神の贋作と噓つき祭司
神の贋作と嘘つき祭司 -1
神が鐘を突いた事で、世界は始まった。
鐘に触れる事で世界が動き出し、人々を神が救済した。
神話に残る鐘の話、その中心部であるヴィカーノ皇国は現在ヘロンベル教の聖地とされている。
国土としては世界一小さな皇国であり、隣国には巨大な帝国も位置している。侵攻の危険がありながらもいまだその動きがないのは、やはりヘロンベル教という宗派が大きく関係していると言われている。
ヘロンベル教は国内のみならず国外にも信者が多く、早い話が慈善団体のような活動をしている団体でもある。そう言われているのも今の教皇――ヴィカーノ皇国現元首の考えであった。
ヘロンベル教の教えの中にある「人への救済」という一文、人という部分を現教皇はすべての生きとし生けるものと考えており、迷える人々へ救済を行っている。
優しさの塊の、エヴァから見れば前院長のような教皇。そのお人好しのような存在の元、世界各地の救済を行っている。
しかし一方で、聖地化した皇国にも問題はある。
ヘロンベル教で国外に信者がいる理由は信徒達が定期的に行ってきた布教活動の賜物ではあるが、それが理由なのか年々国へ移住を決める信者は増えるばかり。乞食や孤児、とてもではないが家を持つ余裕がない人もその中にはおり、多くはスラムや比較的家賃が安い分無法の地帯である旧市街へと流れてしまっている。
そんな国の現状をよく思わない国民も多く、最近に至っては現教皇のやり方を快く思わず一部過激派になっているほど。ヘロンベル教を元の形に戻る、という名目の元テロ行為に近い団体もいるほどだ。
光と闇が交差した皇国。
それがこの国の、現状であった。
「……ふぅ」
教会の一角に設置された小さな個室で、エヴァは誰に聞かれるわけでなく溜息を零す。
窓のないその部屋は小窓の向こうにある部屋も同じ配置
で、置かれているのは小さな椅子と出入りのために設置されたドアのみ。ヘロンベル教の告解部屋は、音漏れがしないよう設計されているためなのかかなり簡素な作りになっている。
(今日の方も、結局は自分の事ばかりだった)
昼間のミサにきた信者の中で、時折夜の告解を希望する声が聞こえてくる。そういった時のみ告解部屋を開け、信者達の悩みに耳を傾けている。
夜の告解部屋、誰がつけたかピクシー様。
その張本人が、エヴァだった。
自分で名乗ったわけでもないその名前は結局神話になぞらえているからこそ、エヴァとしてはそこまで気分のいい名前ではない。一人歩きをしている言葉に日々むず痒さがありながもエヴァだけでどうにかする事はできず、どちらかと言えば諦めている部分があった。
それよりもエヴァにとって問題は、この告解部屋自体についてだ。
この教会にきてしばらく経った頃からやっているこの告解部屋も、代わり映えのあるものではない。どれも同じような言葉ばかりで、その裏に見え隠れするのは己の保身や可愛さについてばかり。
結局人は、自分を肯定してほしいのだ。
優しく、あなたは悪くないと言われたいだけだ。
それをエヴァは、ピクシー様という神の真似事をする前から知っている。
「それにしても、今日の方はなかなか終わらせてくれなかった……」
教会周辺で工場の社長をしているらしい男の告解は、ここ最近入ってきた移民の従業員へ強く当たってしまうという点だった。
仕事を覚える能力差や、言葉の壁。そういったもの積み重なり彼の中で余裕がなくなり、つい強く当たってしまうらしい。そんな自分自身の行いと心を、悔いたい。
……という内容までが、彼の表面上としての告解。
心の声はそんな事ちっとも思っておらず、単に現教皇の考えに合わせるためのものだった。どれも自分可愛さと教皇への謝罪ばかりで、その心の声から従業員への謝罪は一切なかったものだからエヴァもさすがに眉をひそめてしまった。
「確かに、この国での宗教問題は深刻ですが……だからと言ってここにくるならせめて神への懺悔をするべきなのに」
現教皇に変わってから、ヘロンベル教はかなり形を変えた。
元々ヴィカーノ皇国という存在は、ヘロンベル教徒以外からすると遠い存在とされていた。独立した宗教国であり、ヘロンベル教のトップである教皇が統べる国。近隣国でも話聞く程度、と言われていたそれは、現在の教皇に変わったと同時に苦しむすべての人々へその救済の手を広げた。
優しい教皇様、歴代一お人好しな教皇様。
宗派の違う人々にも手を差し伸べた結果、ヘロンベル教徒以外もこの国で生活するようになった。そして、それをよく思わない一部の人々との間で亀裂が起きた。宗教観の違いはもちろん、言葉や文化。そして思考までも。
