第5話「とつぜんの異世界転移」

 この世界に来た時、俺たちは何も持っていなかった。

そう、あれは突然の出来事だったから。



 

 高校二年生になる春休み。家が近所だった俺たちは、金が無いので近くの公園に行きベンチでお喋りをしていた。

「いつも部屋の中じゃつまらない。だって翔平はゲームばかりしているんだもん」

 という、真理恵の要望に応えるべく公園に来たという訳だ。

 

 とつぜん春雷が鳴り響き、たくさんの雹(ひょう)が落ちてきた。やがて激しい雨を含む『氷雨』になった。俺たちは慌てて、近くの公園のトイレに逃げ込んだ。そして、地面を激しく叩く白い雹を見ていた。ピンポン玉のような雹が大きな音を立てて地面に降り注ぎ、白一色に染めていく。

「凄いねえ……」と言うマリエの言葉の続きが春雷に掻き消された。

 黒い雲が低く立ち込め、爆音を伴って空から光の柱が落ちてくる。だんだんと近づく雷を恐れて真理恵が俺の腕にしがみつく。

 

それは突然起こった。

 一瞬、目の前が真っ白になり、爆音と衝撃が重なった。

地面が激しく振動し、爆音のせいで煩いほどの耳鳴りがする。

俺は抱きつく真理恵の腰に両手を回して引き寄せた。




 暫くして目を開けると景色が一変していた。雷と雹は跡形もなく消えて、空は晴れ渡っていた。そして、俺たちは見知らぬ街中にいた。石畳の上に立ち周囲を見回す。

明らかに日本ではない家屋と町並み。それから、どう見ても西洋人にしか見えない金髪碧眼の通行人。


「異世界転移!」

 抱き合ったままの二人の声が揃った。とつぜん起こった出来事にマリエの体は震えている。俺は精一杯虚勢を張ってマリエを抱きしめた。だが、あまり効果は望めない。俺自身が動揺しているのだから。

 

「こういう時は冒険者ギルドだ」

 俺は声を絞り出した。確証があった訳じゃない。根拠の無い希望を口にしただけだ。

 言葉は心配していない。さっきから耳にする通行人の言葉が日本語に聞こえるからだ。

「道の真ん中で、やるな兄ちゃん」

「それにしてもすごい美人で羨ましいぞ」


 通行人に道を聞きながら冒険者ギルドに急いだ。

三階建ての煉瓦造り。『冒険者ギルド』とこっちの世界の文字で書かれているはずの看板が普通に読めた。

 なぜ言語が理解できるのかは分からない。どうやってこの世界に来たのかさえ、分かっていないのだから。

 これほど何も無い着の身着のままの状態で、言語も理解できないのなら詰んでいる。

 とうぜん、歩きながら『ステータスオープン』を確かめた。なにも出なかった。


 ギルドに入るとすぐ右にカウンターがあり、中には五人の美人が座っていた。カウンターの上に『受付』の表示がある。俺たちが目の前に来る前に立ち上がった女性が言った。

「ミスラル王国冒険者ギルド『ボナンザ支部』にようこそ。担当のアリスです。ご用件をお伺いします」

 俺たちは登録をしたいと申し出た。差し出された木の板に呼びやすい名前を木炭で書いた。俺は翔平だから「ショウ」で、真理恵は「マリー」にした。書ける範囲で書き、アリスさんに戻す。登録料は必要無かった。

ついでにパーティ登録もしてくれた。冒険者についての説明を聞きますか? と言うのでお願いした。カウンターの隅にある間仕切りをした場所に移動して説明を聞く。俺たちはF級冒険者だった。


 全部の説明が終わった時にアリスさんに真実を語る。隠し事をするより、全部打ち明けて支援を求めるべきだと判断したからだ。

「俺たちはこの世界の住人では有りません。違う世界から飛ばされてきました。だからお金も何もないんです。ギルドの倉庫でもいいので、今日だけでも泊めて貰えませんか?」


 驚いたことに、俺たちが初めてじゃなかった。俺たちのような異世界からきた者は「ドリフター(漂流者)」と呼ばれていた。数年に一度の割合で、大陸のどこかで見つかるそうだ。ドリフターを保護することはないが、捕まえることもないそうだ。ただ、身を持ち崩して犯罪者になると困るので、冒険者ギルドでは出来る限りの支援をしているそうだ。

