神の贋作は無垢に触れる -4

「リベリオ様、後先を考えて行動をするという言葉はご存知でしょうか?」

「……藪から棒になんだ」

 少しだけ感情的に言葉を投げかけたエヴァに、祭司の仮面を外したリベリオは理解できないと言いたげに目を細めている。しかし今理解できないのは、エヴァの方だった。

「なんでも人の話を聞いてはいけません。いくら祭司だからと言っても、シスターの悩みをすべて聞き受けるのは難しいと思います」

 エヴァの言葉に、なにかを思ったのか。

 リベリオは一瞬だけ考える仕草をするが、すぐに肩を落としながら薄く笑っている。

「これが、母の教えだからだ」

「母君の……?」

 エヴァの知らない言葉で、つい反応をしてしまう。

「俺の親父……現教皇は、洗礼を受ける前までは普通の信者でしかなかった。子どもを五人育てて、少し小さな家で過ごす。家に帰ると母がいて、暖かいスープを飲む。それが今の教皇が考えている幸せの根本だ――世間で言われている通り、正真正銘のお人好しだよ」

 なにかを懐かしむように目を細めたリベリオは、思い出すように遠くを見ていた。

(そう言えば、今の教皇が聖職者になった理由は……)

 エヴァも、聞いた事がある。今の教皇は生まれながら聖職者になったわけではなく、最初は家庭を持っていたと。しかし妻の病死がきっかけで聖職者となり、やがて教皇という地位まできたのだと。つまりリベリオの母親は、もう。

「人の助けになれ、人の救いになれ。困っている人がいるならば手を差し伸べる事で、その救いは自分に返ってくる」

『だから俺は、あのシスターに手を差し伸べる』

 淀みのない、真っ直ぐな言葉だった。そして同時にエヴァは、彼の性格に納得してしまった。

(リベリオ様は、暖かい環境で育ったのですね)

 リベリオの根本には、暖かい母親の言葉がある。

 それがエヴァにとっては、少しだけリベリオの母親を想像して羨ましくも思えてしまった。けどそれも、一瞬だけ。小さく首を横に振ると、タイミングを合わせたようにリベリオはさて、と言葉を続けてくる。

「シスター仕事だ、子ども達の行方について聞き込みをするぞ」

「聞き込みって、そんな大袈裟な」

「大袈裟ではないぞ、今の状況ではその子ども達についてなにもわからないだろ?」

 リベリオの言う通りで、顔をしかめる。

 ただその聞き込みというものに対して、エヴァは大きな懸念点があった。聞き込みはエヴァの能力とは違い、直で話を聞いて状況を整理する事だ。つまり、相手が誰であろうと声をかける必要がある。それが、エヴァの事を毛嫌いしているシスター達であっても。

 けどそれよりも。エヴァが考えた懸念は他にもある。

「あぁけど安心しろ、実際に聞くのは俺が――」

「……問題ありません、私がやります」

「……本気で言っているのか?」

 リベリオも、驚いた様子で目を丸くする。

 もちろん、エヴァは本気であった。

「もちろんリベリオ様にお願いしたいところですが、ここであなたにお願いをして他のシスターが寄ってきては仕事にも聞き込みにもなりません」

「それはまぁ、確かにそうだが……」

 こればかりは言い返せないようで、リベリオは少しだけ不服そうではあったが首を縦に動かす。

「それに、リベリオ様はまだこの教会にきて日も浅い……シスターから人気があるとは言え、まだ私より信頼は勝ち得ていないと思います」

「それは君も似たようなものだろ……」

 まったくもってその通りだったが、それでもエヴァはリベリオの話に聞く耳を持たない。ここで持ってしまっては、結局リベリオが話を聞く事になるとわかっていたから。

(私が聞いても厄介だけど、リベリオ様が話を聞いた時の方が厄介になる……)

 もちろん乗り気ではなかったが、リベリオが聞き込みをしたとして噂の祭司と話す機会が欲しいシスターが集まった姿を想像すると、そちらの方がエヴァは避けたかった。

 それをやっては話の終わった後でエヴァに何かしらの声が向けられる可能性があり、ならば自分から聞いて普段と変わらない声を聞いた方がまだマシだと判断した。

「……わかった、しかし横にはいるからな」

「それはもちろん」

 そもそも事の発端はリベリオなのだから、どこかに行かれてしまってはエヴァも困る。

 少し食い気味に返事をしながら、エヴァはつい肩を落としていた。

(この方が教会にきてから、振り回されてばかりだ……)

 エヴァはただ、告解部屋にいる事ができればそれでよかった。告解部屋に答えがあると教えてくれた前院長の言葉と、母らしき人の優しい声。それが残るあの部屋だけで、それだけでよかった。

 それなのにこの男、リベリオはエヴァの首根っこを掴むように告解部屋から引っ張り出し、失踪事件の解決に協力しろと言ってきたのだ。教皇の息子じゃなければ、エヴァは今頃リベリオを院長に偽物祭司として突き出しているだろう。

