神の贋作は無垢に触れる -2
「……それで、どんなお話でしょうか?」
アンナと別れたエヴァは、約束通り廊下の先にいたリベリオに少しだけ声を低くしながら、言葉を投げつける。幸いさっきのような取り巻きはいなくなっていたが、遠くからチクチクと見られているような視線は感じていた。
正体はわかっているがあえて口にせずいると、エヴァではなくリベリオの方が不快感を顔に出している。どうやら彼は、心の声だけではなく顔にも思っている事が出るタイプらしい。
「おま……君は、普段からこんな不快な視線と生活していたのですか?」
「不快ではありません、慣れれば虫のようなものです」
「虫……」
『虫なんて、簡単な言葉で片づけていいものとは思えないが』
そんな事を思われても、この教会で身を置くために慣れも時には重要なものだと思っている。
「わかりました、君と歩く時はなるべく慣れるようにしましょう……で、用件でしたね」
「はい」
「少し、執務室の方まで一緒にきてほしいのです」
「執務室、ですか?」
ヘロンベル教の教会には、数室だが執務室と呼ばれる場所が設置されている。これは祭司や院長、つまり本部から派遣された聖職者達が書類仕事をするための部屋であり、間違ってもシスターを連れ込むような部屋ではない。
前院長の手伝いで何度かは入っているがそれだけで、エヴァも話に理解ができず首を傾げた。けど、そこまでしないと話せない事なのかもしれないとも同時に思う。
「もちろん、問題ないですが」
「では、案内しましょう」
言われた通りリベリオの背中をついて、角を何個か曲がる。教会内でも隅の方に位置する部屋の一つがリベリオに割り当てられた執務室のようで、まだドア名前のプレートが付けられていないそこで足を止めた。
「ここです」
「えっと、鍵は」
「もう開いていますので、大丈夫」
この教会で鍵もかけずにいたなんて、酷く不用心だと思う。
仮にもスラムの子どもや親が出入りしている以上、マーレット教会の中では戸締りが大原則だ。さすがのお坊ちゃまでもそこまではと考えていると、中からなにやら物音が聞こえてくる。
「一人留守を置いていたからね……少なくとも、私よりは優秀です」
ギギ、と少し軋むような音の向こうにいたのは初老のシスターで、リベリオの姿を確認するなり折り目正しく頭を下げている。
「お帰りなさいませリベリオ様……そのシスターは」
「話しておいた、シスターエヴァです」
「まぁ、彼女が例の!」
例の、という言葉はなにを意味しているのだろう。
自分が心の声を聞いていない場面で話題にされるのは複雑な気持ちだなと思いながら、シスターの方へ目を向ける。エヴァの視線に気づいた彼女は、どこか嬉しそうに笑いながら頭を下げてきた。
「ごきげんようシスターエヴァ、私はセレナ、シスター会本部所属でリベリオ様のお付でございます」
『なるほど、リベリオ様が急にシスターを一人仲間に入れると言い出すからなにかと思いましたが……彼女なら安心そうですね』
なにに対しての安心なのかは、なんとなく察してしまった。あれだけ多方面から好奇の目を向けられるリベリオに対し、エヴァはここまで一度もそういった事をしていない。今だって無表情を貼り付けているから、おそらくセレナはそれを言っているのだろう。
『あらいけない、この声も聞こえてるのかしら』
「…………リベリオ様、まさか彼女に声の事を」
「バレましたか、さすがですね」
筒抜けの言葉に、声を低くする。
しかし、話が見えてこない。
セレナを紹介したいだけなら、なにも執務室までくる必要がない。目を細めるエヴァを置いて、リベリオはなにかを気にするように一度外を見ながらドアをゆっくりと閉めていく。ギギ、とまた少し軋むような音がして、エヴァにはそれが少しだけ不快だった。
「……時にシスター、侍従役は知っているか?」
「それは、もちろん」
鍵をかけた途端あの砕けた口調になったリベリオに、エヴァは話の意図が見えないと思いつつ言葉を返す。
シスター達はほとんどが教会で共同生活を送っており、それぞれ役割が与えられる。
給与や経費計算の会計役や、教会に遊びにくる子どもの面倒を見る世話役。集会を円滑に進める集会役や、スラムなどで食べ物を配る慈善役と多岐に渡っている。
その中でも祭司のお付で行動をする侍従役は、自由に外へ行ける事からエヴァの知る限り三本の指に入るほど人気の役割であった。
「なら話が早くて助かる……その侍従役が、今日から君の役割だ」
「そうですか…………侍従役?」
突然の事で、返事に悩む。
おそらくここで返す適切な言葉は、ありがとうございますなどの感謝の意味を含むものだろう。しかしエヴァにそんな気持ちは間違っても存在せず、むしろ困惑の方が勝っている。
じっくり考えて、少し視線を落として。
どんな言葉を返すべきか考えたところで、おそるおそる目線をリベリオの方へ戻す。
「……ちなみにそれ、お断りするのは」
「この前も思ったが、君は断る前提で話をしてくるんだな」
楽しそうに笑っているが、エヴァとしてはいい迷惑だ。
じっと見ながら心の声を聞いても考えているのは言葉とまるっきり同じで、どうやら本当に面白いと思っているらしい。
どうしたものかと肩を落とすと、そんな様子になにかを思ったのか。リベリオは目を細めながらシスター、と言葉を続けてくる。
「なぜ断る、あれだけ馬鹿にしてきていた他のシスターよりもいい役だ、もうなにかを言われる心配もないだろ」
