることなら何でも教えますよ。あと、アミでいいですよ。さんは付けなくていいですよ。堅苦しいですから。」

「わかりました。私のこともケイドと呼んでください。」

文章であっても、女の子の名前を呼ぶのは緊張する。名前が間違っていないか、何度も確認しながら文章を作った。

「アミは私の父とリリカさんがいつからやりとりし始めたのか知っていますか?」

リリカと父が、やりとりし始めたのが十年より前なら、父は不倫していたことになる。不倫していたことが明らかになれば、さすがに私も父に失望してしまう。しかし、そうなる可能性があっても、聞かずにはいられなかった。

今までよりも緊張しながら返事を待つ。胸を打つ心臓の音が全身に響いている。

「二人がやりとりし始めたのは七年前からだったと思います。」

ほっと息をついて全身の力が抜けた。とりあえず、父は不倫をしていたわけではなかったのだ。

「そうですか。ならよかったです。母が十年前に亡くなっているので、父が母の生前からリリカさんとやりとりしていたのなら、それは色々問題のあることですから、はっきりさせておかねばならないと思って聞きました。」

返事を送った後に、最後の文は蛇足かもしれないと思った。聞かれていないことまで答えてしまった気がして、取り消したい気持ちでいっぱいになった。

「あ、お母さんがいたんですね。アルフさんが妻帯者という話は、母から聞いたことなかったので驚きました。」

私の心配は杞憂だったらしい。それよりも、気になる返事が返ってきた。父は自分が既婚者であることを、リリカに言っていなかったのだろうか。それとも、リリカがアミに言っていなかっただけなのか。気になったが、それは本人たちにしか分からないことだ。アミに聞いてもしょうがない。

「アミのお父さんは、リリカさんと父のやりとりを知っていたのですか?」

なんとなく聞いてみたが、これで「知っていた」と答えられても「知らない」と答えられても気まずい質問をしてしまった。やはり、私は人と話すことに慣れていない。

「私にはお父さんがいませんでした。」

娘がいるからといって、必ずしも父親がいるとは限らない。アミの父親はアミが生まれる前に亡くなったか、離婚したか、そもそも誰が父親なのか分からないか……。どちらにしても深く詮索するような話ではない。

「だから、お母さんとアルフさんが好き同士で、アルフさんが家族を連れて私の塔に来るかもしれないって聞いたとき、私にお父さんができるかもしれないって思って、すごく嬉しかった。」

リリカは自身のことを、かなり娘に話していたようだ。何も両親のことを知らないままいなくなってしまった私からすると、羨ましいことだった。

「そうだったんですね。私は父から何も聞いていなかったので、父がリリカさんと恋仲で、私を連れてそちらの塔に行こうとしていたことを、父が死んでから知りました。少しくらい私にも話してほしかったくらいです。」

「私の塔に住むことも知らされてなかったのですか。アルフさんも息子にそんな話をするのは恥ずかしかったのかもしれませんが、別の塔に移住する話くらいは、してほしいですよね。」

「本当にそう思います。アミは父に関する話をリリカさんから聞いていたようですが、私の話は聞いていたのですか。」

私の知らないところで私の話がされているのは、それがいい話であっても、あまり気分がいいものではない。

「いいえ。アルフさんに家族がいるという話は聞いていましたが、詳細は何も知りません。今日、ケイドから連絡がきて、初めてアルフさんに息子がいることを知ったくらいです。」

少し安心した。

「ケイドのほかにも、アルフさんに子供はいるのですか?」

「いいえ。子供は私しかいません。」

「そうですか。私も一人娘なので、もしケイドとアルフさんがこっちの塔に来ていたら、四人家族になっていたのかもしれませんね。」

そうか、文章でやりとりしているこの女性と、自分は家族になっていたのかもしれなかったのか。顔も年も知らない人と、いきなり家族になる可能性があったのかと思うと、少し怖かった。

「歳はいくつですか?もし私たちがきょうだいになっていたら、どちらが姉や兄になるのか気になるの。」

「私は十七歳です。」

「私は十六歳だから、ケイドがお兄ちゃんだね。ケイドのことをお兄ちゃんと呼ぶ未来もあったかもしれないと思うと、少し不思議な気持ちになるね。」

 「お兄ちゃん」と呼ばれることに、憧れていた時期もあったので、アミにそう呼ばれて、気恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちが胸に広がった。そういえば、幼い頃に妹か弟が欲しいと母にねだって、母を困らせたことがあった。もし私に兄弟がいたら、さみしい思いをすることもなかったのだろうか。

