4:シロ

「信じられない。黄昏を追い払うなんて」

 まあ、そうなるのだろう、シロの言う事が正しいなら。何を言われたところで気にする気にもなれないんだが。それよりも。

「おい。そいつを見せてみろ」

 女が背負っている子供を指し示して声をかける。黄昏は死に惹かれてやって来るとシロは言った。女は瀕死のようには見えない。なら死に瀕しているのは背負われた子供だろう。

「あまり良くないんだろう。なんとかできるかもしれん」

「アンタ、まさかお医者様? とてもそうは見えないんだけど」

 喪服を着た医者なんて普通いないからな。いや、そもそもスーツ自体こっちに存在するのか? 農民が着ていた農作業着が起源だっていうからあっても不思議じゃないが、この土地だと農耕がそもそも存在していない様だし、目の前の女のタンクトップにホットパンツみたいな格好や子供の手足がむき出しになった服装から推測するに仮にあったとしてもこの辺りでは一般的ではないと思われる。それを言い出せば、こんな日差しの強い場所で肌がむき出しな時点で色々とルールが違うのかもしれない。

「よーく肌を見てごらんよ。刺青が見えないかい。それが紋様を描いていろいろな加護を与えているんだ。隠しちゃうと加護が薄れるからね、だから露出が多いんだ」

 シロが講釈してくれてのはいいんだが、流暢にしゃべる猫ってのは長靴をはいた猫よりも希少だと思うんだがね。

「なに、他にも誰かいるの」

「嬢ちゃん、ちょっと黙っててくれるか」

「嬢ちゃんじゃない、サリュ」

 警戒の色を濃くする女-サリュに言い放って俺は子供を背から降ろす。子供はサリュの背に紐だけで括りつけられていた。首元で脈を採る。酷く熱い。炎天下の中揺すられ続けていたというのを差し引いても状況は良くないってのは、正直素人の俺でもわかる。

「シロッ」

「はいはい、出番かい」

「できるだろ」

「まぁ、ね」

 テテテっと走ってきたシロはそのまま何故か俺の体をよじ登り、肩から飛んで横にした子供の傍に着地した。一体何がしたいんだ、このポンコツ白猫は。

 思わずジト目で睨みつけるとムフーとドヤ顔で返してきた。早く治しやがれ。

「付き合いが悪いなぁ。僕は悲しいよ」

 攫われるだの売り捌かれるだの言っていたのはすっかり忘却の彼方らしい。いつも通りに饒舌で軽口片手に、シロは少年に肉球を押し当てた。額、右頬、左頬、顎、右肩、左肩と順番に触れていく。多分、順番には何の意味はない。本当なら触れる必要すらない、と思われるが猫だと必要になる動作なんだろうか。

「猫がしゃべった……」

「そういうこともあるだろうな。まあ、大人しくしててくれ。悪いようにはならんさ」

 色々と理解が追い付かないのだろうサリュに適当に言葉をかける。邪魔しなければどう思ってくれようが構いやしない。どうせやることが終われば通り過ぎるだけの話だ。

「オッケー。終わったよ。昔からある熱病だね。ちょっと面倒な感じに変異してるから効く薬もなかったんじゃないかなぁ。危ないところだったね」

 軽い調子で宣うが、それは所謂死病というんじゃねぇか? 俺もやばいか?

「大丈夫じゃない? 体力が落ちていると感染リスクが高いけど、君はぴんぴんしているし」

「リュートっ」

 サリュが子供-リュートに駆け寄り、その胸が規則正しく上下するのを認め安堵の息を漏らす。

「熱病は殺したけど体力が戻った訳じゃないから安静にしてね。出来れば消化に良くて栄養のあるものを食べさせてあげるといいけど、ある?」

 なぜそこで俺の方を見る。確認するならサリュの方じゃないか。まあ、この土地の状況を鑑みればそう容易いことではないの位は想像できるんだが。

「あると思うか」

「なかったっけ?」

 着の身着のままなんでな、持ち物としては当分使う当てのない家の鍵くらい……。いや、内ポケットに飴玉が入っていた。

 ミルクキャンディの銀の包装袋を触れば溶けて再び固まった歪な形が伝わってくる。誰に貰ったのだったか。確か後輩で担当の眼鏡だ。

「キチンと食べてますか? 先輩ただでさえ陰気な顔しているんですから、取り敢えず甘い飴でも舐めて顔色だけでも良くしてください。倒れても僕は面倒見ませんよ」とか言っていたな。結局舐めなかったからここにあるんだが。

