第2話『ミウミ』(3)

カミヤが自らの矮小さとアイオリスの風車塔の巨大さを思い知ったのは、あれからすぐの事だった。

「……でけぇ」

己の全身よりもずっとずっと大きな姿をした積乱雲とアイオリスの風車塔を目前にしたカミヤは小さく呟く。アイオリスの風車塔は焼成煉瓦を積み重ねて出来ている見た目をした、全長五キロメートルの巨大な風車塔だ。風車塔の上層先端の方には、体相応の大きさをした巨大な大小二基の風車とそれらの羽が取り付けられている。また、風車塔先端の風車羽の更に先、風車塔の一番上端の屋上部分には、千人以上が余裕持って整列できる位の大きさの平坦に均された広場がある。その千人以上を容易に収容できる大きさの平坦なその広場はそしてまた、広場の地面の全てを完全に覆い隠せる程の巨大な屋根で覆われ、そして更にそんな巨大な屋根は数十人が両手を広げたよりも太く肩車したよりも長い柱に支えられており、そして極めつけに、そんな巨大な屋根を支えている太く長い柱数十本が立ち並ぶ空間の中心には数百人を内部に納める事が可能な程に巨大な鐘が納められている。

アイオリスの風車塔を構成しているパーツはそのどれの一つをとってもカミヤが生きてきたハーシェルという場所にあった全てのものより巨大だった。また、カミヤは風車塔のような巨大な人工物を見るのが初めてだ。

己の想像を超えたものには有無を言わさない迫力と説得力があるものだ。

また、初めての出来事というものは人から余裕を失わせてしまうものだ。

 それらの法則は、どれだけ時代が変わろうとも人がどのよう変化しようとも変わらない、不変の法則だ。

「でかすぎるだろ……」

つまりは、眼前に佇むアイオリスの風車塔の巨大さが、初めてそんな巨大な人口の建造物を見たという事態が、眼前に現れた風車塔の持つ大きさが己の想像範囲を遥かに超えていたという事実が、意地っ張りで負けず嫌いで頑固なカミヤの目と口を大きく開かせ、胸の内の素直な感嘆の想いを言葉にさせ、行動をも停止させたのだ。

「それになんか、さっきまでよりもあちぃ……」

驚き全ての行動を停止させていたカミヤはけれどすぐさま蕩けていたその表情を崩壊させると、不満げに唇を枉げたのち、自身の額や体のあちこちに発生し続ける大量の汗を手のひらで拭っては捨てる動作を繰り返した。

「くそっ……」

カミヤが繰り返すその様を、その仕草をたいして不思議とも思わず眺めていた。何故なら、世界の熱の流れを調整する役目を背負っているアイオリスの風車塔の周囲は、いつだって当たり前のよう、自身の周囲に積乱雲を発生させる程の量の熱に満ちているからだ。そしてまた膨大な熱量を持つ存在の近くにいれば、当然、それだけ多くの熱の影響を受ける事となる。そしてまた更に、体内で処理出来ない量の熱を外へ放出しようとするのは、熱をまともに直接する事が操作出来ない通常の生物の体には当然備わっている機能だ。だから即ち、今のような大量の熱が周囲に存在する環境下において、熱の操作が上手く出来ないカミヤが滝のような汗をかいてしまっているという事態は、驚くに値しない当然の出来事なのだ。

「あぁ、もう……」

カミヤは言いつつ着用するジャケットの前側を両手で掴み大きく開くと、数度はためかせた。けれどそれでも内にこもる熱を処理しきれなかったのだろうカミヤは、額と喉元の汗をそれぞれ手で拭いながら再び口を開いた。

「くそあちぃ……」

言葉の本当を証明するかのよう、カミヤの顔には拭っても拭っても玉のような汗が発生し続けた。汗はかつて人体において体温を調節するに必須な機能だった。汗腺より皮膚の上に出現した汗がやがて気化するそんな折に人体から熱を奪ってゆく機能は、かつて内側に熱の溜まりやすい人体を冷却する為に生まれてきた機能だった。

