二十二話 異常な天才VS普通の秀才(2)
酒井が再編し、金森と武田が乱戦し、奥平が逃げまくり、一条信龍が無双する最中に。
堀久太郎秀政&鉄砲僧兵団・根来衆は、街道をコッソリと足早に北上すると、先程の奥平隊を真似して街道を塞いで待ち構えた。
ここまでは作戦通りだった。
予想外なのは、一条信龍が、全く反応しない事。
奥平と酒井の再集結を斬り込んで妨害し、金森との乱戦で足の止まった勝頼の部隊を北上させようと、果敢に動きまくっている。
だが、堀久太郎秀政&鉄砲僧兵団・根来衆には、脅威を感じていないらしく、向かって来ない。
どうやら、いつでも蹴散らせる程度だから、優先順位が「後回し」らしい。
根来衆は幸運だと感じて安堵したが、堀久太郎はキレかけた。
(そうか。そうか。貴殿も、そうか)
久太郎は、子供時代から聡明だ。
美形で聡明なので、武家社会で早くから青田買いされた。
初めに信長の馬廻(親衛隊)を務める大津長昌に採用されたのを皮切りに、次いで木下秀吉に仕え、十三歳で信長の小姓に就任した。
十六歳で各種奉行職を任され始めて、信長の側近として順調に「若手筆頭」の評判を得た。
信長の信任も厚く、秘書官扱いである。
しかも、子供時代は僧籍の叔父に育てられたので、一向宗にも顔が効く。
他人から見たらトップのエリート街道だが、この美青年の心象は、複雑だ。
信長や秀吉の周囲にいた影響で、本物の天才という代物に、絶え間なく出会う青春。
聡明であるだけに、秀才と天才の違いを、悟ってしまった。
野球で喩えると、
「高校・大学と全国大会で活躍し、プロでも好成績を残す一流の選手」
という評価をもらえる選手が、
「殿堂入り確実なレジェンド級の天才選手」
が数多く所属するチームに入ってしまったような。
伝説級の働きをする人々に混じって、秀才が一生懸命に働く苦労に、この若さで気付いてしまったのである。
価値観のギャップや、桁違いの能力差に腐る事はないし、奉行職や秘書官の仕事も疎かにはしない。
それでも、戦場で天才という種類の化け物と戦う羽目になる人生に、戦慄している。
そんな悩みを抱えているのが顔に出たのか、この日の朝、信長が話しかけてきた。
「久太郎。根来衆を引き抜いて、別働隊として動いてみりゃあ」
開戦直後。
安全な本陣の奥で朝食を完食しながら、信長は久太郎を煽ってきた。
「今ですか?!」
とは聞き返さずに、少し先を読んでから聞き返す。
「逃げる勝頼を、某も追いかけて、宜しいと?」
半日後の、話をしている。
「ここで勝つのは間違いないぎゃあ。だがのう、おそらく武田の四天王は、脳筋の勝頼と違うて、退き戦を念頭に入れて動くだぎゃあ」
設楽原の激戦での大殺戮など、もう予定通りに終わると見越して、信長は戦いの結び方の話をしている。
「退き戦に徹した武田は、手こずるだぎゃあ。そこで、狙撃専門の別働隊で、動け」
「御意。準備を始めます」
贔屓の側近の快諾に、信長は手土産を持たせてやる。
「最後は混むでえ、難しければ、狙いは一人に絞れ」
信長は、極一部の者しか勘付いていない、一条信龍の天才性について、側近に教えた。
「直にヤり合おうたら、死ぬで。撃てや」
そう忠告して、信長は久太郎の尻肉を抓った。
身内には過保護な信長の計らいで、久太郎は部隊を率いて参戦する機会を得た。
戦国武将として独り立ちをするルートを用意してもらった訳だが、特典というより、呪いに近い。
織田信長の最前線である。
死ぬ確率も、並の最前線より、大きく膨れ上がる。
そこで戦慄はしても、ノってしまう程には、久太郎も戦国時代に狂ってはいる。
だが、己が天才には程遠い、ただの秀才であるという冷めた自覚が存在する。
それを今、異常な天才が、態度で露わにしている。
(わかっている。知っている。味わっている)
黄金龍の無双を眺望しながら、久太郎は内心で殺意を高めてみる。
やや筋違いな逆恨みを、燃料にしてみる。
(天才の目には、僅かで視認し難い、凡才であろう)
根来衆に、今の布陣より、十歩前に出るように命じる。
(だが、殺す)
まだ、一条信龍は反応しない。
更に十歩、進む。
(殺す。貴殿も、勝頼も、残った武田の将兵も)
一条信龍が、他人の馬を奪って、移動手段を更新する。
(某は、織田の殿が打った、貴殿への桂馬だ!)
