6-1-1 ライターズ・ハイ
「先輩先輩!これなんてどうですか?前の動物シリーズよりもたくさんの動物がイラストされてますよ。」
要は短く答える。
「ふむふむ、じゃあこれなんてどうですか?サンリオのマスコットが沢山イラストされてて、色もカラフルですごく可愛いです!」
要はまたも短く答える。
先ほどからこの光景の繰り返し。春風小春が商品を物色、品定めし、要はそれに短く答える。今にも落ちそうにしがみつく笑みを落とさないよう、口角は緩い三日月を描いた位置のまま。時折腕を抱いてはガスコンロのつまみをひねるように二の腕をにじり、表情に力を供給する。
質問の回答も、どちらとは言わない共感のみを示す言葉を口ずさむのみ。『方向性はあっていると思う』『場合によってはあり』『はまれば上手くいく』の三ワードを脚色しては繰り返しを続け、首を上下に二度揺り動かす。それでも春風小春は楽しそうに商品を物色する。傍から見れば、友達がショッピングをしているようにでも映るのだろう。
実際は友達でも、部活動の先輩後輩でもない。それどころか、彼女と会うのはこれで今日で三回目。未だかつてないほど、飲み込むまでに時間のかかる状況に、思い返すと頭が痛くなる。
(どうしてこうなった…)
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喫茶店で春風小春と別れた後、要は薄暗い街頭の中を、いささか早い足取りで家に向かっていた。それほど運動が得意ではない要だが、母指球を正確に押して歩くよな軽快な歩行を繰り広げていた。それはつい先ほど購入してしまった表紙イラストが大胸筋のビジネス書とは一切関係のないことだった。
家に帰ってもこの気持ちをどうこうできる術はないだが、持て余すには周囲の視線が多かった。身体をやや前傾姿勢にし、置き去りになりそうな上半身を無理やり押し進め、ふくらはぎが痛みを訴える前に帰宅した。ドアクローザーの仕事をぶんどり、乱暴に扉を閉めてはカギをかけ、ブレザーを放り出しリボンを脱ぎ捨てた。
鞄から象牙色の厚い
噛り付くような勢いで、一心フランに書き始めたそれは、春風小春の告白の一助となる術を考えおこしたもの。いわば『黒崎要による、春風小春のための告白作戦立案書』。
あの日の要は、さならが自己顕示欲を持て余す自称エリートを語った参謀のようだった。これまで積み重ねてきた莫大な知識が遺憾なく発揮され、白紙の紙を黒鉛で塗りつぶしていくことで、膨れ上がる妄想の産物を吐き出すように筆を進めた。それが正解であり、唯一絶対の方法と疑わない、絵にかいた自信の産物が出来上がっていく。夕食の時間もそぞろに告白のシチュエーションばかりを考え、最後のルーズリーフの余白が黒鉛で染まる頃には夜が更けていた。
それは締め切りを抱えた作家の原稿でも何もない。溢れかえる感情の熱でどうにかなりそうな自分を、筆を伝って紙ぶつけているだけ。決して悪手ではない。元来、気持ちの整理に『書き出し』という手法が使用されるのは理にかなっている行為だ。たとえ書き出すモノの内容が、解決すべき自称とは少し、いや東と西を間違えるぐらいであっても問題はない。
そう、それだけで今日を終えていれば問題はなかったのだ。
この日、日付をまたいだ夜更けの間際、要は夜に支配されていた。陸上選手曰く、限界まで走りきったあとに訪れる、全能感としか例えられない高揚。一般にはランナーズ・ハイといった言葉で表されている。この言葉を借り、今の状況を言い表すなら、要は今まさにライターズ・ハイに陥っていた。走者の高揚した身体を心地良い風が満たしていくように、静かな夜の闇が要の心を高揚させた。
黒崎要の意識が戻ったのは、朝だった。
窓ガラスをすり抜け、日光が頭を焼く。遮光カーテンはタッセルに捕まり身動き取れず、遮る物は何一つなかった。セロトニンの分泌と共に激しい頭痛に襲われる。全身は鈍く重い、鉛が磁石のようにつかず離れない不快感。身体をグッと伸ばしてみても、鈍く骨が軋むばかり。陽気な朝の爽快感は微塵もなった。
腕を枕に一夜を過ごし、顔を大きく左に傾け続けていたせいで、首のすわりが悪い。赤く変色したこめかみをおさえ、おぼろげな記憶を少しでも整理しようと務めた。
ルーズリーフがちゃぶ台の上に所狭しと散乱している。床に落ちたであろうものから、くしゃくしゃのちり紙と化したものまで様々。試しに読んでみようとしたが、自らの書いたものとは思えない、罫線を突き抜けて狂喜乱舞する字に、思わず目をそらした。近くにあったバインダーを手に取ると、空洞のように軽い。どうやら買ってから授業で数枚しか使用していなかったルーズリーフを一夜にして使い切ってしまったらしい。受験が目前に迫っている国公立の受験生でもこれほど錯乱しないだろう。
