3:黄昏
そんな感じのやり取りをしつつ、誠に遺憾ながら歩みを止めることもなく、遥か彼方に見える稜線以外に緑の姿など見える様子もない荒野を行く。シロが言うにはこの辺りに集落があり、そこで行われているであろう儀式だか習慣が死の停滞する原因となっているらしい。
そういや、森林が荒野へと変わる要因の一つを思い出した。一番禄でもなく、どうしようもない位救われない奴を。それは人間だ。
製鉄の発展がはじまると、木という木が根こそぎ伐採されることになる。何故か。鉄鉱石から鉄を取り出す、つまり生成には高温が必要だ。ある程度の文明レベルがあれば石炭の利用も考えられるが、そうでなければ、一番手軽に高温を得る手段は木炭だ。木炭は何から作られるか。木材だ。では木材はどこから?
このようにしてドミノ倒しの如く、森林は枯渇していく。
俺が知る事例では、森林の枯渇後一時的に製鉄業は停滞するが、不純物を取り除くことで石炭を使用しての製鉄が可能となり鉄鋼文明とでもいうものが形作られた。木を使うより鉄を使う方が効率良かったって、どれだけだよって感じだが、それによって一時的にせよ森林破壊が止まったのは確かだ。石炭の採掘、燃焼による二酸化炭素の増加と自然破壊が止まった訳ではない所が、まあ皮肉なものではある。
こっちの場合は、何が原因か全く見当もつかないがその原因を取り除けたとして、循環がうまく回って森林が復活する、とはいかないだろうな。かの島国もかつて森林であった場所に今広がるのは牧草地帯と畑ばかりなりと言った状況だ。
荒野ではなくなるだろうが、森林となると千年単位の時間を必要とするだろう。
「なあ、シロよ」
「なんだい、クロ」
「いい加減飲み水もなくなってきて、そろそろ補充を考えねぇと俺たちの方が行き倒れかねないんだが、どう思うよ」
実際、あと革水筒一個分も残ってない。今ある分も微温湯通り越して完全に風呂の湯かって温度で、その所為なのか革の風味というのか出汁とでも言えばいいのかなんとも言い難い風味がついている。出来るなら味のしない水が飲みたい。
「それは大変だね。ならもう少し急ごうか。因みに僕は、別に水は飲まなくても死なないよ」
一言余分だ、シロさんよ。
「急ぐためにも、どこに行けばいいのか教えろって言ってんだよ。餅みてぇに伸びやがって、メンチにして食っちまうぞ」
頭から引っぺがして振り回してやろうとすると、ウナギか何かの如く手から抜け出し腕に纏わり付く。
「何処なんだろうね、僕も知りたいんだ。もう暫く歩き回ればわかるんじゃないかと思うんだけど」
「おいっ」
「この辺りっていうのは分かるんだけど、死の気配の範囲が広すぎて絞り切れないんだよね。ほら、僕のヒゲってデリケートだから」
ヒクヒクとヒゲを揺らすので、一本摘まんでやる。
「そんなヒゲならなくてもいいな?」
「ええ、ヒゲのない猫は、ポンコツになるんだよ!!」
ポンコツなのは元からだろうが。
「酷いこと言うなぁ」
言ってシロは、今度は頭の上に乗っかった。四本の足で器用にバランスを取っているようだが、そのバランスを取る度に重心が変わって変な感じに首に負担が来る。さっきの帽子状態の方がよっぽどマシだった。
「ねえ、クロ、あれ見て」
振り落としてやろうかと思っていると、割と真剣な感じにシロが声をかけてきた。完全に真剣なシロなんてこちらに来てすぐのほんの僅かな間しか見た覚えもないが。
「どれだ……。ちょっと待て」
砂ぼこりで曇り気味の眼鏡のレンズをハンカチで拭って掛けなおす。
辛うじて、視界のかなり先に人らしき影が何かに囲まれているように見えた。目を凝らす。襲われている?
「その通り。僕は先に行くよ」
勢いよくシロが飛び降りる。むしろ勢い良すぎて首がグキッとなった。
「おいっ」
「急いできてよー」
叫ぶシロの背は瞬く間に遠ざかっていく。
やっぱり俺より早いし、裸足でも関係ねぇじゃないか。
文句言い言い俺はシロを追いかけて中距離走を始め、シロに追いついた時には息も絶え絶えとは言わないまでも、すぐに言葉が出ない程度には息切れしていた。それと首が痛い。筋違えたとかないよな。
「な、にやって、んだ?」
「君待ち。よく考えたら、喋る猫が助けに来たって格好よく登場しても、吃驚されるだけだし、場合によっては売り飛ばされるかもしれないでしょ」
だったら、一人で走ってく意味あったか? あぁん?
