10:別れの炎

「ええ、せっかく張り切ったのに」

 頭の中に響いた声に「だれがここまでやれっつー―――」怒鳴り返した声は途中で行き場を失った。言葉を失い、その光景に目を奪われた。

 高く、見上げるほどに高く、呆れるほどに真っすぐに天へと伸びた白炎が渦を巻いている。その周囲に細かな光が舞っている。ゆっくりと、ゆっくりとではあるが炎柱に寄り添うように空へと昇っていく。

 輝きは人の姿をしていた。

 老人がいた、幼子がいた、青年がいた、赤子がいた。老夫婦がいた、兄弟がいた、恋人同士がいた、友人がいた。誰かの祖母だった、想い人だった、好敵手だった、親友だった。

 誰もが生きている誰かに手を振り、微笑みかけ、別れを、旅立ちを告げていた。

 輝きの源が紋様を描いているのに気づけたのは、隣で「お父さん、お母さん……」と嗚咽交じりで呟いたサリュの体もまた輝きを帯びていたからだ。見ればその場にいる俺を除いた全員の紋様が輝きを帯びている。少し前に見た淡いものではなく、柔らかな、けれど眩い輝き。空へと昇っていく光と同じ輝きを皆が宿している。その中に跪いたまま炎を見上げる長の姿を見つけた。何となく安心する。

 誰もが涙を流していた。別れてしまった、もう二度と会えない筈の誰かとの束の間の邂逅に。

 今ここは改めての別れの儀式、そしていずれの再会を約束する場になった。それはシロと俺が望んだことではある。想像以上に大事になっていて、少々頭が痛い。

 ただ、それもいつまでもは、続かない。当然だ。これはちょっとした奇跡。神様みたいな奴が起こした、気まぐれみたいなものだ、きっと。

 本来であれば、シロの役割は黄昏の排除と断崖下の澱んだ死を払う事だった。浄化と言ってもいいんだろうな。打ち捨てられ貪られたモノを炎に拠って何処かへ帰す。それだけの筈だった。

「これもお前の目論見通りか?」

「まっさかー。あるかもしれないなとは思っていたけれど、ここまではっきり視えるとは思ってなかったよ。せいぜい、炎が光って見えるかなぁ、かな。いやー、すごいね、人の想いって」

 吃驚だね。と続けたシロの姿は猫に戻っていた。時間切れか自由意志かは分からないが、気楽そうではある。

「紋様の加護ってね、僕らやあいつらや、彼が与えたものじゃないんだよ。人が自分の子供たちに、健やかでありますように、穏やかでありますように、って想いを紋様に託し願い続けたことで何時しか生まれたものなんだ。願いや想いが形を得たのがあの紋様の加護で、ある意味受け継がれてきた心そのものだったのかも」

 だから、澱んだ命の流れの中でも寄る辺となって死に溶け込んでしまわなかったんだろうね、きっと。そういってシロが笑った。

 不意に炎柱が揺れた。

 紙縒りでも編むように捻じれ上部から細くなっていく。見る間に全体が細くまるで天から垂らされた蜘蛛の糸のような様相へと変わる。未だ別れを惜しんでいた輝き達も一つまた一つと炎糸を頼りに空へ登っていった。

 皆が泣くことすら忘れて輝きを見送り、炎は完全に消え失せる。そして空には一体いつからあったのか針のように細い月が昇っていた。

 別れの時間は終わりを迎え、前を向く時が来た。だが、その前に、もう一つだけ。

 今回は何かの気まぐれでひどく大掛かりで、極めて効果的な演出すら行われてしまった訳だが、この先こんなことが起きるなんてことはまずない。本来想定していた別れの儀式を実践しよう。

 もはや燃え尽き白い灰へと変わった老人の遺体の前に立つ。普通ならここまでの状態にしようと思うとかなりの時間を要するはずなのだが、足や腕の太い骨が辛うじて形を残している程度。歳を取ればそれだけ骨密度も減り燃え尽きやすくなる。栄養状態に期待の出来ないこの土地の住人ならば尚のことだ。完全に燃え尽きているかもしれないなとあまり嬉しくない考えも浮かぶが「オッケー承った」とのたもうたシロの言葉を信じて急ごしらえの長箸で灰の中を探る。

 箸先に当たる感触にやや祈るような気持ちでそれを摘まみ持ち上げた。輪を作り中が空洞になった骨だ。一般的に向こうだと喉仏と呼ばれている。

 実際のところ、本来の喉仏は喉頭隆起と言い甲状軟骨という軟骨の一種なので火葬すると必ず燃え尽きる。では、今ここでいう喉仏とはなにか? 軸椎と呼ばれる背骨の一部だ。上に突き出た丸い突起を出発点として中空の円を作るように左右に伸び、その先に外に向けた平らな突起がある。見方によっては仏が座禅を組んでいるようにも見えるかもしれない。体に宿る仏、詰る所喉仏と呼ばれる所以だ。

 仏教国以外だとアダムのリンゴなどと呼ばれることもあるが、呼び名なんてどうでもいい。今回重要なのは輪を作っているという点だ。

 命が廻るよう別れを告げ見送る時間を作った。死が澱まぬよう遺体を火葬した。あと必要なのは、命は廻りまたいつか会えるのだという約束の証だ。

 望外の遣り過ぎ感満載な状況ではあるが、なってしまったのならば仕方がない。せいぜい利用させてもらおう。

 長箸で摘まんだ喉仏、プレッジリング-約諾輪-とでも言った所か、兄弟の前に差し出す。

「お爺さんが残したもんだ、大事にな」

 命は廻る、そして空へ帰った魂はやがてまた命となって帰ってくる。その証となるのが残された約諾輪なのだと。サリュにはそう伝えた。姉弟にはサリュが伝えている筈だ。

 姉が掌で受け取った。弟がその上に自分の手を重ねる。すぐには無理かもしれないが、何れはそういうものとして受け入れられていくんじゃないかね。姉弟の姿を見てそう思う。

 さあ、これで儀式の大半は終わった。あとは、騒いで笑って幕引きといこうか。

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