「―――くそっ……」

体内の熱を己の外側へ逃がす汗という機能は、かつて多くの人にとって必須ともいえる体温調整機能だった。けれども汗はプレートという人の熱生理機能を向上させる補助器具が生まれてから以降、人体にとってほとんど役に立たない機能となってしまった。

「まったく、なんで汗なんか出てくるのかね……」

何故なら今の時代、プレートを保有している人体は基本的に熱に対して無敵といっても過言でない熱耐久性を保有するようなるからだ。プレートを体内に保有した状態で生まれてくる限り、それを操る能力を持ち合わせて生まれてくる限り、人体は体内や体外がどれ程高温の状況下であっても耐えられるよう変化させられるからだ。

無限ともいえる耐熱性を保有している体をわざわざ冷却させる機能などもはや必要ない。かといってかつては必要だからと生み出した一応は今も使えるそんな機能を、余裕ある今のこの時代に完全に喪失させてしまうのも勿体ないと人体は判断した。汗をかく機能はそんな理由でオミットされずに放置されたのだ。そうして古くには必須だった汗関連の機能は今、必要もないのに体内に存在しているだけの機能に成り下がってしまったのだ。

今や汗は、反回神経や椎間板よろしく、機能を保持したままに人の体の中で今の生活スタイルに適していないガラクタに成り果てしまった存在なのだ。今や人は、プレートを使っていない時にしか汗をかけない存在なのだ。汗は今の時代の人にとって無意味の代名詞の一つとなっている存在なのだ。

「鬱陶しいったらありゃしない……」

けれどカミヤは今、汗だくの状態だ。カミヤが汗をかいているという事はつまり、カミヤ風に言うのならば、己が今の時代の普通以下であるという事の、つまりは己の弱さの証に他ならない。

「くっそ……」

悪態つくカミヤの腹から首元までを覆っている黄色の長い袖のシャツは今やその首の徳利部分から腹の部分に至るまでの全ての部分がカミヤのかいた大量の汗によって染められ、色濃く見えるように変化してしまっていた。色の変化は、普段は優れた体温調整能力や熱耐久性を持たないカミヤを外気の寒さから守っている長袖の部分や首の徳利部分が今では完全にカミヤを苦しめる枷となってしまっているという証だった。

「ああ、もう、なんだってこんなに暑いんだ……」

カミヤがそうして再び服をはためかせて、体内や服の隙間に溜まる熱を少しでも外へ逃がそうとした時―――

「そりゃお前さん。ここはアイオリスの風車塔っていう赤道直下に存在するただでさえ低い気圧の場所―――、即ち風の上昇地点で、おまけに今は日が落ちる直前ってな最も温度が高くなるってなぁ頃合いだ。そこにそんな馬鹿げた厚着をしてるとあっちゃあ、お前さんのそんな汗だくの状態も―――、いやまぁ珍しい現象であるには違いないが、当然の帰結といえるだろうさ」

「!?」

唐突に割り込んで聞こえてきた言葉がカミヤを振り向かせた。その反応に遅れてカミヤと同じ方を振り向くと、カミヤの先程と別種の驚きに染まった視線の先には、上半身に何一つ服を纏っていない、一方で下半身に薄手の服を着用しているだけの姿の老人がいた。老人は頬にも体にも骨が浮いて見えるくらい痩せた体つきをしていた。きっと人の体から余計な機能を全て贅肉として削ぎ落とすとこんな見た目になるに違いないと思えるくらいには痩せた姿をした老人は、おそらくカミヤと同じよう“足”を使う事で空中に浮いているだろうにもかかわらず、カミヤよりも余裕があるように見受けられた。また、老人のその余裕の態度と老人の周囲の熱分布が常時滑らか且つ穏やか且つ整っている状態であるその様子から判断するに、老人が体内に保有している熱量や熱を操る力は今のカミヤのそれらよりもずっと上なのだろう事がわかった。