「……仕方ありません」

「なにか言ったか、シスター」

「いえ、なにも」

 こうなってしまった以上、エヴァも協力する他ない。

 なによりもそれは自分の居場所、告解部屋を守る事に繋がるのだから。

「まずは誰に声をかけるか、ですね……」

 シスターと言っても、マーレット教会には多くの人間が在籍をしている。

 世俗に染まっているとは言え仮にもシスター、それぞれが役割や仕事を持ちせわしなく動いている姿を見る。勝手に姿を見て声を聞くのももちろん手だが、都合よくリリアの件を考えてくれるのはそうそういないと思うと、やはり声をかける他なかった。

「お、シスター、あそこに見える二人はちょうど手が空いているのではないか?」

「あそこと言いますと…………そう、ですね」

 リベリオの目線の先にいたのは、そばかすが印象的なシスターと少しつり目のシスター。どちらも話した事はない相手だが、聖具管理の役だった事は記憶に残っている。

(確かあの二人は現院長派だけど……仕方ない)

 ゆっくりと、呼吸を整える。

「行って参ります」

「俺もって、シスター待て、置いていくな」

 スタスタと早足で歩くエヴァは、リベリオを置いてあっという間に二人のとこに近づいてしまう。

「ご、ごきげんよう」

「…………ごきげんよう」

「…………」

『なによ、役立たずが声なんかかけてきて』

「っ……」

 息が、止まるかと思った。

 ここ最近リベリオやアンナ、リリアと言った周りの心の声ばかり聞いていたからなのか、慣れていたはずのそれに肩を揺らしてしまう。聞こえた心の声はかなり鋭く、エヴァにとっては刃のように突き刺さった。

(しかし、ここまできたら下がるわけにもいかない)

 だからエヴァは覚悟を決めるように、ふぅ、と深く息を吐く。

「お忙しいところ失礼、少し伺いたい事があるのですが」

「……暇じゃないの、私達」

『聞きたい事なんて出しゃばって、侍従役になったからって調子に乗っているんじゃない?』

(その声聞こえています、なんて言ったらどう反応するのでしょう)

 つい意地悪な事を考えてしまったが、また噓つき呼びされては意味がないからやめておく。

 あまりに協力的ではないその態度にどうしたものかと悩んでいると、ふと自分の前に影ができる。それがリベリオのカソックである事は、すぐにはわからなかった。

「失礼、彼女に話を聞くよう指示をしたのは私です……協力をいただけるととてもありがたいのですが」

「り、リベリオ様」

「ごきげんよう、もちろんでございます!」

 リベリオが出てきた瞬間顔色を変えた二人は、慌てた様子で挨拶をした。

『置いていくな』

 聞こえてきた声は、少し拗ねている。だからと思い謝罪の気持ちを込めて、エヴァは小さく頭を下げる。

(拗ねているけど、私の事は考えてくださっている)

 自分の背中でエヴァの視界に二人が入らないように、しかし二人から見ればエヴァの姿がはっきりと見えるその位置は、エヴァ本人としても正直ありがたかった。

 落ち着いてきた脳内を整理して、言葉を選ぶ。

「世話役であるリリアの面倒を見ていたスラムの子ども達が、最近教会へこないそうです。ただこなくなった、だけならそれに越した事はないのですが近年のスラムは大変危険な場所ですので念のためと。それをリベリオ様と私は、調べているところです」

 内容を話せば、理解をしてくれたらしい。

 二人は一瞬顔を見合わせると、隠しているのではなく素で首を傾げていた。

「リリアのとこの……? 知らないわ」

「そもそもリリアとそこまで仲がいいわけでもないから」

 そうだった、とエヴァは肝心な事を思い出す。

 この前院長と現院長に関連したシスター間の亀裂は、なにもエヴァだけに限った話ではない。エヴァほどではなくとも仲が良好なわけでもなく、あまり関わる事がない。リリアはエヴァと同じ前院長派なのだから、考えてみれば仲のいい方が不自然である。

 試しにリベリオの後ろから視線を向けても心の声もまったく同じで、嘘はついていないらしい。

「それは失礼しました、ご協力感謝します」

「いえ、リベリオ様のご要望でしたらこれくらい……!」

『リベリオ様からお褒めいただいたわ……!』

 わかったのは、リベリオに向けられる私欲くらいだった。

(殿方が少ない教会内だからこそ、あの反応もわかりますが……)

 神に仕える身がここまでミーハーである事が、心配に思えてしまった。心配してなにかになるわけではないのももちろん知っているため、言葉にはせず。

 リベリオの言葉に気分が高揚した二人は、エヴァを気にする事なく仕事へと戻っていく。そんな二人の背中をしばらく見送っていたが、角で見えなくなったのを確認するとエヴァもリベリオも同じタイミングで深く息を吐きながら肩を落としていた。

