神の贋作と噓つき祭司 -2

 突然の事で、エヴァは一瞬なにが起きたのかわからなかった。

 ふと湧いた声は心の声ではなく、小窓の向こうからのものでもない。現に小窓から見える先に人の手はなく、同じ空間で聞こえているというのはわかった。

 おそるおそる顔を上げるとそこにいたのは昼間話題になっていた偽物祭司のリベリオで、すべてを見透かしているような表情を貼り付けながらエヴァの事をじっと見ている。

「ごきげんよう、シスターエヴァ」

『なるほど、これが例の告解部屋か』

 例の、という言葉だけでピクシー様の事がわかっているのは容易に想像できた。

 昼間に他のシスターから、この部屋の話を聞いたのか。それとも別のどこからか聞いたのかまではわからない。それでもエヴァが夜の告解部屋を支配している張本人だとバレた以上、状況は確実に不利なものであった。

「……なにか赦しを受けたいようでしたら、お部屋を間違っておりますが」

「あいにく、私は祭司なので部屋は間違っていないですよ」

 確かにその通りだ、本来この祭司が座るべきは今エヴァのいる場所だからなにも言い返せない。

 この状況を、どうやって切り抜けようか。

 エヴァの頭の中はその事でいっぱいで、表情までは出さずとも若干息が浅くなっているのはわかった。

 そんなエヴァの様子を見て、なにを思ったのか。

 リベリオはなにか遠くを見るような目で視線を合わせてこないエヴァを観察し、少しだけ頬を緩めている。

「ところでシスターエヴァ、この告解部屋は誰の指示でやっている事ですか?」

「それ、は……」

 サッと、その一言で血の気が引いていくような気がした。

 そもそも、告解や赦しを聞く行為は祭司にのみ与えられた仕事である。前までは前任の祭司も院長の指示だからと目を瞑ってくれていたものだったが、それはあくまでも前院長がいた時の話。今は院長も変わっているし、目の前にいる祭司に変わっているのもエヴァは理解している。

 そしてなにより――今のエヴァにとって、目の前にいるこの祭司が偽物であるとわかっている。

 だからこそ、この状況がかなり危機的なものである事はエヴァも理解できていた。

「あぁ、そう警戒しないでください。取って食うような事はしません」

『とは言っても、信じてくれないか……』

 思いのほか心の声はわかりやすくて、害のありそうな声音ではなかった。

 少し警戒しすぎたかもしれないと思ったが、用心に越した事はない。椅子に腰をかけたままのエヴァは、黙ってじっとリベリオの様子を伺っていた。

「まずは改めて自己紹介をしましょうか……私はっ」

「……新しい祭司で教皇様のご子息五男リベリオ様、ですよね。私の前では作った言葉遣いでなくありのままで構いません」

「……じゃあ、お言葉に甘えるよ」

 少しだけ目を細めたリベリオは、エヴァの言葉の真意までには触れず小さく首を横に振った。

「なるほど、俺が教皇の息子である事もお見通しというわけか」

 あぁ、余計な事を言ってしまった。

 そう思ったエヴァだったが顔には出さずに、少しだけ目を伏せる。

 そんな黙っているエヴァの様子を見て、リベリオはまた薄く笑っている。

 なにかに気づいたような、わかったような目は悪意こそなかったが同時に面白いおもちゃを見つけたようなもので、シスターエヴァ、と名前を呼んでくる。

「最初はまさかとは思っていたが、確信ができたよ――君は、人の心が読めるのではないか?」

 迷う事なく投げつけられた言葉に、エヴァは反論するほど頭が回らなかった。

 あまりにもストレートで的を射ていたからこそ、一瞬だったが肩を揺らす。彼は、どこまで知っているのだろうかと。

「……その確信は、どこからきたのでしょう?」

 やっとの事で絞り出した言葉は、やけに小さい。

 自分の事ながら普段の半分ほどの声に情けなく思っていると、リベリオは気にしていない様子でそうだな、と言葉を続けてきた。

「悪いけど、さっきの信者との会話を聞かせてもらった。彼の事を君が下調べしていない前提で話すと、君はあまりにも彼の事を知りすぎていたからな……彼が神に対してどう思っているかなんて、そんな事言っていなかったと思うが」

 確かに、リベリオの言う通りだ。

 エヴァに対し彼は神への価値観なんて言っていなかったし、それらしい事を口走ったわけでもない。それでもエヴァが聞いた心の声の方でははっきりと言っていたからこそ、つい会話の中で出してしまっていた部分がある。

 ごまかしたところで、この状況を見られた以上いまさらだとわかっている。

 諦めたエヴァは小さく首を横に振ると、目の前にいるリベリオに言葉を選ぶ。

「心の声と読んだのではありません、聞こえてくるだけです……故意な行動である読むと、不本意な聞くは意味が異なります」

「なるほど、あくまでも自分が聞いた事は不本意な事であると」

 やけに、含みのある言い方だった。

 事実を言ったまでのエヴァにとっては少し不快なものだったが、表情には出さずに返事を返さなかった。それを見たリベリオは、首を傾げていた。

『他のシスターから聞いていたよりも、案外なにを考えているかわかりやすい』

(わかりやすい……?)