「よく考えてみるとなかったね。そんな事より見てみなよ。すごいよ」
誤魔化しでなく、本気でどうでもよいと思っているのが見て取れる態度に溜息を一つこぼして、シロが器用に前足で指し示す方を見る。
女と獣がいた。
女はおそらく成人はしていない……こっちだと成人年齢って幾つなんだろうな。
「15歳が多いかな。場所によって違うけど」
思ったよりも低かった。
首辺りで束ねた赤毛、整った目鼻立ちをしている。吊り上がった眉から気が強そうだという印象があるが、状況が状況だ、はっきりとは分からない。袖も裾も短い衣服から延びる手足はスラリとしていて、日焼けした肌が赤毛にとても似合っているように思えた。そして、子供を背負っている。歳は小学校にあがるかあがらないか位だろうか。ダランとぶら下がった腕が揺れていた。
獣は狼だろう。20頭ばかりの群れが女を囲むように円を作っている。こちらではどうかは知らないが、狼は群れで狩りをする。それも相手が疲れ切り力尽きるまで群でローテーションを組んでひたすらに追い続ける。そういう執念深さも持ち合わせた生き物だ。
獣もそう見えた。ただ、あれらは飢えていた。その飢えを満たすためだけに動いている。故に連携も協力もない。散発的に女へを飛び掛かり、避けられ反撃を食らう。そこだけを見れば、いずれ女が力尽きる時が来るとしても、立ち回り次第で奴らを撃退できるだろうと素人極まりない俺でも想像できた。
だが、この纏わりつくような気味の悪さは何だ? 橙とも青とも黒とも言い難いその体毛を見ると感じるなんとも言い難い不安は。
「あまり見ない方がいい。黄昏はあっち側だから死に引っ張られるよ。注意しなよ。人間は少し生の側に傾いている方が面白いんだから」
「黄昏……」
そうか、あの狼の色は黄昏色だ。昼と夜の間、ある意味で最も闇が濃い時間の色。
「滞った死の影響を受けて変質してしまった、何かの成れの果て。今回はきっと朧狼。死に惹かれてやって来た黄昏は人間では避ける事は出来ても逃げるのは不可能だよ。さ、出番だクロ。行っといで」
シロがポンポンと、さっさと行けと膝の裏辺りと叩く。あのな。
「俺も人間なんだが?」
シロを摘まみ上げて目線を合わせる。
「大丈夫大丈夫、僕がついてる」
「なら初めっからお前が行けよ」
「やだよ、売り飛ばされたくない」
まだ言うか。
「それにほら、いい加減助けに入らないと、彼女やられちゃうかも」
俺と白が漫才をやっている間も当然女は黄昏を向かい合っていた訳で、黄昏に関わることで死に傾くのならばいずれ限界はやってくる。そうでなくとも子供一人背負っていれば消耗は激しいだろう。
シロと出会ってから明らかに増えた気がする溜息を一つ。シロを後ろに放り投げてから、足元の小石を幾つか拾って潜んでいた岩陰から出た。
速足で黄昏まで十歩程度まで距離を詰め、拾った小石を纏めて投げつける。別段狙ったわけでもない小石どもは意外なことに5個中4個まで命中し何匹かの黄昏に声を上げさせた。
黄昏の注意がこちらを向く。こっち見んなという気分だが、まあ仕方ない。
女は突然現れたようにも見える俺に驚いているようだった。まあ、黄昏に関わると破滅が待っているならば真面な感性を持っている人間はこんな風に近寄ったりしないだろう。生憎と俺には……、なのだが。
黄昏と暫し睨み合う。後ろからシロの気配が此方に近づいてくるにつれ、黄昏がまるで怯えたように尾を下に向けた。成れの果てでも決して歯向かってはならないものというのは分かるらしい。
「ニャーン」
わざとらしい鳴き声を上げるシロ。どう聞いても猫の鳴きまねにしか聞こえなかったが、黄昏にはそれで十分だったようだ。
黄昏は俺たち正確にはシロに背を向け脱兎のごとく走り出す。後には状況の変化に理解が追い付いていないだろう女と、やれやれとため息を吐きたい俺と、なぜかもう一度下手な鳴き声を上げてから顔洗いを始めたシロが残された。
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