孫娘への物語
鈴ノ木 鈴ノ子
まごむすめへのものがたり
長野県飯田市にある酒蔵の店先に今年も元気な子供声が響きました。
「おばーちゃん!きたよー!」
名前を凛音といい今年で6歳になる元気な年長さんの女の子でした、両親は母親がこの家の娘で、父親も同じく近くに実家がありました。所謂、幼馴染という関係で2人は小さい頃から何をするにも一緒に過ごしていましたから、大きくなれば当然のように付き合い始め、結婚して、子供を成しました。
それが凛音です。普段は両親の仕事のため東京で暮らしていますが、年末と夏休みは地元へと帰省していました。
「あらあら、凛ちゃん、いらっしゃい」
江戸時代からそのままの帳場に座りながら、難しそうな顔をして電卓を叩いていた女性が、ネックレスのような首掛けのついた老眼鏡を少しずらして凛音にむかってそう返事をしました。
「お母さん、ただいま」
ロングコートを羽織ったすらっとした体つきの彼女の愛娘、愛も挨拶をしながら店の中に入ってきました。隣には少し冴えないながら立派な婿さんが柔和な笑顔を浮かべて義理の母へと頭を下げて挨拶をします。それに幼い頃から慣れ親しんだように手を上げて返事を返した女性は愛しい孫娘に視線を戻しました。
「よくきたね、寒いから上がりなさい。オジィちゃんは酒蔵で仕込みの準備が佳境だから、話しかけちゃだめだよ」
オジィちゃん、名前を
「じゃぁ、しょうがないね・・・」
少し寂しそうな顔をした凛音に帳場を手早く片付けて、信頼する従業員の福子さんへと後をお任せしたおばあちゃんは立ち上ると、凛音の近くまで駆け寄りました。そして着物から覗く細い腕のどこに力があるのだろうと思わせるほどにすんなりと凛音を抱き上げました。
「あらあら、冷たい、母屋へいこうね」
「おばあちゃんあったかい、いい匂いもする」
抱き上げられたことが嬉しくて凛音はおばあちゃんにしっかりと抱きつきます。
「お香を焚いたからね、その匂いかもねぇ」
孫娘の長い黒髪を優しく撫でながら、ぎゅっと抱きしめてくる幼い力に体にも心にも温もりを貰いながら、4人は長細い作りの店を抜けると奥の母屋である平屋建ての自宅へと入って行ったのでした。
その夜は凛音の食べたいもがずらりと並んだ食卓を、仕込みのオジィちゃんを除いたみんなで囲んで食べながら、凛音は半年間のことをおばあちゃんにお話ししました。夕食後に暫くしてからお風呂に入り上がった凛音はオジィちゃんとおばあちゃんが夫婦で過ごしている部屋へと向かいました。
「はいっていいー?」
「凛ちゃん、寒いから入っておいで」
「はーい」
東京の自宅の床暖房がついたフローリングと違い、冬の寒さの宿る板張りの床は靴下を履いていない凛音の足から容赦なく熱を奪っていきます。右左と足を上げて冷たさを誤魔化していた凛音はその返事に大慌てで障子を開けて和室へと入りました。10畳ほどの広い空間には床の間と神棚、そして部屋の真ん中に大きなこたつがいつもの冬と同じようにありました。
おばあちゃんはこたつに入って老眼鏡を傾けてかけながら編み物をしていました。部屋には片隅に大きな鏡の姿見が一つあり、こたつの上には急須とポット、少し欠けた白いお猪口、そして美しい色合いの蜜柑が置かれています。オジィちゃんは仕込みから帰ってきたようで、座布団を二つに折り曲げた枕に頭を置いて肩までこたつに入って時折いびきをかきながらゆっくりとうたた寝をしていました。
「こっちにおいで」
編み物を机の上へと置いたおばあちゃんが隣のこたつ布団を上げて誘っています、中からはオレンジの温かそうな光が見えたので障子を閉めた凛音は一目散にそこへと足を滑り込ませました。
「あったかい」
足を入れると指先からじんわりと温かさが伝わってきます。思わず表情も溶けてしまうほどの気持ちよさでした。
「お風呂気持ちよかったかい?」
「うん、沢山つかったよ!」
自宅のユニットバス型のお風呂と違い、このお家のお風呂は昔ながらのタイル張りの大きな浴槽です。それは凛音が泳げてしまうほどに広くて来るたびに泳いでしまいます。それを見たお母さんに毎度毎度怒られるのでした。
