第1話『カミヤ』(4)
呆然としていたのはたしてどれくらいだったのだろうか。気付いた時にはアリュアッテスという男は、完全に消えていなくなっていってしまった。それはあまりにも己の想像の外側にある光景だった。思い返し、今しがた自分が見たアリュアッテスはもしや白昼夢か幻だったのではないだろうかという想いすらも湧き上がってくる。
「……っ!」
けれども現実を幻想の中へと落とし込める行為を拒むかのよう、みっともないと責めるかのよう、右手の拳の中に灼熱が生じ、考えを中断させた。生じた熱さに驚かされて反射的にいつの間にか握り込んでいた右手の拳を開くと、開いた掌の上には光り輝く一枚の板が乗っていた。
「これは……」
板は金色に輝いていた。金色の板には複雑な模様が刻まれていた。意匠は多くが理解の出来ないものだった。けれど、金色の板のその全体の形状には見覚えがあった。
「―――……」
それの模様はまるで鳥の羽のようだった。掌の上に乗る金色のそれを握りしめると、先程とはうってかわって生温い熱を関連する知識なんかと一緒に己の中へと与えてきた。
「わけわかんねぇ……」
掌の上で金色に輝いているそれ―――プレートと呼ばれる道具に残されている、つい今カミヤという己の中に刻まれた知恵や知識や経験や熱は、空を飛ぶ為に必要となるそれらだけだった。
伝わってきた知恵や知識や経験や熱から、あのアリュアッテスという男は今、確かに、今のカミヤという己が最も欲しかった力や熱だけをこのプレートの中に残して逝ったのだと理解させられた。
「なんだったんだ、あんた……」
勝手に現れ、勝手に納得して、勝手に熱を与え、勝手に満足気な顔して消え。
「あぁ、もう、くそ―――」
気に食わない。なんて自分勝手な野郎だ。イライラする。ムカムカする。騒ぐ腹の虫が治まらない。
そうだ。だいたい俺は―――
「……くそっ!」
そう。カミヤという己はアリュアッテスという男が、一目見たその時から気に食わない奴だとそう思ってた。だってアリュアッテスはまさしく熱の塊だった。この男は多分俺の理想の成れの果てなのだと直観させられた。あらゆる熱を収集し続けた先にある答えの存在なのだと思った。カミヤという己が目指す一番先端の場所にいる存在なだと思わせるだけの熱量と気配がアリュアッテスにはあった。
「アリュアッテス……」
皺だらけの顔が気に食わなかった。俺よりも背が高いのが気に食わなかった。どんな時もわかったような顔でいちいち探りをいれてくるのが気に食わなかった。いちいち余計な熱視線を向けてくるのが気に食わなかった。俺より薄い格好の癖に平然としているのが気に食わなかった。自然に靴を消してみせたのが気に食わなかった。けれど唯一、扉を閉じて、部屋の光が消えて狼狽えた時は少しだけ面白かった。気にいった。
「あの……」
だから話を聞く気になった。話をする気になった。ミウミの事でわからないところを聞いてみる気になった。わからない時にわからない事を強い奴に聞くのはほとんど癖みたいなものだった。だから聞いた。
「あのクソ野郎……」
けれど聞いても返ってくるのはわけのわからない言葉ばかりだった。
アリュアッテスの話は聞いたところでちっとも分からない言葉だらけだった。
聞いたのにわけのからない答えばかりを返されるのは初めてだった。
欲しいと思った答えがきちんと返ってこなかったのも初めてだった。
「アリュアッテス……」
だから欲しいと思った。その熱を奪いたいと思った。けれどアリュアッテスは、その熱を俺が奪うよりも前に勝手に消えてしまった。代わりにこんな“足”のプレートなんて余計なものを置いて失せていってしまった。
「―――」
欲しかったのは、奪いたいと思ったのは、こんな“足”のプレートなんていう熱と力の塊ではなかったのだ。欲しかったのは俺の先にいるアリュアッテスが持っていた、アイツの熱だったのだ。アイツ自身が持っていた、訳が分からないと思った、俺にとって理解不能の不明の熱だったのだ。
「クソッ」
だからこそそんな熱が、自分より強い存在がこうも呆気なく消え失せてしまったという事実が、その代わりに生温い理解の出来る強い熱を手にしてしまったという事実が、ひどく気に食わなかった。だってだとしたら己もいつかこんな風に呆気なく誰かに生温く理解出来る強い熱を託して終わりを迎えるかもしれないではないか。
「……気に食わねぇ」
アリュアッテスは多分俺を憐れんでいた。
アリュアッテスはきっと、カミヤという己が熱を奪い続けた先にある未来を拒絶した。
だからアイツはそんな未来につくだろう俺を憐れんで、施しを与えていったのだ。
「“足”……」
アイツはきっとこの“足”で世界を歩いて、俺のところまでやってきた。そうやって俺の上からやって来て、俺の未来を勝手に見定め、見下し、憐れんで、そんな風に上から目線を保ったまま、そのうえカミヤという己に便利な道具だけを残して、世界から消え失せていきやがった。
「空を飛べるようになるプレート……」
それが気に食わなかった。アリュアッテスが残していったプレートの存在が、それが確実にカミヤという己にとって役立つものであるという事実が、苛立ちの想いと熱を大きくしていた。