「私の住んでいる塔、私と母以外に人がいなくて、広い塔に二人で暮らしていることが少し寂しかった。二人に会って、家族になりたかったな。」

しれっと気になることが書かれていた。塔の中で、母親と二人暮らしだったということは、今のアミは塔の中で一人、自分と同じ環境で生きている。

「私も塔に父しか人間がいませんでした。今は人が一人もいない塔で暮らしています。アミもそうなのですか?」

「え?ケイドも一人なのですか?私も今は一人ぼっちです。」

驚いた。人間がいない塔で暮らしている人は、私以外にも世界のどこかにいるだろうとなんとなく思っていたが、まさかこんな簡単に出会えるとは思っていなかった。アミに親近感がわいてきた。

「アミの塔に水槽の脳や機械はありますか?私の塔には五体の水槽の脳、二十体の監視ロボットと、一体の秘書ロボットがいて、私は彼らと一緒に暮らしています。」

「私の塔にも水槽の脳と機械はいますよ。ケイドの塔ほど多くはないけど、水槽の脳は三人、監視ロボットは十五体います。秘書ロボットはいません。」

「水槽の脳がいるってことは、アミも脳の管理の仕事をしているのですか?」

「しています。同じ仕事をしている人と出会ったことがなかったから、とても嬉しい。ケイドはどんな風に仕事をしていますか?」

その後、アミと仕事の話で盛り上がった。アミが管理する脳は、私の管理する脳とは違い、管理人に意思を伝えてくるそうだ。アミと脳は、機械を通じて会話をすることもあるらしい。同じ仕事でも、脳が意思を伝えてくるか否かで、随分と内容が変わってくる。

「私の管理している脳はね、みんな自分の名前を憶えているの。だから私も彼らをその名前で呼んでいるの。」

「そうなんだ。こっちは脳の名前なんて全く知らないな。呼ぶこともめったにないけど、どうしても必要な時は番号で脳を呼んでいるよ。」

同じ仕事でも、これほど内容が異なると、別の仕事のようにも感じられる。しかし、仕事に使う機械の話になると共通点が多く、やはり同じ仕事なのだと思わされた。

「私、機械音痴だから、あんまり仕事で使う機械の操作方法も基本的なことしかわかってないの。ケイドがよかったら、私に機械の操作方法を教えてほしい。」

誰かに教えを乞うことはあっても、教えてほしいと言われることはなかった。自分には荷が重いと感じたが、アミにとって相談できる人は自分しかいない。

「いいよ。僕にわかることがあれば何でも教えるよ。」

仕事の話を進めるうちに、私たちの会話から敬語が消え、同世代の友人のように会話をしていた。この時はまだ、お互いの年齢も知らなかったのに。

端末が熱くなってきた。なんとなく気になって、画面の右上に表示されている今の時間を見てみると、自分が思っていたより時間がたっていた。

「もう時間遅いから、そろそろ寝るね。」

時間を確認したと同時にアミからメッセージがきた。私もそろそろ寝よう。

「そうだね、僕も寝るよ。色々話ができて楽しかった。」

「相談のってくれてありがとう。私も楽しかった。またお話ししようね。」

「うん、また話そう。」

「おやすみなさい。」

誰かから「おやすみ」なんて言われるのは何年ぶりだろうか。すごく懐かしくてうれしくて、涙が出そうになった。

「おやすみなさい。」

そう返信して、端末を充電して、私もベッドに飛び込んだ。

今日は色んなことがあった。父の端末を見つけて、シェルドと会話して、アミと会話して……。最初は、父のことを知るために二人と会話していたが、いつしか会話を楽しんでいた。今日は父について知れたことも多かったし、初めて見知らぬ人と会話した、忘れたくないことばかりだった。私はベッドから飛び起きて、今日あったことを紙に書いて残すことにした。紙は貴重品なので、何かを記録するときは、主に機械に入力して機械の中に保存していた。しかし、ここにある機械は全て仕事で使用するもので、プライベートなことをこの中に残したくなかった。それに、この機械は秘書も操作することができるので、彼女に見られる恐れがある。なんとなく、今日のことは秘書にも知られたくなかった。

私はベッドから起き上がって、もう一度端末を手に取った。この中に記録すれば、誰にも見られまい。

この日から私は、一日の終わりに今日あったことを端末のメモ機能の中に記録することが日課となった。

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