「……その顔は、不発だったようだな」

「えぇ、それはもう」

 心の声からもまったく手がかりはなく、どうしようもできなかった。

「本当に、どうしたものでしょうか……」

 諦めるには、まだ早い。しかし同時に手立てがなく、エヴァにはどうする事もできない。こういった時、人との交流がないと困ると改めて実感した。

「あれ、エヴァ?」

 ぐるぐると次の策を考える中で、エヴァとリベリオとはまた違う少し高い声が聞こえてくる。

「久しぶりー」

 そこにいたのは前院長派であり馴染みのシスターで、手にはジョウロを持っている。そういえば少し前に庭園役……草木の世話係になったと言っていたのを思い出していると、彼女はゆっくりとエヴァの方に近づいてくる。

「どうしたの、こんなところで……あら、リベリオ様もごきげんよう」

「ごきげんよう、シスター。シスターエヴァは少々私の仕事に付き合っていただいておりまして」

「なるほど……あぁエヴァ聞いたわ、侍従役になったのですってね、おめでとう!」

『いいなぁ、美味しいお肉』

 妬みなどではなかったが、完全な私欲の声が聞こえてきて素直に返事をしていいのか悩んだ。

 肉料理が確約で食べれるわけではないが、侍従役になるという事はそれほど食に自由があるという意味に繋がる。ありがとう、と当たり障りなく返事をしたエヴァは、そのまま彼女に言葉を投げかける。

「ねぇそうだ、一つ聞きたい事があって」

「え、うん、いいよ」

『エヴァが私を頼ってくるなんて、珍しい事もあるのね』

 そこまで自分は人を頼ってないのかと考えたが、確かにここ最近で人に物事を聞く事はなかった。そう考えてみれば、彼女の言う通りだったかもしれない。

(もう少し、人に頼って方がいいのか……)

 わからなかったが、彼女の声は嬉しそうだったからこそそれが正解なのだろう。

 だからエヴァも彼女に甘えて、話を切り出した――はずだった。

「リリアが面倒を見ているスラムの子どもなんだけど、最近全然こないらしくて……なにか、知っている事はない?」

「っ!」

 その言葉だけで、さっきまで楽しそうだった彼女の顔色が変わった。

 なにかを隠しているのは心の声がなくともわかり、リベリオも顔には出さずとも反応をした。

「……さぁ、私はいつもここで水やりをしているだけだから子どもの事はわからないなぁ」

「けど、子ども達ってここら辺でよく遊んでたよね、なにか話を聞いてるとかないの?」

「な、ないよ全然! 私はない!」

『うぅ、これ以上聞かないでエヴァ、私うっかり言っちゃいそう』

(……うっかり言ってしまう? ならやっぱり、なにかを隠している?)

 もう少し、聞き出すべきなのか。

 ただ聞けば聞くほど彼女も言わない予感がして、どうやって聞き出せばいいのかわからない。

 こういった時人との接し方がわかる人を羨ましく思ってしまうが、口には出さなかった。それよりも、今は目の前にいる彼女から少しでも情報を聞き出さなければいけないから。

『けど、あの子達に口止めされているから……』

(……あの子達?)

 その呼び方をするという事は、おそらく口止めしているのは姿を表さない子ども達本人である。

 ならば、なおさら話が読めなくなる。故意に教会までこないその子ども達は、いったいなにをしているのだろうか。

 そこまで考えたところで、エヴァは小さく首を横に振った。これ以上根掘り葉掘り聞けば彼女が警戒するのが目に見えていて、逆効果だとわかったから。

「……本当に、なにもないの?」

「ないってば、どうしたのエヴァ」

 額には汗が滲んでいて、あからさまに動揺をしている。

 それだけで言葉の裏を取るのはじゅうぶんで、エヴァはなんでもない、と言葉を返した。

「ごめんね、忙しい時に声をかけて」

 エヴァの切り上げる言葉に、彼女は安心した様子で気にしてないよ、と返してきた。心の動揺は丸聞こえだったから、エヴァとしては複雑な気持ちだったが。

 簡単に挨拶をしてその場を離れたエヴァとリベリオは、回廊の角を曲がったところで足を止める。

「……なにを聞いた」

「特には、ひとまず事件性がないという事はわかりました」

『ばっちり聞いているじゃないか』

 リベリオの心の声ももれなく聞こえているが、今のエヴァにとって重要なのはそこではない。

「内容はわかったのですが、なにを隠しているかですね……」

『俺にもわかるように説明してほしいのだが』

「リベリオ様、丸聞こえですよ」

 この男は、心配になるほど心の声が丸聞こえだ。

 それを指摘しながらしばらくなにかを考えるよう目線を落としていたエヴァだったが、ふと思いついたように顔を上げた。

「悩んでいても始まりませんし、危険ではなさそうですからね」

 そんな、少し大きめの独り言を呟きながら、目線をリベリオの方へ向ける。

「リベリオ様」

「……なんだ」

 危険という言葉に対してあからさまに身構えているリベリオを愉快に思いながら、目を細めた。

「今日はこの後、外に行かれるのですよね」

 元と言えば、このまま教会周辺の案内をする事になっていた。ちょうどいいと思いながらリベリオに聞くと、声を聞かずとも顔にそれのなにが関係あるのだ、と書いてある。という事は、外に行くのは確定という話だ。

 ならばと、エヴァは言葉を続けた。


「でしたらスラムも、行かれますか?」

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