「これぐらいしかないな」

 指で弾いてシロへ飛ばす。

「ニャッ。危ないなぁ。もう。あと病人に糖分の高いものはあんまり良くないと思うよ。大体これ食べて大丈夫なのかい」

 肉球で器用に受け止めたシロが抗議の声を上げる。

「飴玉の賞味期限は大体一年らしいから大丈夫だろ」

 ふと浮かんだこちらの一年とあちらの一年は同じ長さなのだろうか? という疑問は一先ず脇に置いておく。

「あの、神様」

 不意にサリュの問いが飛び込んできたからだが。

 シロが心底嫌そうな顔をする。元が猫だから分かりにくいが目を剥いて頬を引きつらせ首を竦めて、ついでに舌まで出した。そこまで嫌だったか?

「やめてよ。そんなこと言うの。やっとの思いで追い出したんだからさぁ。僕のことはシロって呼んで」

「で、ではシロ様と」

 確かに死病とさえ言えるような病をあっさり直してしまったのだから神様呼ばわりもされるだろう。が、それよりもえらく不穏な単語がなかったか。神様追い出したとか。

「言ってなかったっけ?」

「聞いてねぇよ。どういうことだ、おい」

 振り回してやろうと手を伸ばすと逃げられた。サリュの背中へと隠れる。ここだけ見ると到底神様になど見えない。どこの世界に猫の姿をして逃げ回る神がいるのか、と思いかけよく似た逸話の持つ神は色々いたなと少し遠い目をしたくなった。牛に化けて蜂に追い掛け回された色ボケとかな。

「色々あって皆で協力して好き勝手している彼らを追い出したんだ。そんなに昔の事じゃないからサリュも知っているでしょ?」

「四代前の村長の頃に良い神様と悪い神様が喧嘩をして良い神様達が勝ったと伝えられています」

「うわぁー-。そんな風になっているんだ。合ってるような間違ってるような……」

 シロが器用に頭を抱えた。よっぽどショックだったらしい。わりと真剣な目つきから今はあまり触れない方がよさそうだというのだけは分かった。他は全く分からん。善き神と悪しき神が戦うなんてのは神話ではよくある話だが、その後は大抵の場合良き神も何処かへと消え神の世は終わり、人の世が始まる。

そうでなくとも、其は天にあり、世はこともなし。どちらにしても、遠い何処かの存在だ。

「どうするかは後で考えるとして。サリュ、君の集落へ案内してもらえるかな。多分僕たちの今回の目的地だと思うんだよね」

「シロ様を……?」

「そーいうのなし、シロでいいから」

「ですがそんな訳には」

 やめてーとそんな不敬は、をループし始めた一人と一匹に告げる。

「嬢ちゃん。抵抗があるのは分かるが、こっちにもいろいろ事情がある。シロと呼んでやってくれ。その代わりに、他に病人がいるならこいつに何とかさせる。取引だ。どうする?」

 俺はそろそろゆっくりと休みたいんだ。

「分かった。シロ。案内いたします。だけど」

 サシャがきっと俺を睨む。

「私の名前はサリュだ。嬢ちゃんじゃない。間違えるな」

 おーおー、シロとの温度差で風邪をひきそうだ。ま、俺は何もしていない訳なんで、当然ではある。なのでこの調子なら、今回も俺の仕事はなさそうだと実に甘いことを考えたのだった。

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