神の贋作は無垢に触れる -3
侍従役とは、早い話が花形の役割である。
祭司や院長の仕事の手伝いや身の回りの手伝いを主にする役で、規則正しく菜食中心な食生活を置けるシスター達の中でも祭司と共に外へ行ける関係から外の食事……主に魚や肉類を食べる機会もある。教会外との交流も基本的に多く、人気はもちろん高い役割とされている。
そんな役割に今まで目の敵にしていた、その上嫌われている元院長のお気に入りがなったと知れば状況がどうなるかはもちろんわかっていて。
「……リベリオ様、やはりこの侍従役の件お断りするというのは」
「どうしました?」
「……いえ、なにも」
有無を言わせないような威圧的な声に、つい言葉を濁した。
エヴァがリベリオの侍従役になった。
その事は瞬く間に教会中へ広がっていき、数時間経った今では知らないシスターはいないのではというほどだった。
(娯楽に飢えている場所は、本当に伝言ゲームの広がりようが早い……)
基本的に、シスターに役割が与えられる場合は院長と副院長の承認がいる。エヴァも例に漏れずその過程を踏んでいるからこそ、情報はその周辺から出たのだろうと容易に想像できる。
それにしても情報はあまりに早く、執務室に穴が空いているのではないかと一瞬考えたくらいだ。
まだマーレット教会周辺に慣れていないからと外を見に行くリベリオに付いたエヴァは、回廊へ出るなり声の波に溺れてしまいそうになる。
『なんであの役立たずが侍従役になるのよ』
『なんか色目でも使ったんじゃないの?』
「っ……」
視線の先へ目を向けると、案の定心の声にはトゲがある。
慣れてはいるものの今回のように直接的なものは珍しく、つい溜息を零してしまった。清廉潔白なシスター達が、蓋を開ければ嫉妬と世俗に染まっていると誰が想像するだろうか。
「なにか聞こえたのか」
周りに誰もいないのを確認したリベリオが、小さな声でエヴァに話しかける。
「それはもう、侍従役へなった私への恨みつらみが」
『……かなり言われているみたいだな』
表情には出していないつもりだったが、リベリオにもエヴァの気持ちは伝わっていたらしい。
「……一つ、聞いていいか」
「なんでしょうか」
「そこまではっきりと声が聞こえるなら、誰の声かわかるんじゃないか? それなら声が聞こえる事を言わなくても、なにかしら対策ができるはずでは」
「それは……今のが明確に誰の声だったのか、はっきり知りたいと思わなかったので」
「知りたいと思わない……?」
どうやら、そこにリベリオは引っかかったらしい。
顔をしかめているリベリオを見て、エヴァはそうか、とある事に気づく。そうだった、リベリオには結局この能力の仕組みを教えていない。
「そうですね、リベリオ様にはご説明します」
エヴァも周りに人がいないのを確認して、どこから教えるべきかと言葉を選ぶ。
「まずはこの能力の前提ですが、顔を合わせたばかりの時には効果がありません。この時顔は一度見ればいいです、そうすれば意識を集中しなくても、髪を含む相手の事が目に入っている時に聞こえます」
「……なら、どうやってピクシー様を」
「それは、ピクシー様に告解を受ける前提がミサに出ている事だからです。ミサなら、私も顔を見る事ができます。告解部屋を始めた当初、先生が噂と称してその事を流してくれたので今でもこれは守られています」
そんなエヴァの説明に、リベリオは素直になるほど、と言葉を零す。
「ただこの能力、リベリオ様が思っているほど万能でもないのです」
「万能ではない……? 人の心の声がわかるだけで、じゅうぶん万能だとは思うが」
不思議そうに首を傾げるリベリオは、意味がわかっていないと言いたげだった。確かに、傍から見れば人の心の声が聞こえるだけで万能だろう。けど、エヴァはそう思えない。
「不便なのは二点、まずはあまりに強く隠したい言葉……願いや願望、強い欲望は上手く聞き取る事ができません。ノイズのように聞こえます」
「ノイズ……全部が聞こえるわけではないのだな」
「はい、実際強ければ強いほどノイズは大きくなります」
エヴァとしては、あのノイズが得意ではなかった。
ノイズのざりざりした音が得意ではないのがもちろんだが、それが聞こえたという事は相手の奥まで踏み込んでしまっているという意味になる。それは、エヴァも気分がいいものではない。
「なるほどな……で、もう一つは?」
「心の声音と本来の声音は、違う事が多いです」
