第2話 

「変な感じって具体的にはどんな感じ。ほら、ペダルの音とか。爪が長いと鍵盤と爪が当てる音が気になることがある」

 しかし、理音はそれにかぶりをふって、

「違うよ、そういう硬い音じゃなくてもっと、なんというか水につかっているような、寝ぼけた音」

 多分、コンチェルトのときから感じていたんだろう、割とすらすら感じたことを口にしたようだった。

 寝ぼけた音と聞いてCDのジャケットをひっくり返して見る。録音日は二十年前くらいと少し新しいけど、

「これ見てよ。演奏会の様子をそのまま録音って書いてある」

「えっ?ああ、たまにあるよね。そういうやつ」

怪訝そうな目をして

「つまり?」

 私は胸を張って、

「つまりこの演奏者はまだ寝ぼけてまま舞台に立ってしまったの。音に覇気が無いのは多分そのせい」

 わたしの仮説に理音は、んー、と考えていたがやがて「お母さんてたまに面白くない冗談を言うよね」と吐き捨ててしまった。

 そんな、ひどい子に育てた覚えはないのに。私だって今の冗談が真実に近づいているとは毛の先も思っていない。まぁ今の一見何の生産性のないような会話から分かる考察と言えば、CDが持つ本来のものを正しく再生できていれば、音はいつも通りだった。ということを再確認したに過ぎないが。

「それでいつ頃からそんな風に聞こえるの?」

私はいまだにぶつぶつ呟いている、理音のほうへと顔をむけた。うちの一人娘は器量も気立ても良い、自慢の娘だがどうにも粘着質なきらいがある。まぁそれはともかく。

「いつ頃ってわけじゃないよ。今日だけ。昨日ラフマニノフを聞いていたときは、全然感じなかったもん」

 昨日は旦那が珍しくたまの休みで、家族水入らずで旅行に行ったっけ。夜はみんな疲れて早く眠ってしまったので、ゆっくり音楽を聴いている時間は無いように思うけど。それを理音に言うと、また怪訝そうな目をして

「何を言ってるの?昨日朝ごはんの時に私が買ってきたCD聞いたじゃん。もう忘れちゃったの」

 そうだっけか。まぁここで何か言うと更年期障害とか、オバタリアンとか言われそうなので黙っておこう。確かに聴いた覚えも無いことはないし。私が単に忘れていただけだろう。

 あっと、昨日と言えばもうひとつ。そういえばそこそこの地震があった。寝ていた私と理音は起きてしまって、理音は今の態度と打って変わって私に甘えてきた。暗い中、お母さん怖いよ、と泣きそうになりながらこちらの布団に来る様子はあまりの可愛さにおもわず強く抱きしめてしまったほどだ。

「昨日の地震で壊れちゃったのかな」

「そうかもしれないね。CDプレイヤー落ちたのでしょ」

 私はそう答えたものの、でもプレイヤーには滑り止めがついているし、それを思ってピアノの上という高台に乗せたのだ。釈然としない思いはする。

昨日は土曜日で今日は日曜日だ。昨日このプレイヤーを使ったのは朝だろうが、土曜の朝と日曜の昼で音響にそこまで差が出るとは考えにくい。とすれば、

 しかし最後の確認は怠ってはならない。私は冷め切ったコーヒーに手を付けると理音に聞いた。

「私はそんな風に聞こえないのだけれども、里音は違和感を感じるんだね」

 里音は大きく頷いた。

 それなら多分そうだろう。私はプレイヤー持ち上げると、底面の端を爪で引っかいた。すると目論見どおりの手ごたえ。私は一気に底面のガムテープを剥がした。

こつりと落ちてきた封筒からは諭吉が三人顔を覗かせていた。

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