「いつの間に……!」

「なぁに、お前さんがこいつに目を囚われている隙にさ」

カミヤの言葉を受けたその老人は目を細めると、視線をカミヤから眼下にあるアイオリスの風車塔へと移した。

「デカイだろう? この風車塔は」

「……あぁ」

つられてだろうカミヤも老人と同様に視線を風車塔へと移していった。

「そうだろう」

カミヤの返答を聞いた老人は満足げに頷く。

「なにせ大十字一つの羽だけで百メートル以上もの長さを誇ってる。尾羽の小十字だってそれにゃおよばねぇが、それでもお前さんの数十倍のデカさは優にある。当然、そんな風車羽の引っ付いた塔も鐘も、相応にクソでけぇ」

老人は目を細めつつ言った。直後、強風がカミヤと老人の間に吹き荒れた。

「あちぃ……」

突如吹いた強風は多くの熱と水気を伴っていた。その風が運んでくる茹だるような熱さに、カミヤの体から噴出する汗の量は一気に増えて、服の色は更に濃いものへと変化していった。

「だろうなぁ」

一方で目の前の半裸の老人はその風に含まれる熱や水気の影響を全く受けていない様子だった。それどころか目の前の半裸の老人は全く汗をかいていないのだ。カミヤはもう完全に疲労困憊状態であるというのに、老人は平然としたままである。それはまさしく老人がカミヤよりも優れた力を持っているという証に他ならなかった。

「よく動くな……」

そのよう今の自分が目の前にいる老人よりも劣った状態にあるという証左を見せつけられたからなのだろう、カミヤは少しだけ不機嫌そうに唇を枉げ、けれどもすぐさま気を取り直した様子で口を開き、二の句をついだ。

「動かないさ」

カミヤの言葉を受けた老人は眉を顰めつつ、言った。

「あ?」

返答に、カミヤも眉を顰めた。

「昔は羽も鐘も動いてたらしいけどね」

 老人は深いた溜息を吐く。

「けど、プレートによって人体の全ての必須機能を代替可能―――誰もが自力で何もかもを賄えるようになった今の熱に満ちてるこの世界じゃあ、どっちももう動かねぇんだ。もう誰にも、全く、必要とされてないからな。―――そう。こいつは今じゃ、もっぱら誰からも必要とされてない、あるだけ疎まれるただの木偶の坊なのさ」

老人は鼻息一つ吹き出すと、目元と口元を意地悪く歪めつつ、言い切った。如何にも風車塔を嘲っているよう聞こえるそれらの言葉と態度には、けれどどこか己自身を自嘲している雰囲気もあるように感じられた。

「……さて」

老人は視線を風車からカミヤへ向け直すと、唇の別の似た形に歪め、一方で同様目元を楽しそう歪めつつ言う。

「そんな事今の時代の連中―――プレートを持って旅している連中なら誰でもすぐわかる事のはずなんだけどね」

変化した表情からは、老人の、珍しいものを前にして好奇心を抑えきれないというそんな心持ちが見て取れた。

「そんな当たり前をすぐ理解できなかったお前さんは、いったいいつの時代のいずこからやってきた小僧かな」

カミヤへと近づけ寄せてくる老人のそのしわくちゃの顔にある目や口の形はやはり笑っているようでもあり、試すようでもあり、つまりこちらの事情を探ってやろうとする形でもあった。少し遅ればせながらも私と同じく老人の表情の変化が意味する事に気付いたのだろう、カミヤは少しばかり口籠もらせると―――

「……今の時代のハーシェルから」

けれど老人の表情の変化が何を意味しているかがわかったからとはいえどもどう返答するのが最も適切であるかまるでわからなかったからなのだろう、カミヤは結局質問に素直な答えを返した。