「違う事が、ある……?」
「はい」
リベリオの声音は心のものも本来のものも驚くほどに変わらないが、今それを言うのはやめておいた。
「普段は優しく柔和な方でも、告解部屋へくると荒々しい言葉遣いや声になるなど珍しくない事……むしろ心の声は人の内面を表しますので、そちらの方が普通なのです」
今までにも、数え切れないくらいあった。そしてその逆も。
厳しいと評判の商人の声を聞いた事があるが、彼の心の声は驚くほどに優しかった。
思えば彼の下で働く人達も厳しいとは言うが恨みを聞いた事はなく、おそらく心の声が聞こえずともそういった彼の優しさが働いている人にも聞こえていたのかもしれない。
「……そんな事もありますので、意外とその人の方へ顔を向けていても大人数が固まっていると誰の声かわかりません。告解の赦しも、相手が誰かわからないのが日常茶飯事です」
「そうか、覚えておく」
『それでも心の声が聞けるだけですごいだろ、彼女はこれで役立たずだと思っているのか?』
「っ……」
思っている事が聞こえて、つい肩を揺らした。
エヴァにとって、この能力はそこまで都合のいいものでもなくむしろいらない能力だった。だからこそ、そんな言われ方をするのは反応に困ってしまう。
(まさか、私の反応を見るのを面白がるためにわざと聞かせたのでは……)
一瞬だけそんなひねくれた事を考えてしまったが、リベリオにとっては無意識のものだったらしい。
エヴァがじっとリベリオの顔を見ると、不思議そうに首を傾げている。
「どうした?」
「……いえ、なにも。ちなみに門はこの角を曲がった方が近いですよ」
ごまかすように、目線を逸らす。
少し前を行くように歩くと、そんなエヴァの後ろを追うようにリベリオも足を動かす。心の声が聞こえないようにそちらには絶対顔を向けずにいると、門に着く前にエヴァは他の所へ意識が向く。
「あれは……」
門の手前で、ふと人影が目に止まった。
エヴァはその人の事を、知っている。
「リリア……?」
「あれ、エヴァ?」
エヴァと同じシスターのリリアが、おぼつかない足取りで歩いていた。
「シスターエヴァ、彼女は……」
「マーレット教会世話役、リリアでございます」
祭司の仮面を瞬時に被ったリベリオに、エヴァも合わせるように説明をする。
「はじめまして、ごきげんようシスターリリア。私は先日からこちらにきました、祭司のリベリオです」
「リベリオ様……! ごきげんよう、世話役のシスターリリアと申します!」
世話役は、教会にくるスラムの子どもや孤児院で面倒を見るシスターの事。主に読み書きや遊びを教える彼女達は、食べ物をスラムなどで分け与える慈善役と並び表に立つ看板的な役割だ。比較的柔らかい性格のシスターが選ばれるそれは、例に漏れずリリアもその一人だった。
「どうしたの、こんなところで……今日は確か子どものくる日じゃ」
「うん、そうなの。今送ってきたところ」
スラムは治安が悪く、人攫いも横行していると聞く。子どもという抵抗する術が少ない存在は一番のターゲットであり、それを心配したリリアはよくスラムまで送り迎えをしているとエヴァも聞いた。
けど、それにしては。
(なんだか、リリアの表情が暗いような……)
リリアはシスターでも前院長派であり、エヴァと話す機会も多い。エヴァの知るリリアはもっと優しく、絶えず笑っている印象だった。
『本当に、どうしたのかな……』
「……ん?」
なにを、心配しているのか。
リリアにしてはかなり弱気なその声に、エヴァも思わず反応をしてしまう。
優しくて、共感性が高いリリア。そんな彼女がここまで弱々しい返事をするという事は、なにかがある。
「……リリア、なにか悩んでいる事とかない?」
「……エヴァ?」
つい、言葉をかけてしまった。
最初はそんなエヴァに驚いた表情を浮かべるリリアだったが、すぐにあのね、と言葉を選んでいる様子だったがまた首を横に振ってしまう。
「――んん、大した事ではないの、私が心配性なだけかもしれないし……」
『けどやっぱり、心配だなぁ……』
言葉と考えてる事がかなりぶれていて、聞いている方が不安になるほどだった。
どうしたものかとリベリオの方へやっと視線を向けると、それに気づいた彼も反応するように首を縦に振る。
『俺から話を振れって事だな』
そこまで言ったつもりはなかったが、とりあえず伝わったらしい。あいにくエヴァには、優しい言葉も気の利いた行動力も一切ない。リベリオの方が適任というのは、じゅうぶんわかっていた。