マーレット教会内の今とさして変わらない現状を見ていると、それこそ世界はどこへ行っても変わらないのだと思えてしまう。心の美しさなんて、少しもない。私利私欲と自己主義的な考えがある方が、この場合普通だから。
(先生は、この部屋にいったいなにがあると私に教えたかったのでしょうか)
きっかけは、前院長の言葉だった。
人の心が知りたいならば、人に触れるために告解部屋で信者の言葉に耳を傾けないか。そんな話から始まった習慣に、当時のエヴァもかなり軽い気持ちで了承をした。
エヴァは孤児達の中でも、信仰心はそこまで強くない。それでもシスターになった以上綺麗な心のというものへの興味はあり、ただ前院長の話す美しさを知りたいというそれだけの理由でしかなかった。
「っ……」
いや、それだけではない。
それだけならば、院長がいなくなった時にやめればいい話だ。
もちろん最初はそれだけの理由だったそれは、いつだったかの夜からまた別の意味を持つようになっていた。
いつの話かまではおぼろげにしか覚えていないが、その日は酷い雨だった。告解部屋に突然きた女性は赤ん坊を捨てたという内容についての事を口にして、今にも壊れてしまいそうなほどにか細い声だった。
自分の母親も、こういった気持ちで自分を捨てたのだろうか。
気づいた時にはすでに孤児院で生活をしていたエヴァはついそんな事を考えながら言葉をかけていると、彼女は落ち着いたのか深く息を吐いていた。その時の彼女の指先が震えていたのを、エヴァは小窓越しでもよく覚えている。
一通りの言葉と、それから祈り。後はなにか変わった様子もなく終わりに差し掛かったその告解で、女性は去り際に言葉ではなく心の中である言葉を落としていく。愛の詰まった、優しい声音で。
――あなたがどこかで生きているならそれだけで、私の愛しいエヴァ
その後の事は、エヴァ自身もよく覚えていない。
なにを言っているのか最初理解ができなかったエヴァは、気づくと教会の外に立っていた。無我夢中で、後を追いかけたのだろう。けれどもその姿はどこにもなく、雨に打たれる自分しか道路には残されていなかった。
それからだ、エヴァがこの告解部屋へ一層向き合うようになったのは。向き合うというより、縋るようになったのは。
(先生がいなくなったのも、その女性の事を話した少し後だった)
ただのタイミングである事は、もちろんわかっている。どちらにしてもエヴァにとって告解部屋というきっかけがあり今があるからこそ、離れるという選択肢は思い浮かばなかった。
「ここにいれば、先生の言いたかった事も――あの女性の言葉もわかるかもしれない」
父のような存在と、自分を捨てた母親であったのかもしれない女性。この告解部屋で、大切な人達の心に触れる事ができるかもしれない。
そんなないものねだりの感情を抱えながら、エヴァは今日もこの席に座り小窓の先を見つめている。
(それにしても、最近ここにくる信者の方も多いような……)
部屋に戻る用意をしながら次に思い浮かんだのは、そんな事。前からそこそこきていた信者の人数であったが、この一ヶ月はさらに増えているような気もする。
もし名前が売れてきたというなら、それはそれでエヴァにとっては悩みのタネであった。
特に名声がほしいわけでも、有名になりたいわけでもない。ただ人の心を聞くという目的のために始めたものだからこそ、ここまで広がるのは想定外だった。想定外で、噂が日に日に一人歩きをしてしまうのはあまりいいとは思っていない。
どうしたものかと考えながら、そっと肩を落とす。
回数を減らすか、それともこのまま続けるか。当然のようにエヴァの中でやめるという選択肢はなく、ピクシー様という存在を残す事しか考えていない。
この行為が、前院長の言葉だから。
この場所が、生きている中で母という存在に唯一触れられた場所だから。
ぐっと背伸びをしながら、目線を落とす。
しょせんは神の真似事をしているような能力でしかなく、話を聞く事しかできない。人の心の声を聞いたところでなにかをできるわけもなく、そんな自分が神話になぞらえた名前で呼ばれているのはいまだにいい気分ではなかった。
「ピクシー様、かぁ」
そんな、誰に言ったわけでもない言葉を落とした、瞬間。
「君がピクシー様なら、私の告解も神は受け入れてくれるか?」
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