「ハーシェル?」

けれどカミヤの返答に老人は当てが外れたと言わんばかりに首を傾げた。

「ああ」

「キンメリアとかヘスペリアの方の宿でなく?」

「ああ。ハーシェルだ」

「クリュセでも、レテみたいな街でもなく?」

「ハーシェル」

聞いた老人は顎に手を当てると、もう片方の手の指先で額を叩く。

「……はて、記憶によれば、あの辺りに“宿”はなかったはず……」

老人の言う“宿”とは、安定した地形に建てられた、雨風の影響が少ない、それでいて地下水が通っていて、更には植物がその地面下に多く根を張っている場所にある、人の手入れがまったくなくとも自動的に宿としての機能を保つようにプレートで作られている、熱を確保する為にわざわざ集う必要がなくなった今の時代においてクリュセとレテという大きな町を除外した時、“足”を用いて世界中を飛び回っている旅人たちがその“足”を止めるほとんど唯一の場所だ。

“足”が人間の中に残った野生の本能の熱を発散させる為の発明だとするのなら、“宿”は人間の中にあった理性が生み出した熱を留めておく為の発明と言えるだろう。人が今いる場所に飽きを覚えた時、彼らは“足”を用いて旅に出る。そうして出た旅先で疲れを覚えた時、彼ら旅人は体を休める場所を求める。

「“宿”?」

それに応えるのが“宿”だ。“宿”は新しい熱を求める旅人同士が“足”を止め交わる社交場でもあるのだ。

「一般に疎い人間というものは“宿”生まれと相場が決まってるんだが……」

新しい熱を求める旅人がその旅先において“宿”に滞在する際、彼らは元々過ごしていた場所にいた時よりも積極的に他の人と交流しようとする。故に“宿”では交流を繰り返すさなかに交わり、体内へと新しい命を宿す旅人が出やすいのだ。“宿”はまたそのような時、そんな旅人たちが長く腰を下ろす為の止まり木へと変化する。

けれども旅に出た人というものはそもそも、たった一つの場所や熱に縛り付けられている事に飽きたからこそ“旅”に出たのであって、つまりは余計な苦労と熱の塊を背負って一箇所で踏ん張り頑張り続けるくらいなら、宿した命やその命得るまでに得た関係などを全て捨て再び旅に出た方がマシと考える人間の割合の方が多いのだ。

だから無知と無計画さと無鉄砲さから生じた無垢なる結晶を自己の体内に宿してしまった場合、彼らの多くは己の行為の証である子を産み落としては、“宿”へ捨ててゆく。即ち“宿”において生まれてくる命は、子は、町にて生まれてくる子たちと違って、そもそも始まりから不要の烙印を押されて生まれてくる場合が多いのだ。 

そうして捨てられていった子らが“宿”において育つ場合、普通の他人との接触機会が他の普通の人たちよりずっと乏しい彼らは当然、己が生まれ育った“宿”という場所やその周辺地域での常識や発生する自然現象には詳しい一方、一般世界の知識や常識や普通の人が持つ能力に欠如した特異な状態で育つ傾向にある。

即ち、“宿”で育つ彼らは、長い時間一人で過ごす事を余儀なくされる故に、己自身と他人を比較する機会が少なく、故に一般の知識や常識や能力に欠けた大人へと育ちやすいのだ。無論、その知識や常識や倫理や能力は大人になるにつれてプレートによって補完されるから、そのうち出身が“宿”でも街でも関係なくなるのだが。

「宿自体を知らんとなると、どうも調子がなぁ……」

ともあれ、カロンはつまり、カミヤみたいに色々と足りていない状態の人間が生まれる確率は、育つ確率は、“宿”の方が高いという事を知っているが故にカミヤを“宿”出身のはずだと判断したのだろう。

「話してみれば特有の擦れ方もしてない雰囲気であるし、はて……?」

けれどそんなカロンの質問に対して、自身がおそらくは“宿”出身だろうなとあたりをつけたはずのカミヤが“宿”を知らないと言った為に、目の前にいるカロンはこうして首を傾げているのだろう。

「ミウミ」

「うん」

「“宿”ってのはなんだ」

老人がさて得心いかないと首を捻じ曲げるさなか、一方でそんな常識すらも知らないカミヤは老人をまるきり無視した様子で尋ねてきた。どんなころでどんな態度の相手や物事と相対しようと、カミヤは変わらずいつものカミヤのままだった。