「よかったね」
可愛い孫娘の笑顔に思わずおばあちゃんもつられて微笑んでしまいます。
「あ、おばあちゃん、物語、また話して!」
凛音は目を輝かせながらおばあちゃんに言いました。幼い頃からおばあちゃんが幾つか作った物語を凛音は必ず聞きたがります。それを楽しみにおばあちゃんもお話を編むのでした。
「そうだねぇ、じゃぁ、新しいお話を始めようかねぇ」
そう言って物語を思い出すように腕ぐみをしたおばあちゃんがお話を語り始めました。
イタリアという外国に7歳の元気な女の子が暮らしていました。
名前はロッペルタリア、銀髪の髪に黄金のような金色の瞳、雪のように白い肌をした女子です。
都会から少し離れた集落で暮らしていた彼女ですが、ある時、お気に入りの森へと遊びに行った帰りに道を間違えて迷ってしまいました。あたりは徐々に薄暗くなってゆきます、今までの明るく素敵な雰囲気の森から、徐々に徐々に、怪しい雰囲気を纏い始めた森に彼女は心細く、そして恐ろしくなりました。
まるで恐怖が近寄ってくるように木々にあたっていた陽の光が一つ、また一つと消えてゆきます。
「怖い・・・」
元気いっぱいだったロッペルタリアは、不安になり心細さから大樹に身を寄せると涙を流して泣き始めてしまいました。夜の森には怖いものが沢山いるから近寄ってはダメよ、と母親に戒められていたのです、いつの間にやら道に迷ってしまっていました。やがて陽の光が落ちて暗闇に包まれると、人の笑い声のようなものや囁きのような声、何かわからない動物の鳴き声、あたりを何かが動き回る音などが耳へと聞こえてきます。
どんどんと怖くなってしまった彼女は耳を塞いで身を守るように体を丸めました。ガタガタと体が震えて目をギュッと瞑ります、やがて小さい口から歯を鳴らす音をまで出しながら恐ろしさに震えていると不意に頭上から声が聞こえたのです。
「大丈夫?」
「ひぃ・・・・」
「大丈夫、怖くないよ」
その声に驚きながら、小さな叫び声を上げてから薄らと目を開けると丸坊主の男の子が懐中電灯を持って目の前に立っています。東洋人と思われる男の子は身振り手振りと、きっと覚えたてのイタリア語をなんとか駆使して、ロッペルタリアに話しかけてきていました。
「迷子になったの・・・」
男の子に意味が通じたのか、頷いた彼が手を差し出してきました。
「僕の泊まっているところまで一緒に行こう」
彼女は涙目になりながらしっかりと頷くと男の子の手を取りました。不安に苛まれていた彼女の手を男の子の温かな手がしっかりと握ります。今までに感じたことのなかった温かさに驚きながら彼女もその手をしっかりと握り返すしました。それに思わず男の子は反対の手で頬を染めながら恥ずかしそうに頭を掻きました。その顔を見て彼女も思わず顔が真っ赤になりました。
やがて、2人はしっかりと手を握り合うと男の子の懐中電灯の光を頼りに森の中を歩き始めます。しばらくすると焚き火の燈と電灯のついたロッジが見えてきたのでした。
「あそこで泊まってるんだ、もうちょっとだよ」
あかりに安堵した彼女も無事に案内できたことに安堵した男の子も、2人揃って足元に気をつけながら手を繋いで走りました。やがて玄関までつくと心配そうに立っていた男の子のお母さんが、彼女を連れていることに驚き、事情を聞くと警察を呼んでくれました。そのお陰げで彼女は無事に両親の元へと帰ることができたのでした。
翌日、両親と共にお礼に訪れると男の子の家族たちは帰国の身支度をしているところでした。両親が男の子の両親に感謝とお詫びをし、そして話し込んだので、2人は外のベンチで時間までを遊びました。
やがて別れの時間が訪れると、男の子は陶器でできた底に◎の書かれた陶器を、彼女は大切に身に付けていたピンク色の天然石ブローチを互いに交換しました。そして車に乗って去っていく男の子を見送ったのでした。
