2 宵宮祭をたのしもう(4)
村境から外には、ある種ぼくが想像していた因習村テーマ―パーク像が広がっていた。それこそホラーの題材に使われるような廃村の様子だ。柱が腐り、崩れかけて自然に帰ろうとしている民家。茅葺の屋根は草叢と化し、床下が抜けて伽藍洞の屋内。かまどに五右衛門風呂、時代を感じるブリキの空き缶。状態のいい民家は室内に日用品が残されたままになっており、人間だけがいなくなって静止した時間が埃として降り積もっているようだった。人が住める環境にないことは明白だった。
掌に握り締めた美折のピアス。拾い上げた落とし物に体温は感じられるはずもなく、村境の外の廃村に彼女の影はみつからない。
「こんな所に超能力研究の痕跡なんて、あるはずな――」
ぼくの言葉は最後まで続けられなかった。恐怖を呼び覚ます、あの狂った叫びが聞こえてきたからだ。
「いらっしゃいませんかぁ!」
老人は探し歩く。
崩れた廃屋の扉を一軒一軒叩き壊しながら、誰かを探して訪ね歩く。
アイツだ。昨晩、海砂利の頭を叩き割った、そうしたようにみえた、あの老人だ。襤褸を纏い、薪割斧を引き摺り、伸びた爪がねじ曲がったまま裸足で徘徊する狂人だ。
背を向けて逃げ出そうとしたぼくは、襟元を掴まれて引き倒される。慌てふためき、恐怖の主張をしようとした口は塞がれる。
「静かに、不用意に音を立てるな。わかったか? 落ち着け、冷静に」
弐座から子供に言い聞かせるように制止され、必死で声を呑み込んだ。がっちりと頸に腕を回され、呼吸すら難しいほど強く締めあげられている。逃げるどころか、身動きができない。
「あれのことは恐怖演出のひとつだと思うんだ。音量と存在感で不意を突いてパニックをもたらす、そう……ホラーゲームで物陰から突然現れるモンスター。あれもまた仕掛けの一種。舞台装置だ。そう、そうだ。よし、もう落ち着いたな、助手君」
拘束を解いて開放したぼくに、咳込むなよ、と忠告することも忘れない徹底ぶり。
ふたりして廃屋の陰から老人が瓦礫を漁るのを覗きみる。幸い老人は手元に焦点があっているらしく、こちらには気が付いていない。老人の横顔を改めて観察して、ふと妙な引っ掛かりを覚えた。しかし、それがなにに引っ掛かったのかまではわからない。頭の奥で小さな疼きとなってもどかしい。なにか、なにかわかりそうなのに。
「しかし、困ったな。倒す、というわけにはいかないだろうから、あれがどこかに行くまで待つか、回り道をするか……」
「お困りやね、お兄さん方」
ぼくと弐座が振り向くと、そこには天王寺の姿があった。カーキ色のジャケットを羽織り、保護色で背景の木々に溶け込んでいた。その名の通り青蛙のような出で立ちをしている。
「こっちにきぃや」
そういうと、さっと身を翻して廃墟の間を音もなく駆け抜けていく。保護色も相まって、気を抜いたら見失ってしまいそうだ。
「仕方あるまい。我々もついて行こう」
ぼくらふたりも急いで彼女のあとを追う。物音を立てないよう細心の注意を払いつつ、建物で老人からの視線を切って進む。幸いにも老人が大声を出し続けているおかげで、こちらからみえなくても居場所の把握は容易だった。崩れかけた廃屋の隙間をくぐり、藪を抜け、獣道を辿るように逃走する。十分に距離がとれたところで、弐座が前を行く緑の背中に問いかける。
「我々をどこへ連れて行こうというのかね」
「センセイらも探してはったんやないんですか? 論より証拠。百聞は一見に如かず。怪異も神も会うてみんとわからん。そろそろみえてきますよ……あれが瑞上神社の奥の院ちゅうやつでしょうね」
そこは廃墟のなかにあって唯一傾いでいない建物だった。全体の構造は神社の社殿と民家の建築を合わせたような作りで、複雑な組み物のうえに唐破風がのった豪奢な軒をしている。緑青の葺いた銅板の屋根は、沼の底に囚われた陽光のように怪しく暗緑色に発光していた。互い違いに張られた板塀に囲まれ、入り口よりほかは容易に敷地内を覗けない。
神域の最奥地らしい、辺りの気配を吸い寄せる重力をもった場所だ。
「入るんですか?」
怖気づいているぼくに対し、彼らは愚問とばかりにその足取りで答えた。
「自分なにしに来たん? 探索イベントは定番中の定番やろ。閉鎖された精神病棟、山奥の幽霊屋敷、呪われた遺跡に秘密のカタコンベ。そして、因習村の奥の院。なにか秘密を匿っとるっちゅうならここしかあらへん。暴かんで何のためのアトラクションやねん。それに……触れてしまった秘密は最後まで解き明かさな、災いをもたらすんやで」
そういうと天王寺は胸元に回したボディバッグからペンライトを取り出す。彼女はもとより準備万端で、ここに踏み込んできた様子。
「天王寺君の言う通りだ。君は君の目的を思い出し給え。それとも我々がなかを確認してくる間、君は外で見張りでもしておくか? そうではないだろう。なぜ君は自ら禁忌を冒してまで、この場所に入り込んだのだね」
ぼくはポケットにしまい込んだピアスに触れる。ここに美折がいる確証はない。だが、待っておくことができないから探しにきたのだ。彼女の存在を放っておくことなんかできるはずがない。だって、彼女はぼくの大切な――。