「“宿”は、旅人が使う仮宿舎のことだよ」

傍若無人なその様を、けれどなんともカミヤらしいと思った。だから私もいつもと変わらない調子のカミヤへいつもと変わらぬ調子で問いの答えを与えていった。

「仮宿舎?」

「本当の家じゃないって事」

「つまり、俺たちがさっきまで住んでたような場所じゃないってことか」

カミヤの理解は大雑把だけれども大筋は合っていた。同時に、その物言いから多分こちらの言いたかった事や伝えたかった知識の半分も正しく伝わっていないのだろう事も理解出来たけれども、伝えたかった物事の本質が理解出来ているのならその程度の些細な知識の不足はたいした違いでないだろう。

「うん」

だから特に否定する事もなく首肯した。

「……おっし、わかった」

するとカミヤは唇に手の甲をあてつつ、頷いた。

「ふぅん……」

会話のさなか、老人の嗄れた声が聞こえてきた。

「あん……?」

その嗄れ声に反応してだろう、カミヤは視線を老人の方へ移動させた。そんなカミヤに遅れて視線を移すと、老人の快活と呼べる表情が視界に飛び込んできた。カミヤと私が自らへ視線を向けた事に気付いたらしい老人はやがてこちらへ視線を向けなおすと、私たちの全身を舐め回すように視線を動かしつつ、口を開いていった。

「プレート持ちの癖に物を知らない小僧と、プレートも持っているようには見えないのに物を良く知った小娘。 “足”に不慣れなくせにそれを補う道具を持っているようではなく、旅慣れしてる様子もないのに保護者らしき存在も見当たらない。片方はやけに厚着で意味不明にも汗だくなのに風車塔の熱を疎む様子も見当たらないし、もう片方はそこらにいる普通の奴らとまったく同然の格好に平然としたすまし顔」

老人は好奇心を抑えきれないと言わんばかりに眉尻を丸く歪めた。

「今のこの時代、旅をする奴なんてのは珍しくもないが、こんなにもチグハグな組み合わせ見るのは稀も稀だ。……いや、生まれてこの方初めて見たよ」

その言葉を吐いた直後から老人の表情は柔らかくなっていった。そうして柔らかくなってゆく表情や言葉には悪意や嫌味の翳りがまるで感じられなかった。様子に、老人の言葉はきっと真実の驚きや歓喜から生じた純粋な今の己の心象を素直にそのまま表現する言葉なのだろうと理解する。

きっと目の前の老人はこの偶然の出会いを心底楽しんでいるのだ。

「なんだよ、アンタ」

一方でカミヤは対照的に、出会いを奇貨というより奇禍と思っているかのよう、如何にも物言いたげな視線を老人へと向けた。けれどカミヤはそれ以上言葉を続けなかった。きっとカミヤは無言と沈黙の態度をもってして『言いたい事があるならはっきりと言え』とそんな感じの問いを発しているつもりなのだ。

質問の言葉を投げつけたのち、努めて無言を保つ。他人にはわかりにくいだろうけれどそれは一応カミヤなり精一杯に他人を慮った教えを請う態度なのだ。カミヤがそのよう成長してしまったのは、カミヤが生まれてから全ての時間をハーシェルという、“街”でも“宿”でもない他の人間が絶対に立ち寄らない道から外れた土地で生存する事だけに費やしてきたからという理由に由来している。

カミヤの暮らしていた場所は普通の人が立ち寄る事を許さなかった。故にカミヤの周囲にいるのはカミヤから熱を奪おうとする動物や植物ばかりだった。そんな環境の中においてカミヤは自宅とそれの周辺以外において、常に自身の熱を狙われていた。一歩でも守護の領域外に出たなら、即座に誰かから常時命―――熱を狙われる。カミヤはそんな喫緊の状況に対して、それでも生き残り強くなるべく、常に己の腕っぷしのみで応じ続けてきた。そんなカミヤが言葉を用いるのは、自分の腕っぷしや頭だけで物事をまるで解決できないと判断した時―――、つまりは私に質問する時だけだった。そんな時私は、今みたいな態度と少ない言葉で尋ねてくるカミヤに対し、それでも常にカミヤが満足する答えを返し続けてきた。

