十七話 左三つ巴、無双(3)

 従者が追い付くと、首桶の用意を進めてくれた。

 誰に見せても恥ずかしくないように首を綺麗に洗い、防腐処理も済ませて首桶に蓋をする。

 今回の戦で誰がどのような手柄を立てようと、確実にベスト3圏内の首級である。

 周囲の羨望の視線に囲まれながら、朝比奈泰勝やすかつは徳川の本陣に手柄を見せに行く。

 織田に見せて恩賞を貰う道もあるが、今川家の武将としてプライドが許さない。

 既に兜首を挙げた武将たちが、本陣に手柄を見せて記録して貰おうと列を成していたが、朝比奈泰勝やすかつは最優先で家康の所に呼ばれた。

 久しぶりに見る家康は、充実した壮年の戦国大名として、貫禄と威厳に満ちていた。

 朝比奈泰勝やすかつは、首桶を差し出して小姓に預けると、頭を下げて声を掛けられるに任せる。

「お見事です、朝比奈殿」

 好意的な声音だ。

 極めて上機嫌な、泰勝への好意に満ちた声だ。

 武田と組んで今川領を侵略して二分した徳川家康だが、その後は氏真一家を手厚く保護しているので、朝比奈泰勝も憎めない。

「褒美を与えたい」

 大目の金品か、感状付き名刀授与かなと、泰勝は予想した。

「徳川の家臣に、ならぬか?」

 そういう類の褒美だと思わなかったので、顔に出る。

 今の主君から引き離される流れへの、反感が出る。

 その顔色を確認して、更に家康は上機嫌になる。

「氏真殿には、この後、残存兵の掃討作戦に加わってもらう。手柄を重ねる機会を与えて、城主や領主に返り咲く花道を用意する。

 その時、朝比奈殿が側にいれば、周囲は氏真ではなく、朝比奈を城主にするべきだと言い出すだろう」

 泰勝は、話の流れを理解する。

 先ほど挙げた首級が、並の武将であれば、家康は氏真から忠臣を引き離すような話を持ち掛けたりしないのだ。

 身の程に見合わぬ望外の手柄を立ててしまった朝比奈泰勝やすかつを、気遣っての采配だ。

「分かってくれるな? 今のお主は、氏真の所に戻れば、互いを損なうだけだ。

 お主の代わりに、わしが氏真殿を余分に気遣う」

 そして、幼馴染である氏真を気遣っての、転属話でもある。

 事実、家康は信長の不興を買ってでも、氏真の復権を働きかけている。

 頭を深く下げ、泰勝は了承しながら注文を付ける。

「某の事は、氏真様から貰い受けるという形で、お願いします」

 自分から今川を離れるのではなく、氏真から譲られる形での、転属。

 やや呆然としながら、呆然としている自覚も足りないまま、陣を離れて大軍の行方を目で追う。



 武田勝頼を守って退却する部隊は、織田・徳川の追撃部隊に飲み込まれずに、退却を進めているようだ。

 東方面からの手柄首の話は、極端に減った。

 この戦場から撤退するには、長篠城を奪還した別働隊を突破しながらの難事になるだろうに、勢いは止まっていない。

(武田の本隊は、無傷のまま撤退した。朝方の奇襲で一戦した酒井忠次の部隊は、足止めに失敗するかもしれん)

 そこまで考えて、その点の補強はどうなるのかと考え進めて、朝比奈泰勝は思い出す。

(あ、設楽神三郎貞通が、いたか)

 ここ設楽原を出身地とする、武将である。

 この地で大軍の足止めを任せるには、最適の人選になる。

 酒井忠次は、この武将を傘下に加えている。

 間違いなく、最大に活用するだろう。

「拙者が気にしなくても…」

 独り言を言っていたら、横に服部半蔵が現れて呼吸を整えていたので、仰天する。

 絶対に、ロクでもない用件で会いに来たに決まっている。

「何の用ですか?」

 服部半蔵は、部下から水筒を貰いながら、まだ荒い息の合間に返事をする。

「朝比奈殿に、内藤昌秀を討ってもらおうと、探し回っていたのですが、既に事を為されていたので、拙者の動きが、無駄に…」

 昨夜から大事な伝令を連続でこなして、服部半蔵もバテかけている。

「もう休んでも、いいのでは?」

 遠からぬ将来、同僚である。

 心配する義理が発生しているので、泰勝は気休めを言ってみる。

「武田の再起は、不可能だろう」

「…今川は、国を失うまで、徳川と何度戦いました?」

「…うむ、確かに。ここで仕留めないと、まだまだ戦いが続くな」

 今川義元が死去した後の今川家ですら、滅びるまで七年以上、戦い抜いた。 

 武田勝頼が甲斐本国に逃げ仰た場合、武田の徳川への攻勢は、継続する。

 つまり、泰勝の取り戻したい駿河が、支配されたまま。

 とはいえ、日に二度も修羅場に突撃する程、朝比奈泰勝も戦に飢えていない。

「拙者は、今日は休んでおきます」

「ありがとうございます」

 なんだか素直に服部半蔵から礼を言われて、朝比奈泰勝は妙に顔が綻んだ。

 礼を言ってから、服部半蔵が先に進もうとする。

 何処へ、とは聞かない。

 最もきな臭い最前線に、決まっている。

(設楽神三郎貞通の戦いの行く末は、勝利の宴で聞けばいい)

 気を抜いて、近くの高台に上がって、腰を下ろす。

 正式に徳川の傘下に入るまでの僅かな合間を、朝比奈泰勝は、高みの見物で過ごす事にした。

 眼下に流れる川の色から、まだ血の色が薄まらないまま、陽が傾いていく。

 朝比奈泰勝は、上流の旗色を見定める。

 東方の高台に、同じように上流を見物している武将が見えた。

 派手で豪奢な陣羽織を羽織った中年の武将は、周囲の気遣いを労わずに、険しい目を上流に向けたまま、一度だけ後方の泰勝に視線を向ける。

「信長だ…」

 二秒は睨んでいたが、側の武士が一言告げるや、険しい顔を綻ばせて放っておいてくれた。

 察するに、


信長(なんだ、あの若造は? 追撃戦の最中に、サボりおってからに。見せしめに斬っておくか)

堀久太郎秀久「あれは、内藤秀昌の首級を挙げた功労者、朝比奈泰勝です」

信長「…で、あるか」


 というやり取りだろう。

 武将でありながら、信長の視界内でサボっているという致命的な所業をしながら、朝比奈泰勝は無事に済まされた。

(味方でも怖いな、信長は)

 背筋を冷やしながら、五等分の木瓜紋「織田木瓜」の陣幕が、せっかちな武将の周囲に張られていくのを見届ける。

 信長の視界を塞がないように、最小限の張り方だ。

 傍には、いつでも馬を出せるように、何頭もの駿馬が用意されている。

(いざとなったら、自分で追撃する気か?!)

 これだけの大勝利を得ても、まだ手を緩めない、というより、味方を信じていない。

 こんなに性急で猜疑心に満ちた武将の部下になったら、生きた心地がしないだろう。

「…今川や徳川で、良かった」

 眼下に流れる川の色が、更に濃くなった。

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