2 宵宮祭をたのしもう(5)

 洞穴の通路に反響する声に、忍び足で近づいて行く。通路は一本道、先へ進む以外に道はない。壁面で跳ね返る音量は、代わる代わる大小の波となって打ち寄せる。一歩進むごとに、話し声の内容が聞き取れるようになる。男だ、しゃくりあげる男の声。泣いているのか? 男の声は死に際の別れを惜しむように、駄々をこねる小さな子供のように、ひとつの単語だけを繰り返し叫んでいた。

「見つからない、見つからないよゥ」

 あの徘徊斧老人の「いらっしゃいませんかぁ」という台詞と印象が重なる。なにかを探している点では一致している。

 通路も終わりが見えてきた。終点から橙色の明りが漏れ出ている。向こうから察知されないよう、天王寺はライトを下げる。通路の先は広さのある空洞になっているらしく、声が深く反響している。

「ないよゥ、ないよゥ」

 男は飽きもせず、鳴き続ける。

 そのとき、先導していた天王寺があっ、と驚きの声をあげる。

「どないなっとんねん」

 そのまま空洞へと、声の方へと駆け出してしまう。残されたぼくと弐座は視線を交わす。まだ危険がないか確認できていない。浮足立ったぼくを弐座は手で制する。

「彼女には悪いが、金糸雀になってもらおう」

 弐座が耳打ちする。

 空白の時間。彼女の足音とはしゃいだ息遣いが聞こえてくる。

 勝手に飛び出していったのは彼女の方で、ぼくらには止める暇もなかった。例えこのあと罠が作動して天井が落ちてきたとしても、それは彼女の不注意のせいでぼくらの責任ではない。彼女にその身を以て危険を確認してもらうことは、なんら悪ではない。そういった、いくつかの言い訳を考える時間と沈黙が、ぼくには与えられた。

「おーい、センセイ! 岳人クン! そないなとこでビビッてやんと、こっちきてみぃ。ぜんぜん平気や。危なない。こいつしかおらんし、こいつは危害を加えることなんかできやん」

 しばらくすると、天王寺が呼びかける。

 ぼくと弐座はひとまず安全らしいと頷いて通路をでた。

 そこは天然の鍾乳洞に繋がっていた。上下から突き出た鍾乳石にランタンがぶら下がり、空気の流れに揺れている。おそらく、さっき入ってきた通路とは別の出入り口があるのだろう。足元で踏みつけた蝙蝠の糞に眉間を寄せる。天上からは乳白色の石柱が幾重にも垂れ下がっている。不気味な光景だった。岩肌の隙間から、どろりと濁った膿、もしくは腐った乳が粘っこく滴り落ちているようで。この地底は、地上世界の淀みを濃縮する場所なのだ感じさせた。

「こっちや、こっち」

 辺りの光景に視線を囚われていると、注意を引き寄せられる。

 ぼくはその男を目の当たりにした。いや、目撃した、とでもいうべきか。

「壁男」

 ぼくの小さな呟きは、いやに大きく反響した。

 男は囚われていた。天然の岩壁をくり貫いて作られた地下牢が並ぶ、そのなかのひとつに。まるで超能力の被験者となった人間達を閉じ込め、観察する為の飼育ケージだ。岩の壁に鋼鉄の檻。捕まったら人間の力では逃げ出すことはできない。檻のなかはがらんとして、ベッドとも呼べないような凹凸のある石台とぼろきれ、便所代わりらしい溝が彫ってあるだけだった。日用品の類いは一切なく、檻の鍵はしっかりと閉じられていた。

 一見、男は牢のなかで立っているようだった。しかし、男の手足は壁のなかに埋もれていた。

「壁男……言い得て妙やな。コイツ、まんまハン・ソロやで。思わん? 炭素冷凍状態にそっくりやんか」

 天王寺に言われて映画の場面を思い出した。あの映画は新作の上映に合わせて、シリーズを美折に観せられた覚えがある。確かに、あのシーンとよく似ている。しかし、少なくとも男の顔と胴体はむき出しにされて、呼吸と補給の生命維持は確保された状態だ。自分でそれが行えるかはともかくとして。

 弐座は檻から身を乗り出して、男を観察しようと食いついている。ぼくも薄暗闇に目を凝らして男の容態を知ろうとする。

 男の手足はその原型を留めておらず、植物の根によく似た形状に変化していた。五指が主根となり、そこから毛細血管のような細い管が、壁や床に網目状に這っていた。その細い管は脈動して生きていた。なんと男は、地下牢に張り付いていたのだ。

「あんた、ほんまに人間か?」

 彼女のいう通り、普通じゃない。壁と一体化、岩盤に浸食できる人間なんて聞いたことがない。男はただ人ではない。かといって、超能力とはまた違うようだが。

 天王寺の呼びかけに男は反応しない。「ないよゥ、見つからないよゥ」と、嘆き続ける。涙は枯れ、拭うことのできない涎が、時折口の端から零れ落ちた。白っぽく濁った、粘っこい涎だ。