だからだろうカミヤは、周囲の熱の変化や誰かの敵意を察するは得意だけれど、己が感じている想いや抱いた疑問を他人にもわかるよう適切に言い表す事は不得意なよう育ってしまったのだ。そしてまたカミヤは、言葉が多く発する程に多く熱を消費するものである事を知っているし、更に、自分の知らない物事を自分以外の誰かに―――昨日までは私相手に―――説明しようとする時、互いに多くの言葉が必要になるという事も知っており、カミヤはそして熱が己の命の源である事を、熱を消費する程に自分の力が弱まる事を知っている。

 だから弱さが嫌いで己の熱が無駄に消費される事を嫌うカミヤは、無駄に多くの言葉を発する事を嫌うのだ。だからカミヤは本当に必要最低限の言葉しか発しようとしないのだ。だからカミヤはこれまでのそんな経験から、己が本当に最低限の言葉だけしか発しなくても己より強い相手はその少ない言葉から己の疑念を完全に理解して己が満足出来る答えを返してくれると思っているのだ。カミヤはそしてまた、その方が互いに余計な熱の消費が少なくていいだろうと、心の底から思っているのだ。

即ちカミヤのこの一見ぶっきらぼうに見える態度はしかし、己がひどく口下手でいつだって何かを伝えるには言葉と知識が多く不足の状態であるという事をちゃんと認識していて、だからこそその未熟な己が下手に多くの言葉を重ねるよりも、己より言語能力に優れている相手が己の思考や疑念を完全に読み取って答えてくれた方が互いの熱消費量が少なくてすむだろうと、一応は強い相手に敬意を払い且つ強い相手の事を慮っているつもりの、己の弱さを受け入れて己より強い相手に教えを乞うているつもりの態度なのだ。

とはいえ、カミヤのこの、他の普通の人からすれば言葉足らずで甘ったれの幼稚にしか見えないだろう態度が一応はカミヤなりの思いやりの結果から発生しているものだとわかるのは、カミヤの側で同じ時を過ごしてきた私くらいのものだろう。言葉の不足や不器用の態度はいつだって知らぬ他人の不理解を招くものなのだ。

「いや、悪い。俺の言葉が足らな―――、いや勘違いさせるような内容の事をあまりに一方的に喋りすぎたか。いや、何、お前さんらを馬鹿にするつもりはまったくなかったんだ。気に障ったのなら謝ろう」

けれど目の前の老人はそんなカミヤの言葉不足で不器用の態度にたいして戸惑う様子も見せず、むしろ自らの言動が悪かったと謝罪の言葉を口にした。老人の言動はまさしく大人の対応だった。老人の態度には今の時代の人間にしては珍しく落ち着きと余裕があった。

「お前さん達みたいな組み合わせは珍しいから、つい浮かれちまった。ここにゃ客が滅多にこねぇから尚更だ。あと多分緊張と若干以上の興奮と、それと幾分かの警戒心がこっちにあったってのも確かだろう。初対面の奴とツラ合わせする時にどう接していいかよくわからんって気分や肌や気持ちがピリピリしちまう感覚はお前さんもわかるだろう? ―――な?」

「……ああ」

 老人の詳細な説明を聞いたカミヤの表情は一気に柔らかいものとなった。老人の説明の言葉と余裕ある態度がカミヤの不信感を完全に拭い、互いの間にあった溝を見事に埋めたのは明らかだった。

