対ゾンビ
ヤバい。明らかにヤバい。危機だ。命の危機だ。俺は全力で走っていた。後ろから唸り声が聞こえてくる。
「ぐるぁ」
ちょっと振り返ると、ドロドロに溶けた顔のゾンビらしきものが追いかけてきている。意外と早いので困っている。
「ひぃぃ!」
雑居ビルの横の螺旋階段を上がる。ゾンビは階段を昇ることはできないらしい。階段前で折り重なって倒れると、またふらふらどこかに行った。
「はぁ……危なかった……」
俺は屋上で大の字になった。こんなことになったのは、今から1時間前。いつものように出勤したら、周りの様子がおかしくなっていた。道を歩く人の顔が軒並み黒く、俺を一目見るなり襲ってきた。それからずっと逃げている。
「出勤できないのか……」
いや、それは嬉しいのだ。正直、最近の業務量は尋常じゃなく、だから行かなくて済むなら万々歳だった。でもこんなの望んでない。ゾンビじゃん、あれ。何なの? フィクションにだけいるもんじゃないの? どうなってんの??
ズボンのポケットに入れた携帯が鳴る。表示を見ると、高槻美織と出ている。
「もしもし?」
「もしもし、たっくん?」
正しく高槻美織だ。俺は携帯を握る手に力を込めた。
「みーちゃん! 大丈夫なの!?」
「こっちは大丈夫。ずっとマンションにいる。ここまでは来れないみたい」
高槻美織は、俺の女友達だ。実を言うと恋愛的に好きなんだけど、勇気がなくてずっと告白できないでいる。そう友達に言うと、「中学生かよ」と笑われた。友達の期間が長すぎたし、なんとなく無理なもんは無理。それにしても、なんで電話してきてくれたんだろう……? って、それどころじゃないか。
「みーちゃん、そこから動かないでね。今からそっち行くから」
「え、来てくれるの? 危ないよ」
「大丈夫。偶然近いところにいるから」
元々美織とは家が近い。さすがにここから一旦降りないといけないけど、走ったら行ける。きっと大丈夫。一旦隣のビルの屋上に飛び移り、恐る恐る下を見る。人影はない。いける。俺は螺旋階段を降りて地上に降り立った。そして全力ダッシュ! 途端にこちらにぎょろりと顔を向けて追いかけてくるゾンビたち。間一髪でみーちゃんのマンションの入口まで行くと、みーちゃんに電話をする。
「着いた! 開けられる!?」
奥の硝子扉が開く。転がり込むと、後ろで扉が閉まった。
「ひいぃ、怖かった……」
「たっくん!」
美織が階段を降りてきた。
「大丈夫だった!?」
「うん、大丈夫! 美織こそ大丈夫?」
「たっくん……」
美織が俺の肩を指差す。
「ん?」
手をやると、血糊がべったりとついた。
「……嘘だろ……」
美織が泣きそうな顔をした。
「たっくん」
俺は息を吸い込んだ。
「俺、美織のことが好きだったんだ」
「……うん」
「そのことは覚えておいてほしい」
「……私も、たっくんのこと好きだよ」
「なんだ、両想いだったの? もっと早くに告白しておけばよかった」
俺は笑った。美織は号泣していた。
「じゃあね、美織。またどこかで会おう」
俺は入口に歩いていき、白光りする街に出ていった。
さようなら、美織。好きだったよ。
「大宮たつきさん? 聴こえますか?」
気がつくと、知らない白い部屋にいた。
「ここ……病院?」
「そうです。対ゾンビ用の血清が開発されて、あなたは助かったんですよ」
横を見ると、美織が泣きはらした目で座っていた。
「みーちゃん……」
「たっくん!」
助かった。生きている、という実感がじわじわと湧いてくる。
「よかったぁ……」
美織は俺の手を握りしめて俺の胸に突っ伏した。もう側を離れないでおこうと思った。
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