そこまでの真意が、リベリオに伝わったのかはエヴァにはもちろんわからない。
ただリベリオはそっとリリアの方へ視線を合わすと、エヴァに見せる素ではない、人の良さそうな祭司としての表情を貼り付けている。
「シスターリリア、よければ私にもその話を聞かせてくれませんか?」
「リベリオ様……」
やはりこの男、顔はいいのを無意識に武器にする部分がある。
優しく微笑みかけられたリリアは少しだけ頬を赤らめると、すぐに言葉を選んでいるのか目を伏せていた。
「本当に、私が心配性なだけだとは思っているのですが……最近、教会にくる子ども達が少ないのです」
「子ども達が……?」
「はい、前々からくる日にばらつきはありましたし、もちろん強制ではありませんのでこなくてもいい話です……ただ、ここ最近のマーレットは移民や宗教問題で治安も悪化しております」
(確かに、その話は私も聞く……)
ここ数年のマーレット教会周辺は、かなり治安が悪くなっているのが実情だ。
元々問題になっていた宗教問題に輪をかけて、移民の問題。ただの喧嘩ならまだしも、治安が悪くなるにつれ窃盗や人攫いの犯罪も横行していると聞く。
(それに、テロ紛いの集団も……)
教会から滅多に出ないエヴァは噂に聞く程度だが、現教皇に変わってからヘロンベル教内でもよくない動きがある。
お人好しの教皇様、それを良いと思う信者がもちろん大半を占めている。しかしそれは、あくまでも大半がそうであるだけの話。
すべての人々に対する救済を掲げる教皇と、神の教えはヘロンベル教徒への救済でありすべての人々の救済ではないと主張する一部の教徒。交わる事のない主張はやがて過激派を生み出し、その人々が教徒以外をターゲットに犯罪に手を染めているという事はエヴァも知っている。
おそらくだが、リリアが言う治安についてはその点もあるのだろう。
「それにあの子達はほとんどが旧市街やスラムの孤児だったので……なにか理由があるにしても、ご飯がちゃんと食べれているかが心配で」
『もしあの子達に、なにかあったら……』
「リリア……」
心の声もまったく同じで、エヴァの方まで息が苦しくなる。子どもの事を心配する彼女の声は本物で、聞くだけ聞いておしまいともできない。しかし同時に、今のエヴァにはなにかをするほどの力を持ち合わせていない。
そんな重い空気を破ったのは、他でもないリベリオだった。
「なるほど、事情がわかりました」
優しい笑みを貼り付けたままのリベリオは、リリアを安心させるためなのか目線を合わせたまま頷いている。なにを言いたいのかわからずエヴァがその様子を見ていると、まるで閃いた表情を浮かべながらシスター、と今度はエヴァの方に顔を向けてくる。
なにかろくでもない事だろうとエヴァが考えていると、エヴァの考えは当たってしまったらしい。
「そのシスターリリアの悩みを、私とシスターエヴァで調べましょう」
「…………は?」
「ほ、本当ですか……!?」
リベリオの言葉が理解できず声がうわずるエヴァと、目輝かせながら顔を上げるリリアは正反対の反応だった。
「もちろん……シスター達の不安を取り除くのも、祭司の立派な勤めですから」
偽物祭司でどの口が言っている、と考えたが、言葉にはしなかった。
「……リベリオ様、その」
「もちろん、シスターエヴァも協力してくれますよね?」
「っ……」
有無を言わせない言葉と貼り付けたような笑みは、祭司というよりもどこかのペテン師に見えてしまう。
ここ数日でエヴァは理解している、この表情をしているリベリオは話を聞かないと言う事を。
(どうしたものでしょうか……)
ただ、エヴァとしてもリリアの力になりたいという気持ちが同時にある。自分から面倒事を引き受けるリベリオの考えは読み取れなかったが、なにか助けになりたいという気持ちはエヴァも一緒だった。
けど、どうやらそれだけではない。
『もしかしたら、あいつの事でなにか情報が得られるかもしれない……』
(……あいつ、とは)
リベリオから聞こえてきた言葉は、心からのものだった。
あいつとは、情報とはなにを言っているのだろうか。
気になってしまいつい意識を集中してみたが、それ以上はノイズがかかっていて上手く聞き取れない。
ざりざりとした音だけがエヴァに響いて、しこりのように残るだけだった。
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