彼女が12歳になり、女の子から少女へと変化を遂げた頃、父親が転勤することになりました。転勤先はあの男の子の国である日本でした。東京で暮らしながらインターナショナルスクールに通学し始めた少女は、あの時の男の子探そうと心に決めました。ですが、少年の名前など知る由もありません。2年、3年と時が過ぎ、少女はやがて、日本の高校へと進学することに決めました。
父親が会社を退職し自らが社長となって日本の物産を海外へと販売する商売を始めたからでした。
高校2年生の冬、厳冬期に家族3人で新しい商品を探すための家族旅行へと旅立ちました。高山、白川郷、郡上八幡、木曽、各地を回りながら地元の特産品を求めてゆきます。やがて、飯田市の酒蔵へと立ち寄りました。
市街から外れダム湖近くにある酒蔵へ着いたのは夕刻で辺りは徐々に徐々に薄暗くなってきていました。タクシーから降りると寒風が家族を襲います。店頭から出てきた厚手の前掛けをした年老いた店主が店内へと招き入れます、案内されるままに座敷へと通されて炭がちろちろと燃える囲炉裏の側へ3人は座りました。いくら日本に慣れたからと言っても両親は正座ができませんので足を崩して座り、少女だけは趣味で始めた いけばな を習っておりましたから、貴賓のある所作で正座をすると店主を大いに驚かせたのでした。
「こちらがウチの酒になります」
蛇目のお猪口に入ったお酒が差し出されると、父親は利酒をするように澄み具合を見たのち一口含んでから、味わいそしてゆっくりと飲み干しました。田舎の酒蔵で作られたお酒とは思えぬほどに、それは素晴らしい味わいのようで、父親はそのうちの数本を取り扱うことで店主と話を進めてゆきます。その話を横耳で聴きながら出されたお茶と和菓子を口にしていた少女は、ふと、お猪口の底に書かれたマークに目を止めました。
「すみません、このマークは作ったところのものですか?」
父親とは違う流れるような日本語の質問に店主は訝しみながら指さされたそれを見て首を振りました。
「いえ、それは我が家の家紋なのです。我が家は平家の末裔でしてな」
「平家・・・えっと、源氏と平家の平家ですか?」
頷いた店主は話が分かりそうだと腕ぐみをして少女へと体を向けました。父親は日本かぶれの娘が何か話し始めるのだろうと呆れながら、話を聞くことにしました。
「そうです、鎌倉方に敗れた先祖がこの山奥に落ち延び、この酒蔵を開いたのです」
「歴史の深い家紋なんですね。変なことを伺いますけど・・・。この家紋のついたお猪口などを売り出したことはありますか?」
「まさか、ここ以外では使ったことも、販売したこともありませんよ」
そんなこと有るわけがないと言わんばかりの声で店主が言い終えたところで、少女はハンドバックから小さな手帳を取り出しました。
「見て頂きたいものがあるんです」
手帳から少女は1枚の写真を大切そうに取り出します。角がだいぶ傷んだその写真には小さな陶器の底が写っていました。
「これは・・・」
その写真を受け取った店主はそう溢すとそれをじっくりと見つめ、しばらく考え込むと口を開きます。
「どちらで手に入れたのですか?」
「ずっと、ずっと昔です。私がイタリアに暮らしていた頃に頂いたものです」
「ああ・・・。なるほど」
深く頷いた店主が訝しんでいた顔を綻ばせて、思い出を懐かしむような表情でその写真を見つめてそう溢しました。
その時、偶然にも座敷の襖が開いて唐突に少年が1人顔を出しました。来客を知らなかった少年は思わず罰が悪そうな表情を浮かべますが、少女と視線を合わせた途端、何かを思い出したように慌てて襖を閉めました。
「倅です、無作法で申し訳ない」
突然のことに店主が詫びます、廊下を走り去るように消えていった足音は、暫くするとやがて戻ってくる足音へと変わりました。そして、襖が再び無作法に開かれると、それを怒鳴って止めようとした店主より先に少年が口を開きました。
「もしかしてですけど、これ覚えてますか?」
完璧なイタリア語で少年が少女に尋ねます。その手には手作りの桐箱に納められたピンク色の天然石ブローチがありました。
「あ・・・」