馬を改めた黄金龍が、堀久太郎が敷いた布陣へ、刀を肩に担いで突撃してくる。
根来衆三十人が銃口を向けているのに、最高速度で馬を真正面から駆り立てる。
相手の豪胆さに震え、常識外の武勇を振るう武者の突撃に怯え、黄金の甲冑の防御力に心細くなりながら、根来衆は一条信龍一人に照準を合わせる。
三十の銃火が、黄金龍に放たれる。
一条信龍は、馬の背中に乗せてあった、元の騎手を盾にして、集中砲火を遮断した。
黄金の甲冑には、擦り傷が少し増えただけだ。
ほぼ速度を落とさずに、一条信龍は故郷への最短距離を塞いだ根来衆を蹂躙しようと、肩に担いだ刀を振おうとして…
根来衆を率いて来た中央の美青年が、未だ発砲していない小癪さに気付く。
狙いは、一条信龍の、顔の正面。
距離が十メートルを切りそうな近距離で、堀久太郎は発砲した。
必殺必中の距離での射撃に、黄金流の刀が一閃する。
弾が、斬られる。
非常識な「弾丸斬り」を目の当たりにして、驚愕するより早く、一条信龍の馬が堀久太郎に一太刀浴びせてながら、布陣を駆け抜ける。
咄嗟に盾にした鉄砲が、真っ二つに斬り裂かれる。
(化け物、化け物、化け物、化け物!)
湧きあがる恐慌の絶叫を飲み込みながら、堀久太郎は抜刀して、黄金龍の再突撃に備えて振り返る。
根来衆が、散った。
堀久太郎の周囲から、全力で避難した。
堀久太郎の、ほぼ眼前に、一条信龍が馬を寄せて見下ろしている。
この状況で、この修羅場で、この土壇場で。
全身の装甲に傷と凹みと返り血を構築中の黄金龍が、声を掛けてくる。
「一条信龍である。名を教えろ、美形」
頭が真っ白になる程に緊張しながらも、堀久太郎は名乗り始める。
「堀秀重が嫡男、堀久太郎秀政。織田信長の秘書官です」
堀久太郎の名乗りを聞いて、一条信龍は感心したかのように、頷いたりして堀久太郎をじっくりと吟味する。
そして、真面目そうな顔で、発言する。
「信長に伝言がある。一言一句、聞き逃さずに伝えてくれ」
堀久太郎は、その言を、真に受けなかった。
黄金龍が、悪戯小僧のように、笑っている。
背を向けた方向から、敵兵の慌ただしい駆け足の音と、追いかける味方の息の上がった喘ぎ声が聞こえる。
(味方が抜かれた!)
(根来衆も散った!)
(某は、しくじった!)
戦場の音と雰囲気だけで、正しい情報分析を瞬時に判断出来る才能が、堀久太郎に培われていた。
その才能を活かし、戦場で『名人』とまで称されるまでは、少し先になる。
勝頼も含めた武田本隊の残存兵が、堀久太郎の左右を駆け抜けて行く。
一条信龍が相手をしている最中の若者には構わず、逃げに徹している。
武田は、撤退に成功した。
兵の九割と侍大将の99%を失いながら、総大将の勝頼を武田領に逃した。
堀久太郎は、時間稼ぎに付き合ってしまった愚に激怒しながら、せめて黄金龍を仕留めようと刀を繰り出す。
「今度から、時間稼ぎにも気を配れ、久ちゃん」
馬術で久太郎の斬撃を躱しながら、一条信龍は退く武田の最後尾に、馬を返す。
「俺の事は今度から、ノブと呼んでいいからな! いあ、信長と被るか。まあいいや」
あまりに悔しいので、久太郎は言葉で攻撃する。
「次に会うのは、甲府での首実検です!!」
「あ、言いやがったな、この」
一瞬、戻って殴ろうとした一条信龍だが、思い留まって逃げる。
「じゃあな、ホリミヤ、じゃねえや久太郎。ワクワク信龍ランドで待っているからな」
黄金龍の馬が、鉄砲の射程圏外まで、遠去かる。
再編を果たした酒井隊が、長篠城への撤収を太鼓で告げて、引き上げて行く。
久太郎は刀を鞘に納めようとして、刀身が先から五寸(約15センチ)、斬られていたのに気付く。
それが遊びか見栄か限界か、久太郎には分からなかった。
尋ねてみたくても…
六年半経って再会した時、黄金の龍は、本当に首だけになっていた。
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