 わかりやすいなんて、今まで言われた事がなかった。

 自分のどこにわかりやすい要素があったのだろうと考えていたが、そんなエヴァを置いてリベリオは勝手に話を続けている。

「わざわざ調べたわけではない、マーレット教会には神の能力を持つ者がいるらしいと小耳に挟んだだけだ。ただその神の能力がなにかまではわからなかったから自分の目で確かめようとしたら、赴任早々ピクシー様の存在を聞いたというわけだ」

「っ……」

 エヴァの肩が、大きく揺れた。

 けど、冷静に考えれば噂になっていない方がおかしな話だ。これだけマーレット教会内だけでも騒ぎになっているから、他の教会へも少なからず情報は伝わっている。

 エヴァは能力の事自体を前院長以外に話した事がないが、それは教会での話。もしかしたら、孤児院での事件が尾びれを付けて流れてしまったのかもしれないと思う。

「最初は絵空事か、誰かが伝言ゲームの途中で聞き間違いをしただけだと思ったよ。けど誰も嘘だと言わないから逆に気になってね……せっかくマーレット教会にくる機会ができたから正体を突き止めようと夜にドアを開けてみれば、君の声が聞こえてきたというわけだ。今度から、告解部屋では鍵をかける事をお勧めしよう」

 リベリオの話した内容から、なにか理由があって祭司を名乗っている事はわかる。

 その事にも気になったが、それよりもエヴァが反応したのはもっと前の言葉。

 あまり言われたくない表現に、小さく首を横に振った。

「神なんかでは、ありません。私のこの能力は、しょせん神の贋作です」

「……自分をそう悪く言うな、価値が下がるぞ」

「悪く言っているのではなく、本当の事です」

 望んだわけでもない、さして役に立つわけでもない。それでも人の心の声が聞こえてしまうこの能力を、エヴァはどこかで恨んでいたのかもしれない。

 淀みなく言ったその言葉にリベリオは一瞬だけなにかを考えるように目を細めたが、すぐにしかしまぁ、と言葉を続けてくる。

「そんなピクシー様の評判とは真逆で、君の評判を聞くと酷いものだったな……役立たずや噓つき、これではただのいじめじゃないか」

「いじめですので」

「かなりはっきり言うのだな」

『表情には出ていないが、なかなか面白いタイプのシスターだな』

 丸聞こえだという事を教えるべきかと一瞬思ったが、それはそれでなんだか面倒な事になりそうと思いやめておいた。

「ならばなおさら、なぜ自分がピクシー様だと名乗り出ない。言えば今の状況も少しマシになるのではないか?」

 ふとリベリオが口にした言葉は純粋な疑問のようで、首を傾げている。つくづくお坊ちゃまなのだなと思いつつも、それには触れず事実だけを教える事にした。

「リベリオ様はもし今までいじめてきた相手が人の心の声が聞こえるなんて言ってきたとして、そんな事を信じるのですか?」

「人をいじめてきた事はないからそこはわからないが……確かに、前情報がなければ信じようとは思わないな」

「それと一緒の事です」

 ふう、と息を深く吐きながらエヴァのゆっくりと立ち上がる。そもそもの話、エヴァは噓つきと言う呼ばれ方については自業自得な部分もあると思っている。

「……昔一度だけ、人の声が聞こえると話した事があります。孤児院で、一回だけ。友人だった子がお皿を割った事を隠していたので正直に言った方がいいと指摘してしまったのですが、人の隠したい事に触れるなんて、気分がいい事でもないですよね」

 それからだ、エヴァが気味悪がられ噓つきと言われるようになったのは。


 ――エヴァの、噓つき! わたし、お皿割ってないもん!


 あの時の言葉は、今でもエヴァの中でしっかりと残っている。

 嘘をついたとは今でもまったく思っていないが、彼女は隠したい事だったのだから指摘されてつい言葉が出てしまったのだろう。

「それについては、シスターはなにも悪くないのでは」

「……いえ、それだけではありません」

「それだけでは、ない?」

 エヴァがこの能力の話をしなくなったのは、それだけではない。

「私は少なくとも、この能力が好きではありません……この能力を使って、私は人の心に触れようとしてきた。美しい心が知りたいという建前で、人の心を聞いてきた。それは私にとって、誇れるような行為ではありません」

 欲しいと願った事もないこの能力で、得をした事は一度もなかった。

 笑った事も、嬉しいと思った事もない。それでも前院長の言葉を信じている天邪鬼な自分がいるのもエヴァにとっては嫌悪でしかなく、そんな気持ちをどこかへやるためにまた息を深く吐いた。

「……それで、リベリオ様。そんな噓つきシスターの私にどんな用でしょうか?」

「俺は噓つきなんて思っていないのだが……まぁいい、本題だな」

 若干諦めたように首を横に振ったリベリオは、ずいと顔を近づけてくる。他のシスターが黄色い歓声を上げていたのも少し納得できてしまうような整った顔立ちに、エヴァも一瞬目を逸らそうとしたが、それよりも先にリベリオの方が言葉を投げかけてくる。

「その人の心の声を聞く力で嘘を見抜き、失踪事件の調査に協力してほしい」

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