(……なるほど、この方は根本的な部分を理解されていない)
おそらくだが、これはリベリオからの優しさなのだろう。役割がなく役立たずと貶されるエヴァに役割を、それも人気の侍従役を与える事で周りを黙らせる。確かに、その考えに至るのは普通だ。
けど、それだけの話ではない。なぜエヴァがこうも言われているのか、リベリオは知らないから。
「あのですね、リベリオ様」
なるべく優しく、言葉を選んでいく。
リベリオのためではない、自分が発した言葉で自分自身が傷つかないようにだった。
「先生……前院長の件はご存知ですよね?」
「あぁ、それはもちろん」
「私は彼が引き入れたシスターの一人です、私の事以前にこの教会は前院長と現院長の派閥で分かれている状態……私を役立たずや嘘つきと言っているシスターは、ほとんどが現院長を支持しています。なので私が侍従役という役割を手に入れたところで、今の状況は変わる話ではありません」
実際に、エヴァを快く思っていないシスターはほとんどが現院長派だった。
どれだけエヴァに役割がついても、どれだけ足掻いても。そして万が一この声が聞こえる能力を知られても、前院長のお気に入りというレッテルが剥がれるわけではない。それは、他でもないエヴァ自身がよくわかっていた。
「……そんなものなのか」
「そんなものです」
リベリオは理解に苦しむと言いたそうな顔であったが、こればかりはどうにもならなかった。
「ですから、私には身の丈が合わない役になります……それで目立つよりも、ひっそりと」
「なんだ、俺がシスターのためだけに役を付けたと思っているのか?」
「……?」
そうとしか思えない状況だったが、話には続きがあるらしい。
「俺とシスターは、早い話が共犯関係だ。なにせ俺は偽物祭司であるし、その立場を利用して失踪事件を調べようとしているのだからな。そしてシスターは、告解部屋の事をバレないようそれを手伝ってくれる」
「それは、そうですね」
なかば強制的であったとは思うが、そこには触れないでおく。
「だが俺とシスターの関係と言ったら、知らない人から見れば初日に少し話したくらい……間違っても、夜の告解部屋での会話を言うわけにもいかない。だからこそ近くに置ける侍従役を与えたという事にする」
「接点がないなら、なおさら不審がられるのではないでしょうか?」
「それは誰だって同じだ、しかし侍従役という役にたまたま選ばれたシスターという事にすれば、そこまで不審がられないだろ? それに一緒にいた方がなにかと動きやすくなると思った、俺の判断も含まれている」
確かに、その通りだ。
接点がなく一緒にいるより、最初から接点を作っておいた方が行動は楽になる。その点についてはリベリオの言う通りで、エヴァは言い返す事ができなかった。
「――それはもちろん、そうですが」
それでもなお、エヴァには納得のいかない部分がある。
「……なぜリベリオ様は、私にそこまで目をかけてくださるのですか」
彼がエヴァの事をどう思っているかは、もちろん聞こえてくる声でわかっていた。面白い、新しいおもちゃのような扱い。しかしそれだけでは、リベリオがここまで目をかけてくれる理由には繋がらない。それだけでは、あまりにも理由が薄っぺらいから。
「なぜ?」
リベリオは、エヴァの言葉に疑問形で聞き返す。
「誰かに対し目をかける事に、理由は必要か?」
『誰かに対し目をかける事に、理由は必要か?』
「それ、はっ……」
綺麗に、声と声が重なっていた。
返す言葉を持ち合わせないエヴァは、リベリオのそれについ顔をしかめそうになる。嫌だからではない、不快だったのではない。ただどのような表情をするのが正解なのかわからず、普段使わない表情筋はしかめる事しかできなかっただけだ。
「ふはっ、いい顔するじゃないか」
「いい顔って、本当に……私が心の声を聞けるからとだいぶん言葉を選ばなくなりましたね」
「選んだところで、聞かれてしまうだろ」
リベリオの言う通りだ。どうせエヴァには、すべて聞こえてしまう。
(あんな恥ずかしい事を素で言えてしまうとは……この方はおそらく、教皇の愛を受けながら真っ直ぐ育てられたのでしょうね)
諦め半分で肩を落としながら、渡された役の名前を頭の中で繰り返す。役割とか、祈りや掃除以外の仕事とか。そんなものは、自分に無縁だと思っていた。しかもまさか、侍従役なんて。
「どうだ、初めての役持ちは」
「……みのひきしまるおもいです」
「かなり棒読みだな」
役割につきたいと思った事がないエヴァにとっては青天の霹靂であり、実感もあまり湧いてこない。だからどうかと聞かれたところで、ピンとくるわけでもない。
「それに、セレナも一人だとキツいとかボヤいていたからちょうどいいだろ」
「まぁリベリオ様、覚えてくださっていたのですか?」
「なるほど、雑用係がほしかったのですね?」
「そこまでは言っていないだろ?」
『そのつもりは少しあるけど』
「筒抜けですよ」
あまりにも綺麗に聞こえるから、エヴァもそれ以上怒る気にはなれなかった。
わざとだったらしいそれにリベリオはひとしきり笑っていたが、落ち着いた様子で呼吸を整えている。じっとエヴァを見つめる瞳は、どこまでも遠くを見ているようだった。
「という事だ――これからよろしく、シスターエヴァ」
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