5-3 違和感で混乱


 要の通う学校には正門と裏門、大きく分けて二通りの帰路がある。正門前にはスクールバスが一台。登校時に二本、下校時に三本のダイヤで回っている。生徒を下道にある最寄りの駅へと送迎するバスで、運賃はかからない。

 

 要は通いなれた通学路から外れ、駅前の横断歩道を一つ渡った先にある本屋に寄るため、スクールバスへと乗車していた。向かって最後尾にある座席の左端、タイヤ一つ分の凹凸がある席へと腰掛ける。要が席に座ってから数分、人の流れはまばらで、空席に置かれた荷物が閑散度合いを物語っていた。小さく開けられた窓からは、キュッキュと甲高い音が体育館から流れ込んでくる。青春を謳歌する音だ。

 

 (大きな音…)

 

 扉の閉まる警笛音が鳴り、バスはゆっくりと走り出す。正門を通りすぎた頃には外から聞こえる音はなくなり、窓際の景色が色づくようになった。肘をつき、手のひらに顎をのせる。一回りも大きくなった視界から見える雲は、いつもより近く感じた。黄昏が近いからだろうか、疲労した脳は段々と澄み渡り、感傷的になっていく。

 

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 岸本火花との一件があった次の日、要は若干の憂鬱と不安に苛まれながら登校した。登校前、母親から手渡された体温計を脇に、「高熱であれ」と願ったのは容易に想像できよう。願いはむなしくも「36.0」の電子文字によって打ち砕かれ、決して軽快とはいえぬ足取りのまま学校に赴いた。

 

 幾度と縁石に足をぶつけ、段差につまずき、危うく電柱に頭をぶつけかけること数回。手押し車を押す年配の方に声を掛けられ、常用している漢方薬を飲まされたのは苦い経験となった。注意力を家に置き忘れてきたのかもしれないと、誰に言うでもない屁理屈をこねる。それぐらい、余裕が底を付いていた。

 

 つい数日前は、自らの変わらぬ日常と景色に辟易としていたのが嘘のよう。要は自身の願いが曲解解釈されて、悪戯な神にでも聞き届けられたのかと、浅はかにも考えてしまった。自身の裁量が及ばない事を「神の悪戯」なんて、ばかばかしい。すべては自らの選択が招く結果でしかないというのに。要は靄を振り払うように頭を振り、思考のベクトルを捻じ曲げる。

 

 そうこうしているうちに、『2-1』のネームプレートが掛かった扉の前まで来てしまった。引き戸に掛ける手はひどく重いのに対し、扉は軽々と開いてしまう。

 

 恐る恐る教室を見回し、クシャっと泡立つようなボリューム髪の女子生徒を探す。教室の中はいくつかのグループの会話と、それを子守歌に眠るサナギがちらほら。普段から一緒にいるグループの中にも、火花の席にも火花がいないことを確認する。ホッと一息、胸に手を添えた。

 

 「なーにしてんの?」

 

 「”ひゃい!”」

 

 突如、背後から耳元に向けて放たれた声に、要は言葉にならない悲鳴を上げた。振り返った先にいたのは目的の人物、岸本火花であった。思いのほか大きなリアクションの要に驚いたのか、火花は人差し指を向けたまま、目を白黒させて固まっていた。

 

 「びっくりした…。え、何?どうしたの?」

 

 「え、あ、いや。」

 

 どうした、はこちらのセリフである。一息ついた瞬間に驚かされ、緩急がついた分、悲鳴に拍車がかかってしまった。要は内心深く追求したい言葉を飲み込み、深呼吸をする。

 

 正面の火花をジッと見やる。

 

 あまりにも普通、というより、いつも見ている火花となんら変わりないようにさえ思えた。要は昨日の一件があってから、火花との接し方を再三シミュレーションし、「朝の第一声の言葉は"おはよう、昨日のテレビ見た?"」でいくことを決め、普段見ない深夜のバラエティ番組をチャックし、自然な流れで会話を逸らす作戦が水の泡である。

 

 「もしかして、双子の妹さん?」

 

 「……私、一人っ子なの知ってるでしょ。」

 

 要自身、本気でそんな質問をしたわけではないが、ちょっぴり虫の居所が悪かった。目の下のクマが威嚇でもしているのかもしれない。

 

 その後の火花は拍子抜けするほど普段通りだった。休憩時間は眠りこけ、お昼は互いに当たり障りのない話題で間を繋ぎ、そんな日常を繰り返しているうちに、とうとう下校時間が訪れ今に至る。ちなみに、テレビの話題は火花が見ていなかったため、十秒と繋がらなかった。

 

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 (眠い…)

 

 プシューというスプリング音と上下に揺れる車体によって、要は物理的に現実へと引き戻される。手の平に乗せた顎は、磁力でも失ったように滑り落ち、途端に羞恥心が込みあがる。幸い、同じ後部座席には誰もおらず、醜態の目撃者はいなった。

 

 身体を揺られながら下校生徒を見下ろしす。膝に乗せたくの字の文庫本、両翼から十分な力を加えられず、栞は落ちたまま。窓に身体を預け、思い浮かぶのは教室での一幕。


 (あの時、昨日のことを聞いていたら、どんな表情をしていたんだろう。)

 

 走行するにつれ、車内に漂っていく睡魔の影。鉄のゆりかごは穏やかつ、確かな速度を保ったまま、眠りに近ずく赤子を目的地へと誘うのであった。

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