一般に“足”と呼ばれるエア・カーの実現と操作を可能にするこのプレートを用いたなら、カミヤという己の行動範囲と進行速度は格段にあがる。きっとこのハーシェルから出るのに四半日かかることはあるまい。
この“足”のプレートは、カミヤという己が全力で走った場合の数十倍以上もの速さの旅と前進を実現する、そんな途方もない力を与えてくれる非常に優秀な道具なのだ。
それこそが自分の与えられてしまった生温い熱の道具の正体で、プレートだ。
「こんなクソッタレみたいなもん、無理矢理押し付けていきやがって……!」
今朝までのカミヤという己ならきっと即座にこんな気に食わない熱なんて捨てていたと思う。
だってこれは他の存在が俺の意思を無視して勝手に与えてきた勝手な熱だ。
期待という名の他人の生温い熱だ。受け取った瞬間から重荷になる熱だ。
自分以外の余計な生温く重い熱を受け取る余裕なんてものが、少なくとも今朝までの己にはなかった。
昨日までのカミヤという己には、今朝までのカミヤという己には、その熱に耐えるだけの強さがなかった。
……けれど。
「……そうか」
けれど。
「あんたもこういう感じだったのか」
カミヤという己はアリュアッテスと遭遇するつい寸前に変わってしまった。
己の意思であのボス猿から、それが出来る熱を、誰かの期待を受け止められる熱を、奪ってしまった。
望む、望まないに関わらず、託されてしまった。
背負い、前へ進んでゆく事を望まれてしまった。
そういう前への進み方もあるのだという事を理解させられてしまった。
そんな風に前へ進める方法を与えられてしまった。
そういう前へ進む事が出来るようなってしまった。
以前よりももっと前へ進めるようなってしまった。
「だったら……」
だから、行く。
「行くしかねぇか……!」
「……カミヤ?」
決心した途端、ミウミの声がした。視線を声の方へ向けると、身を起こしつつ首を斜めに傾げるミウミの姿が映った。多分アリュアッテスの発した光と熱とこの“足”の道具がミウミを起こすきっかけになったのだろう。
「ミウミ……」
その事実に確信させられる。
―――アリュアッテス
俺はアイツの事が嫌いだ。勝手に期待の熱を寄せては消えてゆくだなんて、あまりに迷惑だ。気に食わない。心の底から気に食わない。けれど、カミヤという己は託されてしまった。託された熱は生温い熱だったけれど、強い熱だったけれど、そんな生温く強い熱をカミヤという己へ託そうとするアイツの顔には真剣に満ちていた。体は、瞳は、熱い熱に満ちていた。そうしてカミヤという己はアイツに前に進む為の力を与えられてしまった。アイツの熱を、真摯な想いと誠意を受け取ってしまった。
ならば。
「行くぞ」
その真摯さと誠意と恩には報いる必要があると思う。少なくとも、他人の真剣の熱を『なんだそんなもの』と捨て去っていた頃の己へと戻ってしまうようでは、カミヤという己はきっと求めている熱へ永遠に辿り着けないだろうという予感が、今の俺にとっては強いと感じられるそんな言葉を容易に口から飛び出させていっていた。
「……うん」
ミウミはいつも通り何も言わずにカミヤという己の言葉を受け入れた。
態度に改めて確信を得る。
欲しいものはいつだって自分の世界を新しく更新したその先にしかなく、そして、今の自分には見えていないそんな場所へ辿り着きたいなら、つべこべ言わず前に進んで強い熱を強引に奪い続けるしかないのだろう、と。
「もうここには戻らない」
言いながら玄関へと進み、アリュアッテスの閉じた扉を開けた。
「うん」
ミウミの声が後ろから聞こえると同時―――
「―――」
途端、陽光が部屋の中へと飛び込んできて、カミヤという己の全身を包み込んでいった。その光はやがて入口と反対側に開けてある穴から飛び込んでくる光と結びついて明るさ増すと、部屋から闇を完全にかき消した。
気付いた時には外と中の境界は完全に失われていた。
「行くぞ」
「うん」
玄関で靴を履いて外へ出るとミウミが側へとやって来た。俺より小さいその体を抱え込むと、空を見上げた。森の上の空には霧も雲も見えなかった。快晴のいい気分に任せてアリュアッテスに与えられた力を使い大空へと飛翔した。カミヤという己はそして与えられた“足”によって、見た事ない高さの場所へ押し上げられた。
「お―――」
辿り着いた空の上、見下ろした光景に見惚れる事が出来たのは一瞬だった。
―――寒い
上空は凍える寒さだった。雲と同じ高さ、暖かそうに見えていた場所にはけれど驚く程熱がない事を知った。
―――アリュアッテスたちは、いつもこんな場所を平然と行き来していたのか……
「どこに行くの?」
驚きと余韻と躊躇いを吹き飛ばしたのは、水色の薄服纏っているだけのミウミだった。
「―――あっち」
薄手の格好なのに平然としているミウミの様子に少しばかりの情けなさを覚えつつ、なんとなく太陽のある方を指さした。なんの目印もない上の空では、そんな場所において最も目立つ、その上、最もこの身に熱を与える存在に近づいてゆくのが一番正しい前への進み方であるように思えたからだ。
「東……」
ミウミが呟く。東と呼ばれる空に浮かぶ太陽は、いつも通りの無関心さで俺たちのやりとりを見守っていた。
余熱の陽炎 1話 「カミヤ」 終了
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