要はバインダーに閉じることなく、散らばったルーズリーフを(なるべく文字を読まないように)拾って捨てた。シュレッターを使わずに済んだのは不幸中の幸いだった。
すると、木目調のフローリングが顔を覗かせたことで、それに気が付いた。
「スマートフォン……」
家では調べものをする時以外、電源タップにささった充電ケーブルの横が定位置のスマートフォン。交通量の少ない黒崎家だが、三往復もすれば画面を蜘蛛の巣化してしまうだろう位置に、身ざらしで置かれていた。早く手に取っていつものケーブル、いつもの位置に移動させなければ。そうするべきと思っているはずなのに、手がうまく伸ばせない。
要は違和感を感じた。恐る恐る掴んだその手には、いつもと変わらない何の変哲もないスマートフォン。じっと画面を覗き込んでいるとドス黒い液晶にでも引きずり込まれそうになる。すぐにでも放り出したい衝動に駆られる。要はまたこめかみをおさえ、今度は痛みと戦いながら違和感の正体を探った。
答えを出せないまま、要は時間を確かめるべく親指に力を入れた。
『新着メッセージが1件あります』
緑の角丸吹き出しポップアップがメッセージアプリの通知が来ている事を知らせる。
段々、記憶は呼び起される。いつもなら火花からの通知と思って何の気なしにアプリを開くのだが、左側頭部の内側から叩かれるような痛みにを受け、阻まれる。
考える速度と反比例し、震える親指の先を画面に向けた。八桁の数字をゆっくりとたたいていく。最後の一桁をタップし終えて、メッセアプリが開かれた。
『わかりました!じゃあ午後一時にショッピングモールで待ち合わせですね。』
左下に一行、了解を示すメッセージ。要は小首を傾げた。しかし、その答えはすぐに判明し、画面に噛り付き目を見開いた。画面右側、要が発信したであろう文章がアプリ画面いっぱいに埋め尽くされている。それは連続した吹き出しではなく、一筆書きによって書かれており、何度スクロールしても終わりが見えない。要は三、四回目でようやく文章の始まりまでスクロールすることができた。(その前の会話は春風小春の『ヨロシクね!』と吠えるヨークシャーテリアのスタンプがあった。)
そこには『黒崎要による、春風小春のための告白作戦立案書』(命名 黒崎要)に書かれた内容を、箇条書きで送ったものだった。論理破綻、整合性の取れていない矛盾だらけのタイムスケジュール、行間を開けずにひたすら並べられた文章。遠目で覗いてみたが、ピクチャークロスワードにはなっていなかった。そこに救いはなかった。
中でも際立って異彩を放っていたのは『吊り橋効果を狙って清水の舞台から飛び降りる』の章。ご丁寧に、『修学旅行を京都かつ、一、二年生合同で行くための教師と保護者の説得方法』『清水の舞台から落ちてもケガをしない三つの対策』『落ちてからの告白方法』の三部構成になっており、劇的かつドラマチックに脚色された舞台台本が仕上がっていた。一生舞台化されることのない台本がそこにあった。
昨日までの、いや、厳密には意識が落ちる数時間前までの自分がしでかした事を、要は呪った。数々の痴態を辿り、無限に続くとも思われたスクロールが終わった。そして、最後の一節に要約されいた。
『以上より、現状を冷静に判断、分析した結果、屋上に呼び出し告白。それに伴い、下駄箱へと呼び出し兼想いをしたためた便箋を投函することが必要となる。そのため、作戦遂行に必要な品をそろえるためショッピングモールに一三丸丸時に集合。』
要は勢いよく頭を床に打ち付けた。このまま意識を失い、目覚めたらすべてが夢であったらどれほどよかったか。あれだけの駄文を並びたてた結果、最終的に落ち着いたのは原点。春風小春が白河結に対してやろうとした内容に、若干の修正を加えたもの。リスペクトやオマージュなんて言葉を付け加えるには、あまりにもおざなり過ぎる脚色。
要は再び床に打ち付けようとした頭を寸でのところで止めた。メッセージの最後。自らの発信した内容と、それに対する彼女の回答を思い出し、すぐさま思考は切り替えられた。
「時間は!」
スマートフォンの画面は「11:29」から「11:30」と切り替わる。
初恋相手に出会ってすぐ、振られてました 黒神 @kurokami_love
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