「助手君、気付いたかね」

「なににです?」

「この檻は閉じられている。それに彼の顔、まぁ上半身でもいいのだが、とにかくむき出しの部分。こんな所に閉じ込められているにしては綺麗だと思わないか? 毎日とはいかずも、三日に一度くらいは風呂に入っているようにみえる」

「世話をしている人間がいる?」

「今も実験は続いている。そうは思わんかね」

 弐座は次いで、隣の牢を指さした。ほかの牢は空で閉じられているのに、その牢だけが不自然に開いていた。

「脱走した個体がいる」

「もしかして、あの斧をもった老人が?」

「断定はできない。しかし、可能性は低くない。あのご老体も、正常とは言い難い状態だった。いずれにせよ、十分な証拠だ」

 弐座は懐から小型のカメラを取り出し、フラッシュを焚いて撮影をし始める。

「ちょっと、そんなことして大丈夫なんですか。アトラクションはネタバレ禁止。撮影はもちろん、録音も禁止されているはずですよ」

「君はまだ、これがアトラクションだと思うかね?」

 彼はぼくの制止に聞く耳を持たない。さらに鉤型のツールを取り出して、檻の錠へと突っ込み弄り始める。

「開けるつもりですか」

「サンプルが欲しい。人間の異常変異体だ。これも超能力の一種だよ。肉体的な突然変異体――『壁男』。なかなかいい見出しになりそうだ。このままでは嘘臭くて真実味が足りないか? ハハハ、違うね。これぐらいわざとらしい方が、かえって人々の興味をそそるものさ。世間の人間はエンターテイメントに飢えている。ほとんど飢餓といってもいい。食べても食べても食べ足りない。飽食時代の餓鬼。それが現代人というものだよ」

「弐座さん、あんたなにを考えているんだ?」

 弐座がくるりと首を向ける。鍵が開いたようだ。彼は檻に手を掛けたまま、いつもの特徴的な笑い声をあげる。

「ハハハ、筋書きはこうだ」

 弐座武秀、語る、騙る。

 洞穴地下牢にて、弐座先生の独演会。開幕。

 朗々と地下中に響き渡る声量で、大振り身振りの舞台演劇。

 彼は語る。

「山間の寒村で受け継がれた悪習、伝統の大義名分のもと行われる、恐るべき人権侵害の実態! 土着信仰を言い訳に、何世紀にもわたりギフテッドを不当に拘束監禁、いやこれは立派な虐待だ。神聖視とは体のよい言い換えに過ぎず、彼らギフテッドは、村民の欲求を満たすための人柱に過ぎなかったのだ! 村社会構造の闇、村八分の真実、民俗の名に隠れたカルト宗教。そして今や、因習村として恐怖の構造を一般化させることで、世間に自分たちの『教え』を浸透させ、地域の伝統文化として蛮行を正当化しようと目論んでいる。これは大々的に打ち出された日本国民への洗脳だ! 行政も噛んでいるとなると、さらに後ろ暗い裏があるに違いない。私は政治と宗教癒着の闇を――」

「その辺りにしといてもらえますか?」

 弐座の背後に現れた、ひとりの女子高生。白と紺色のセーラー服。ぼくは弐座の独演に気を取られ、彼女が現れたことに気が付かなかった。そして、少女の背後には、あの斧をもった老人が付き従っている。少女は人差し指を一本、ピンと伸ばして弐座のうなじに突きつけていた。

 弐座は水を差され、機嫌を損ねた様子。緩慢な仕草でもって振り返る。

「この指はなにかね?」

「あなたみたいなひと、暴露系っていうんでしたか。はっきり言って、迷惑なんですよね。私たちのデリケートな部分に土足で踏み込んできて、自分勝手な理屈で正義を振りかざして。あなたみたいなひとに理解してほしいなんて思いません。あなたが私たちを攻撃しようとするなら、私たちがあなたを排除することも分かって欲しい。それだけです」

「ふぅん……それでは聞かせて頂けるかな。私にも納得できる彼らについての説明を。私も好き好んで正義の刃を振るっているわけではないのだよ。超能力者の卵たる彼らを、新しい人類の萌芽を、旧人類の嫉妬と蔑視から守らねばならないのだ。私の活動も理解してほしいものだね」