「行きます」
「よろしい。各々目的を果たそうじゃないか。私は調査、天王寺君は冒険。そして助手君は人探し。身の危険を感じたら、お互いに構うことなく逃走に全力を費やす、ということでよいかな」
「センセイ、薄情やんなぁ。ウチ、女やで。それっぽい雰囲気かもしてんやから、バリツとかかまして助けてもろてもええんですよ」
「残念ながら、私は探偵ではないのでね」
ぼくら三人はお互いの死角を庇いあい、足を忍ばせ塀を抜け、敷地内へ侵入する。天王寺はすっかりなりきって、ペンライトを拳銃のように構えて、慎重に辺りを照らして先頭を行く。
段差をあがり、正面から屋敷へ入る。土足のまま床を踏みしめると、鴬張りさながらの軋みが薄暗い廊下に響き渡る。三人は息を詰めて、視線だけを巡らせて気配を探る。屋敷内は異常な静けさに包まれている。屋内は古びてはいるが、床板が腐ったり、隅に埃が吹き溜まっている様子はない。手入れが行き届いている割にひとの気配が感じられない。
「誰もおれへんみたいやね」
止めていた息を緊張と共に吐き出す。
屋内は板張りの廊下と襖で仕切られた座敷に区切られており、人が生活する民家としての作りがなされていた。入り口からひとつはいると中庭を囲んだ四角い回廊状になっており、苔むした羅漢像と石塔がひしめき合って並んでいた。
「神社やのうて、お寺さんやったんかいな。世界観ばらんばらんやな。どないなっとんねん」
「さてな。神宮寺かもしれないし、もともと瑞上神社とは無関係の寺院だったのかもしれない」
ふたりの寺院という考察に、ぼくも思い出した感想を口にする。
「京都でこういう光景をみました。嵯峨野の化野念仏寺です。あだし野の無縁仏を集めたとかで、無数に石仏と石塔が並んでいて、ちょうどこんな風に」
「ほな、こいつらは誰かの仏さんが埋まっとる、いうことかいな。結構な数あるみたいやけど、村のお寺さんいう雰囲気ちゃうな」
ぼくらは薄気味の悪さを感じつつ、屋敷の探索を進める。
奥には土間の調理場があり、使い込まれた竈に薪や食材の備蓄等の生活感がある。衣裳箪笥や化粧台といった生活用品の置かれた部屋もあった。
そして廊下の突き当り、奥座敷はこれまでと雰囲気が異なって、貴族の寝殿造りを思わせる部屋づくりになっていた。部屋の中央には御簾で四方を囲んだ区切りがあり、床の上に畳が敷かれ一段高くなっている。
「御帳台……さしずめ貴人の寝所といった所か。もぬけの殻のようではあるが」
「弐座さんが話していた、現人神の住まい、ということでしょうか?」
「これだけではなんとも言えないな。しかし、ここが何らかの重要な場所であるのは間違いなさそうだ。今のところ、超能力研究の痕跡は見当たらないがね」
ぼくらはしばらく手分けして奥座敷をくまなく調べる。途中でみつけた行灯に弐座のライターで火を灯す。それでも光量に乏しく、ぼくは暗がりを手探りで収納をみていく。天王寺は壁や床に耳を張りつけ、叩いて反響を確かめている。忍者屋敷じゃあるまいし、隠し扉なんてあるはずないだろうに。
そのとき、空だと思っていた引き出しの奥で指が引っ掛かる。カチリと音がして、歯車が噛み合わさったのが伝わってきた。
「まさかね」
「ハハハ。お手柄だよ、助手君」
御帳台の裏の壁板の一枚が、絡繰りらしい、ガラガラと音を立てながら開いていく。人ひとりがやっと通れる通路が姿を表した。ぽっかりと暗い口を開いた通路からは、冷たく湿り気を帯びた、地下世界の吐息が漏れ出す。
「途中で折れ曲がっとる。結構深そうやな」
ライトで照らし、様子を伺った天王寺がいう。
「こっからが本番ってわけやな」
彼女はにやりと眼鏡を押し上げ、ためらいなく通路へと体を滑り込ませる。弐座は隠し扉の周辺を目視で確認したあと、閉じ込められはしないだろうと結論付け天王寺に続く。
彼らに続き首先だけ突っ込んで通路を伺う。足元にこそ板が敷かれているものの、壁や天井は岩をくり貫いた、坑道を思わせる人工の洞穴。はたして、テーマパークのためだけに、ここまで手の込んだことをするものだろうか。実際の遺構を流用しているだけ? 本当に超能力実験が行われていたのか? ここから先は神を祀る禁足地じゃないのか? 本当の信仰がこの奥には眠っているのでは?
様々な疑問が浮かんでは、不安で掠れていく。
暗い洞穴は、口を開いた怪物の食道だ。そんな気がしてならない。二人の背中が曲がり角で消えてしまう前に、ぼくも通路へと進んだ。
奥から吹いてくる風は唸り声のように、臆病なぼくの鼓膜を震わせる。
「どないしたん? 怖いんか?」
突然立ち止まったぼくに、天王寺が振り返る。
「いえ……なにか聞こえませんか?」
風にのって、誰かの声がする。耳を澄ます。間違いない、また聞こえた。
「この先に誰かいる」
確信をもって、そう告げた。
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