 宿も支援の一つだ。野宿だと街中でも危険が多いと言う。新人冒険者専用の簡易宿舎は、一泊二食付きで一人青銅貨三枚だ。今日の分は無料にしてくれた。収入が無ければ最大三日までは無料になると聞いた。

 

 俺たちの予想と違ったのは、この世界にはスキルとかギフト等の概念が無かった事だ。ジョブもツリーも無い世界だった。ただ、レベルの概念だけは在った。だけど、せっかくのネット小説の知識は何の役にも立たなかった。


レベルは有るが、冒険者カードにはレベルの記載がない。だけど、昇級の目安にはなっているようで、昇級審査では水晶玉に手を翳すそうだ。審査以外で自分のレベルを知りたい時は、青銅貨一枚を払って水晶玉で鑑定してもらう。青銅貨一枚は約千円だから、今の俺たちには大金だ。

 

 夕食を食べて部屋に入る。ギルドで支給されたこちらの服に着替えた。 服は麻のような繊維で出来ていた。古着だけど破れもなく、洗ってある清潔なものだった。下着は古着というわけにはいかないので自分で買うように言われた。見ず知らずの人の肌に直接触れた下着を着たい、とは俺も思わない。俺たちは自前の服の上からすっぽりと古着を被った。素肌に着るとチクチクして痛痒いのだ。


 翌日、朝食を摂ってすぐにギルドに向かう。アリスさんを見つけて朝の挨拶と昨日のお礼を言った。

「最初は随時依頼の薬草採集から始めてください。武器も防具も無いお二人には、それ以外の仕事はありません。数をこなさないといけないですが、頑張ってくださいね」

街中の安全な仕事は成人していない冒険者専用なので、成人している俺たちは薬草採集しかないと言う。 採集用の道具と麻袋を二人分くれた。採集方法と場所を聞いて街を出る。


 東門を出て街道を暫く歩くと左手に森がある。ここが『東の森』と呼ばれる薬草の採集場所だ。ちらほらと人の姿が見える。

街道に近い場所は薬草がまばらで数が採れない。手頃な木の棒を拾って少しだけ森の中に入る。


「森の中は魔物が出るから気をつけてね」

とアリスさんに注意を受けていた。


 薬草がさっきよりは多い。それでも数が集まらない。更に奥へと進む。周囲を警戒しながら採集する。

 

 五本一束で銅貨五枚。宿代のためには六十本必要だ。二人だから出来るが、一人なら一日かけても、三十本は難しいだろう。俺が見張りながら薬草も探して、マリーが集める。

 

 木の棒しかないが、ゴブリンが聞いた通りの体格なら負ける事はないだろう。問題は動物系だ。犬や狼の方が危険だと思う。


「ショウちゃん。ノルマ達成」とマリーが笑う。これで今日の宿代ができた。

もうすぐ日が暮れる。俺たちはギルドに薬草を収めて金を受け取り宿で夕食を摂った。

宿代でせっかく稼いだ金が消える。初めての採集だから仕方ない。慣れたらもっと効率が良くなるはずだ。


 部屋に入ってマリーはベッドに寝転んだ。

「ふう、けっこう疲れるね。でも、これを毎日繰り返すんだよね」

 いや、そうじゃない。冬になれば薬草の仕事はたぶん無くなるはずだ。もし、日本のように雪が降るのなら採集の仕事は不可能だ。

今が何月か分からないが向こうの世界では四月の初めだった。金を貯めてせめて武器を買う。できれば防具も買って薬草採集以外の仕事を見つける必要があった。

 

 俺一人なら、たぶん絶望していた。でも、俺にはマリーがいた。

金も無い。物も無い。明日への希望も何も無い。これで普通の精神状態を保てるほど強靭な神経を持っていない。

 だが、俺には守る者がいる。幼い時から一緒に過ごしてきた可愛いマリー。


中学一年の夏休みに、長年心に秘めていた思いを告げて付き合いだした。初キッスは去年のクリスマスイブ。生クリームの味がした。 マリーの胸には俺が春休みにバイトして買った小さなルビーのネックレス。二人の右手の薬指には銀のステディリングが輝いている。

最悪の場合は、これを売る事になるだろう。

 マリーを守る。生き抜いてマリーを絶対に一人にしない。こんな世界で一人ぼっちになったら、か弱いマリーだけじゃ生きていけない。だから、俺は死なない。絶対に生き抜いてマリーを守るんだ。



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