紀行文『手前の大路』

 松尾芭蕉を巡る旅に出た。京都を出て、東京に着いてからを書く。

 九月十七日。まず着いたのは千住。奥の細道の矢立初めの地。魚市場の側に芭蕉像がある。少し歩き、千住大橋まで行くと矢立初めの石碑も見える。側には殆ど散った百日紅の花。因みに橋の下に周ると芭蕉と随行者曾良の画もある。千住大橋を渡り更に進むと、素盞雄神社に着く。芭蕉ゆかりの神社らしく、境内には句碑などがある。十円で詣でて帰る。

 次いで深川。芭蕉が庵を結んだ地で、芭蕉記念館もここにある。入り口には芭蕉の木。芭蕉とはつまりバナナであり、芭蕉というペンネームも庵の前に生えていたそれから来ているため、現代風に言えば松尾芭蕉改め松尾ばななとなる。記念館の中には可愛らしい石の蛙があった。隅田川を眺める別館のテラスには芭蕉像がある。因みに、芭蕉が隅田川のどちらの岸から出発したのかで荒川区と足立区が争っているらしい。

 新宿からバスに乗り、福島まで向かう。いつの間にか白河の関を越えていて、能因法師に少し申し訳なく思った。車窓に彼岸花の並ぶのが所々見える。ならばバス車内はどこまでも此岸であった。流れる田舎の風景を暫く眺めていたが、ふと太陽光パネルが見えたので興醒めして空を仰ぎ見た。その青さに、三日後に台風が来ることを思い出した。

 その日は福島に着くままにホテルに向かい、一泊した。そのホテルは明らかに前世がラブホといった感じで、やけに大きいベッドでひとり眠った。奇妙な夢を見たことだけ憶えている。

 翌朝、バスで阿武隈川を渡り文知摺観音を詣でる。境内には虎女と源融の伝説で有名な文知摺石があり、その周りには芭蕉像と子規の句碑。また、親切にも社務所の方が青紅葉の綺麗に見える御堂に案内して下さった。その日も充分綺麗だったけど、葉が紅く染まった二ヶ月後くらいにはまた違った美しさがあるんだろうな。

 福島駅から仙台駅まで北上し、そのまま西に折れて山形の立石寺を詣でる。千段程の階段がありなかなかにきつかったが、頂上からの眺めは素晴らしい。一歩登るごとに煩悩が消えていくという階段を、それよりも早く煩悩を生み出し続けてながら登る。芭蕉が訪れた頃は閑けさの中に蝉が鳴いていたらしいが、その日に聞こえたのは松虫の声。群れゆく蜻蛉を目で追いながら近くの芭蕉博物館を訪れ、門前町で玉蒟蒻を食べた。

 翌日。松島に行く。台風の所為か見晴らしは悪かったが、千々に砕けた嶋々の輪郭はぼやけて見えた。福浦島を周っている途中、あるカップルがひとりで居る俺を笑ったような気がした。その後は、おくのほそ道にも記述がある瑞巌寺を詣でた。

 その日の午後、平泉に着きそのまま中尊寺に向かう。兵共の夢の跡地。金色堂の覆堂を目にした時、そこに感じたのは憂鬱であった。林の中、あの黄金の金色堂を内に抱えるその憂鬱は、宛ら朔太郎や放哉のような、誰にも理解されないエリートの持つ憂鬱のようだった。

 ホテルへの帰り道、遂に雨が降り始めた。冷えた身体をホテル近くにある銭湯のサウナで温めようと思ったが、地元のおじいちゃん達でコミュニティができあがっていたのですぐ退散した。全然整えていない。

 幸運にも、翌朝には台風は過ぎていた。平泉駅へと向かう途中に感じた冷たい空気で、夏が終わったことにようやく気がついた。

 平泉で一応芭蕉の旅は終わりにして、ついでということで花巻の宮沢賢治ゆかりの地にも向かった。賢治村、賢治記念館、イーハトーブ館を巡る。そして賢治が命名したイギリス海岸にも訪れた。北上川の川底の様子がイギリスの海岸に似ているとのことらしいが、昨日の台風の影響で濁流が流れていた。一瞬、そこに飛び込んでみたいと思ったけれど、すぐに馬鹿らしいと気づいてやめた。

 北上駅の待合室、東京へ戻るバスを待つ間に、適当な本を眺めながらこの旅の意義を考える。きっと俺は、この旅の中で俺以外の何かになりたかった。ならば俺はそれになれたのだろうか。なれなかったんだろうな。俺は手許の本に目を向ける。レヴィナスが何か言っている。

「じぶん自身を振りほどくことはできない」。

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