 女子高生は柳眉を微かに上下させ不機嫌を表した。

「あん子、客やで。あん時に紹介でけへんかった最後の客」

 騒ぎを尻目に、傍に寄ってきた天王寺が小声でいう。

「私はテーマパークの来客じゃありません。帰省しただけです。この村に高校があるようにみえますか」

「うわ、地獄耳や」

 女子高生は冷たくぼくらを一瞥する。

「……いいでしょう。どうせ、同じことですから」

 攻守を入れ替えて、今度は名も知らぬ少女が語る。騙る。

「この場所は昇殿を許された者のみが立ち入ることができる、神域です。俗世とは隔離された空間で、本来はこの村の祀る神が現世に降臨なされた際に生活される空間。こちらの白井昭雄さんと、そちらの鏑木一人さんは、神に仕える者としての特別な力を認められ、昇殿を許可されここにいます。彼らは神と同種の存在として祀られているために、俗世の人間――ここでは村人ですが――の目にはみえません。神界と俗世が接近する祭祀の夜にのみ、現世と交わることができます」

 白井の名を聞いて、ぼくはようやく頭の引っ掛かりが消える。昇天ではなく昇殿。白井の家で遺影を見た時に覚えた既視感の正体はこれだった。あの老人は白井の伯父だ。死んだわけではなく、文字通り神の元へと召し上げられていたのだ。

「なるほど、そのような設定なわけか。して、その特別な力というのは?」

「白井さんは本来人間の目では視ることのできない、神の姿を視ることができます。鏑木さんはああして、神経を根として張り巡らせることで、外界の様子を自分の体の一部として知覚することができるのです。今は……おそらく、村を中心とした山々にまで彼の意識は広がっていることでしょう」

「も、もってる……そ、いつ。覚えている目、と、よく聞こえる耳、をもってる」

 鏑木と呼ばれた壁男が、女子高生へと告げ口をする。弐座が自分の懐へと一瞬視線を向けた。

「そして私は瑞上神社の巫女で、あなた風にいうと……超能力者です」

 女子高生が指先を下げた。途端、弐座のスーツが内側から弾けた。胸ポケットからはみ出させていたケータイと、隠し持っていたレコーダーが爆発をおこしたのだ。弐座はもんどり打って倒れる。余裕たっぷりだった弐座の顔にはじめて恐怖が走る。

「さぁ、もう満足しましたか? 私は喋り疲れました。みぐるみ剥いで野山に放り出してあげましょう。どうせ弐座さんは本当の意味では死なないのですから」

「ま、待ち給え。もうここでの記録は消えた。だから――」

 慌てて立ち上がり、背を向けて逃げようとする弐座。

 パンッ!

 女子高生はひとつ柏手を打った。

 超能力なんて、現実に存在するわけない。それは現世の常識で、絶対法則であるべきだ。

 思考停止した頭のなかで流れ始めたのは、とある動画の記憶だった。

『今日紹介するサバイバル術は、うさぎの皮の剥ぎ方。

 用意したのは血抜きを済ませ、内臓の処理を終わらせた野うさぎだ。うさぎの皮は洋服を脱がすみたいに、簡単に剥がすことができるぞ。毛皮は使い道が多いからできるだけ傷付けないようにしよう。

 まずは手首と足首を関節から切る。四か所、スパッと切り落とす。うさぎはアキレスが発達しているから、ちょっとだけ力がいるぞ。そして、肛門部分から縦のラインを一本入れておこう。深く切り込み過ぎると、肉を傷付けてしまうから注意だ。

 ここまでくれば、あとは脱がすだけ。

 必要に応じて膜を切りつつ、手で引っ張れば、あっという間。綺麗に剥がすことができるぞ。裾を持って、シャツを頭の方へめくり上げるように、ずるっと毛皮をはがしていこう!』

 こんなこと在り得るはずがない。

 弐座は身に着けたそのスーツごと、不可視の力によって上下に引っ張り上げられた。

 あまりに滑らかなものだったから、血はほとんど飛ばなかった。

 どこかで聞いたような話。人間は皮下脂肪が多いから、皮を剥がすのは簡単かもしれない、なんて。

 ズルンッ!

 ぼくの目の前で、弐座は全身の皮を剥かれてしまった。

 真っ赤な枝肉が地面に横たわる。

「まったく、一苦労だわ」

 女子高生が指先を向ける。

 天王寺がわざとらしいほど大袈裟に、後方へと吹っ飛んでいく。ダンプカーにでも正面衝突されたみたいに。生死を確認する余裕はなかった。

 次は……次は、ぼくか。

 人差し指がゆっくりとスライドしてくる。

 ぴったりと、ぼくの眉間に狙いをつけて止まる。彼女は人差し指を立てたまま、親指を起こす。手を銃の形にして、撃鉄を起こし。その不可視の力で、撃ち抜こうと、撃ち殺そうとしてくる。片目をつぶり、狙いを定める。

 グロスの塗られた女子高生の唇が、ランタンの明りに妖しく照る。

 その唇が動く。

「ばんっ」

 ぼくは一心不乱に駆けだした。

 後ろは振り返らない。

 目の前の暗闇がどこに通じているかも知らず。

 生物としての生存本能だけが、ぼくの体を逃がしていた。

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