「やっぱり・・・」
互いに見つめ合い何かを懐かしむように、男の子と女の子は少年少女となって再会を果たしたのです。
そこからは互いの家族ともに商売を抜きにした家族付き合いが始まってゆきました。そうなってしまえば2人が恋仲となるまでに時間は掛からず、やがて結婚をして幸せに過ごしたのでした。
凛音は難しい顔をしながら話を聞いていましたが、最後に2人が出会って幸せになれたことにホッとした顔を浮かべています。語っていたおばあちゃんは何か抜けているような気もしましたがお話を終えることにしました。凛音の寝る時間が迫っていたのです。夜更かしをさせてしまうと翌朝が困るのと娘がぼやいていた事を思い出し、名残惜しいですが愛しい孫を寝かせることにしました。
「続きはまた今度だね」
「おばあちゃんのお話はここの酒蔵が出てくるから好き」
「凛ちゃんは酒蔵が好き?」
「うん、オジィちゃんの顔は怖いけど、酒蔵は大好き」
満遍の笑みを浮かべた凛音がそういい、おばあちゃんは嬉しそうに凛音の洗い立ての艶やかな髪を撫でました。
撫でられたことをさらに喜ぶ凛音におばあちゃんは時計をちらりと見ました。もう少しで凛音が寝る時間が刻一刻と近づいて来ています。
「凛ちゃん、そろそろ寝る時間だよ」
「やだ・・・。おばあちゃんともう少しお話ししてから寝るの!」
「ん〜、じゃぁ、明日は一緒に遊びに行こうかねぇ、だから、今日は早く寝ようね」
「じゃぁ、ケーキ屋さんに行きたい!」
来れば何度と連れていく地元でも有名なケーキ屋さんであることを察したおばあちゃんがゆっくりと頷くと、凛音とゆびきりげんまんをします。小さな子指が老婆の小指と絡めると約束の歌を2人で歌ってから指を離しました。いつまでこれをしてくれるか分かりませんが、そのゆびきりがおばあちゃんには嬉しくてたまりません。
「じゃぁ、おやすみなさい!」
「はい、おやすみなさい。風邪ひかないようにね」
「はーい」
凛音が部屋から出ていくと和室に静寂が訪れます。
おばあちゃんは編み物を近くの空き箱にしまい込むとポットから急須にお湯を注ぎ、急須のお茶を使い慣れたお猪口に注ぎました。一口啜ってから一息つきますと、反対側で寝ていたオジィちゃんが起き上がりました。
「すまん、寝入ってた」
「お疲れだったんだからしかたありません。さっきまで凛ちゃんが来てましたよ」
「そうか・・・、それは残念な事をしたなぁ・・・。あ、その茶をくれ」
「もう、自分の湯呑み持ってきてくださいな」
呆れたように言いながらおばあちゃんは自分の湯呑みを差し出すと、オジィちゃんはそのお茶をゆっくりと飲み干します。市内でも有名な仲の良い夫婦ですからこんなことでは動じません。
「さて、風呂入ってくる」
「はいはい、きちんと服は分けてくださいね」
「気をつける」
立ち上がったオジィさんが障子を開けて立ち止まりました。
「どうしました?」
おばあちゃんは立ち止まったオジィさん不思議そうな顔を向けます。
「出てきたら、一杯やるか・・・・熱燗をつけといてくれ」
「あら、いいですね、そうしましょう」
普段なら寝る前の酒を飲まないオジィちゃんがそう言いました。オジィちゃんが作ったお酒が大好きなおばあちゃんは笑みを浮かべながら喜びました。
「まったく、小っ恥ずかしい話を聞かされちまったよ、ロッペルタリア」
「もう、聞き耳を立ててたんですか、酔壱さん」
微笑みを浮かべながらオジィちゃんが障子を閉めて部屋を出て行きました。おばあちゃんは呆れたようにそう返事をして、しばらくするとクスリと笑いながらこたつを出て立ち上がります。
部屋の隅に置かれていた姿見に自身の姿が映ります。
銀髪の髪に黄金のような金色の瞳。
雪のように白い肌をした。
美しい老婆が1人、映っているのでした。
孫娘への物語 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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