「カロン」

「あ?」

「俺の名だ」

「……カミヤだ」

「カミヤにミウミ、か」

「……? アンタ、なんでミウミの名前を……」

「何故ってお前さっき自分で嬢ちゃんに尋ねるときに言ってたじゃねぇか」

「……そうだったか?」

「―――あぁ……、まぁ、いいや」

 会話を続けていたカロンは呆れた表情を浮かべた。

「……ところでカミヤ」

「なんだよ」

「平気な顔してるが、お前さんそろそろ限界だろう? 悪いこたぁ言わねえ、“足”、一度止めた方がいいぜ」

 カミヤの顔が強張った。カロンの見抜きと指摘に驚いたのだろう。とはいえ、私は別に驚くほどの事ではないだろうと思った。だってカミヤの“足”はもうフラフラなのだ。

 こうして会話をしているさなかも、カミヤは一時として安定して飛んでいる時間が存在していないのだ。

「……」

けれどカミヤはカロンの忠告を聞く様子を見せなかった。それどころか、言葉に答えようとすらしなかった。昼夜が逆転する時刻接近に伴い、風車塔周囲の気流の乱れは強まっており“足”に慣れていない己の体が悲鳴をあげているのは己自身が一番わかっているだろうに、カミヤはカロンの正しい忠告に従うどころか、その事実を是として認める言葉を発しようとすらしない。それはきっとカミヤが己の体の悲鳴が上げていると認める意味の言葉を発すると、つまり弱音を発してしまうと、その事実がやがて現実になってしまうと心底思っているからだ。カミヤは弱さが嫌いで、弱い自分が嫌いで、弱い行為を取る事が嫌いで、それを認める言葉が嫌いなのだ。

だからカミヤは、たとえ慣れない“足”の操作によって肉体と精神の疲弊が頂点にあっておぼつかない状況になっていようと、首を縦にふらないのだ。

「無理してくたばるのがテメェだけなら、その強がりを止めろとは俺もこんなこと言うこたぁなかったんだがね」

そんなカミヤの気質や性格や想いをずばりと見抜いたかのような鋭い言葉をカロンは私の方へと向けた。

「素直に忠告聞いといたほうがいろいろ損しないと思うぜ」

カミヤの視線がカロンの鋭い言葉に誘導され、こちらへと向けられた。直後、カミヤは一瞬だけ呆けた表情を浮かべたのち、全身から力を抜いた。行為に、体から意固地の強念が霧散してゆくのを感じられた。

「―――あぁ……、アンタの言う通りだな」

そして全身から力を抜いたカミヤの“足”は塔の周辺に吹いている強い風の流れに沿って動かされていった。しかしまぁ『損をしない』とは、またなんとも熱の損失を嫌うカミヤを納得させるのに上手い言い方だと思う。相手が納得する説得の言葉を瞬時のうちに導き出せるあたり、カロンという老人はきっと未熟なカミヤと違い、これまでに同様の事を何度も繰り返して、自身の経験として積み重ねてきた人なのだろう。

「いい子だ」

周囲の熱の流れに身を預けだしたカミヤを見て、カロンは笑みを深めた。

「褒美に良いものを見せてやろう」

「良いもの?」

「多分、お前みたい頑固で意地っ張りでもの知らずの旅人みたいなのにとってはな。―――ついてきな」

言うとカロンは風車塔の屋上、鐘のある辺りへと向かい下降していった。カロンの“足”捌きは見事なもので、風車塔の周囲、カロン通った後の空間は、荒れる気流が整えられ、気圧が調整され、通り道が出来上がってゆく。風車塔屋上の積乱雲内部や付近というもっとも熱と風の調整が難しい環境においてそれらの流れを適切に操作し、後に続く誰かの為に安定した熱の通り道を生み出す。それは今のカミヤには決して出来ない所業だ。

それを見たカミヤは、にやりと唇を枉げて笑った。

「―――ああ……。ついていくともさ」

カロンは今の己より強い。カロンは今の己が持っていない、奪う価値のある熱を持っている。カロンの所業にその事実を認めざるをえなかったのだろうカミヤは、その後ただの一言も文句を口にする事なくカロンの残した熱の通り道を用いてカロンの後についてゆく。口惜しげで、不貞腐れても見えて、それでいてとても嬉しそうな熱っぽい表情を浮かべるその時のカミヤの“足”捌きはその時、これまでで一番上等なものとなっていた。


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