第四話 世界の在り方は変わってしまった
パンデミックにより、世界人口の三十パーセントが失われた。病によって、それだけの数字が積み上げられていったのではない。蘇った死者が生者を襲い出したのだ。
それは、かつての隣人であっただろう。もしかすると、友人や恋人であったかもしれない。そして、家族――父や母、兄や妹……。その彼らが牙をむいて襲いかかってきたのだ。
混乱と混沌が無秩序を伴い、世界をかき乱した。町は火に焼かれ、阿鼻叫喚の地獄絵図がそこかしこで繰り広げられた。
青年もまた例外ではなかった。当事者として、その悲劇に向き合わされることになる。
父と母が襲ってきたのだ。
青年は逃げた。
だが、悲劇は容赦なく青年を追随する。倒れた青年の上に馬乗りになり、よだれを垂らしながら牙をむく死者――妹であった……。
妹は学校の制服を着ていた。腕に噛まれた痕があった。肉が食いちぎられ、動くたび、そこからまだ赤い鮮血が噴き出していた。
痛々しかった――。
気づけば、妹は動かなくなっていた。指に当たった陶製の花瓶を、青年は妹の側頭部に叩きつけていた……。
ゾンビの体液が――唾液や血液が生者の体内に侵入すると、直ちにウイルスは爆発的に増殖し、感染者を死に至らしめる。当然、そこで終わりではない。いや、終われないのだ。
脳の活動は停止し、心臓も止まってしまう。だが、入り込んだウイルスは細胞をガン細胞のように作り変えていく。不死の細胞の誕生だ。それらは決して活動的ではないが、乏しいエネルギーで、しつこいほどの生命力を――あまりにも皮肉な話だ――発揮する。そうやって、辛うじて機能する脳幹の命令を受け、ゆっくりとではあるが筋肉を収縮させていく。筋肉の収縮は、気が遠くなるほどの時間をかけ血液を体内に巡らせ、本能のままに身体を動かしていく。獣の脳――脳幹の命令に従い、獲物を求めて……。
その成り立ちから、彼らの力は脅威とはなりえない。子どものように弱い筋力しか持ち合わせてはおらず、つかまれたとしても簡単に振りほどくことができるからだ。ただし、顎の力だけには気をつけなければならない。弱まったとはいえ、肉を噛み切れるだけの力が依然としてそこには残っている。
真に脅威となるのは、やはり体液に含まれるウイルスだろう。噛まれたり、引っかかれたりすることで、その傷口から瞬時に体内へと侵入してくる。あるいは、不運にも血液や涎が目や口といった開口部にかかってしまう。そのような不幸が幾重にも重なり、指数関数的に感染者の数は上乗せされていった。
ワクチンが開発されるまで、その脅威は続いた。だが一方で、段階的に状況は緩和されてもいったのだ。まず、人々が正確にウイルスのこと、感染者のことを理解できたのは僥倖であった。力の弱い感染者は、その見た目とは裏腹に、集団でなければそれほど恐れる必要がない。よほど小さな子どもや足腰の弱った年配者でない限り、容易く逃れることができた。そして、感染者を仕留める方法も確立していった。簡単に言えば、感染者に命令を下している脳幹にダメージを与える、もしくは命令を身体に伝達する脊髄を破壊する。銃で撃つ。ハンマーやバールなどで打撃を加える。刃で首を断つ。いろいろな方法がある。最悪、武器がなければ、力を込め、ためらわず首をひねればいいのだ。首の骨ごと脊髄を粉砕する。
そうして感染者は駆逐されていき、ワクチンが完成した現在、世界は安寧を取り戻すことに成功した。かつての日常が「条件付き」で戻ってきた。
その条件とは、定期的にワクチンを接種すること。それともう一つは、人が亡くなった後の死体の取り扱いについての新たな取り決め。すなわち、死亡すればワクチンによって得られた免疫が機能しなくなり、ほぼ全ての人間に入り込んでしまったウイルスが活動を再開してしまう。この時代、死ぬことは――それが事故であれ、病であれ、寿命であれ――自らが動く屍、ゾンビに貶められることを意味していた。まるで穢れてしまったかのように……。死者は誰かに危害を加える前に処分されなければならなくなったのだ――。
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