六章 設楽への道

十八話 不死身な戦国武将の殺し方(1)

 設楽したら神三郎貞通さだみちの決断は、いつも早い。

 早い自覚は全くなく、深く考えた末の決断なのだが、人より早いので早い評価になった。

 そしてその選択は、必ず吉と出ている。

 と思われているが、凶事も出ている。

 松平元康(後の徳川家康)が独立した時は、東三河では最初に忠誠を誓った。

 非常に感謝されて歴史にも記されたが、今川に人質に出した妻は処刑されている。

 徳川の武田の戦いでは、一貫して徳川に付いて戦い抜き、しばしば武田を撃退している。

 これも非常に評価されたが、最後には野田城で武田の大軍に囲まれて捕虜にされた。

 だが、日頃の行いが良いので、すぐに釈放された。

 恩を着せれば、味方になってくれると思われたらしい。

 おまけに野田城の包囲戦の最中に武田信玄の病状が悪化し、帰路で病没したので、徳川・織田からは

「あなたが野田城で粘ってくれたお陰です」

 と、まるで武田信玄を死に追いやったかのような評価が加わった。

 武田の領地に近い設楽に本拠地のある侍として、生きた心地がしない評判である。

 あまりに不憫に思われたのか、奥平の若殿(奥平貞昌)が長篠城を預かって負担を軽減してくれた。

 これにはホッとしたが、奥平貞昌が長篠城の中古ぶりを危険視し、新城に新しい城を作る事を提案した頃から、イヤな先行きを考えてしまった。

「設楽の土地も、奥平の領地になるのでは?」

 主席で筆頭家老の酒井忠次に話題を振ったら、何も返事をしなかった。

 これは地元で寄騎になるか、他の土地に行く代償に手厚い領地を保障して貰う流れだなと察しているうちに、長篠・設楽原の戦いに傾れ込んだ。

 此処で産まれ育ち、此処で最も戦ってきた設楽したら神三郎貞通さだみちにとって、最も功績を挙げる機会に恵まれたと言える。

 最も扱き使われるとも言えるが。

 決戦前夜。

 設楽貞通は、酒井忠次に呼ばれて、鳶ヶ巣山砦への奇襲部隊に加えられた。

 しかも別働隊として樋田といだで待ち構えて、逃げてくる武田の退路を断つ、美味しい仕事だった。

 喜びつつも、人生はプラマイゼロと悟っている設楽貞通は、油断せずに任務を遂行する。


 五百の兵と五十丁の鉄砲を預かって指定の場所で待ち構えて朝を迎えると、酒井忠次の予想した通りに、鳶ヶ巣山砦から逃げて武田の本隊に合流しようとする兵たちが押し寄せて来た。

 道を塞ぎ、敗残兵を囲んで効率良く殲滅しながら、設楽貞通は今後の展開を考えてしまう。

(これってひょっとして、午後には逆方向から、武田が逃げて来る道ではないか?)

 織田・徳川連合軍が勝つのは、間違いない。

 だが、その間に挟まれて擦り潰されるのは避けないと。

 この周辺の地理を、設楽貞通は地図を見ながら検討する。

 鳶ヶ巣山砦から設楽原の武田本軍に合流しようとすれば、この地点が最短ルートになる。

 だが、武田本軍が設楽原から武田本国に逃げる場合は、この地点は少し遠回りになる。

(たぶん、ここは撤退ルートに使わないな。五百の兵も待ち構えている訳だし)

 安堵した設楽貞通は、最低限の周辺警戒だけをして、兵たちに小休止のローテーションを組ませる。

 自身も少し休んでから、この場所を武田が撤退ルートに選ぶかどうかを、考え抜く。

(酒井忠次の率いる数千が待ち構える最短ルートより、少し寄り道でも此処の五百を相手にした方が、楽だと判断したら…)

(いや、此処に寄っても、どうせ酒井忠次と長篠付近で戦う羽目になるから、やはり此処は選ばない)

(来ない。此処はもう、戦場にならない)

 昼過ぎになると、設楽貞通は此処を安全地帯と見定めて、ランチタイムに入る。

 余裕が出ると、欲が出る。

(兵三百人と鉄砲三十丁を率いて、追撃戦に加わろうか)

 元は織田軍から貸し出された鉄砲である。

 此処で遊ばせておくと、後で文句を言われるかもしれない。

 決断すると、設楽貞通は兵を待ち伏せ留守番組と、追撃戦参加組に分けた。

 部隊を分けて備えも終わり、陽がだいぶ西に傾いて来た頃に。

 設楽原の方向から、大軍が駆け足で移動する騒音が聞こえてくる。

 武田の軍勢が、全速力で撤退する音響が、大きくなる。

 こっちに来ませんようにと祈りつつ、設楽貞通は撤退の足音の行方を傾聴する。

 配下の兵たちも、固唾を呑んで聴覚を研ぎ澄ます。

 大音響の彼方から、服部半蔵が走り寄って来たので、貞通は総毛立った。

(こっちに来るのか??!!)

 ガクブルする設楽貞通に、疲労の濃い服部半蔵が、小休止しながら用件を言う。

「撤退する連中は、ここを通らぬ。追撃に加わってくれ。殿の馬場隊が硬くて、織田の追撃部隊が難儀している」

 援軍の要請だった。

 紛らわしい。

 設楽貞通は、全員での追撃を決めた。

「近道を通って、馬場隊を背後から急襲します」

 大将首は人気があって混雑するだろうから、設楽貞通は『武田四天王』の一人・馬場信春に狙いを絞った。

 部下たちが奮い立ちつつも、鳥肌を立てる。

 馬場信春は武田三代に仕え、七十を超える戦に出て、今まで擦り傷すら負った事がない名将だ。

 本多忠勝に匹敵する戦歴を誇る、特級の戦国武将『不死身の馬場信春』が、相手である。

 ビビりまくる部下たちに、設楽貞通は気休めを言っておく。

「我々も未だ死んだ事がないので、一応は不死身だ。つまり、条件は五分!」

 誰も賛同してくれなかった。

 勝ち戦を楽なポジションで過ごせそうだったのに、最強クラスの武将と戦わされるのである。

 そりゃあ、大不評。

 設楽貞通も賛同していないので、本音を言っておく。

「これから行く場所で、武田の最期を拝めるかもしれない。これを見逃すのは、勿体ないぞ」

 今度は賛同してくれた。

 服部半蔵も、異論は発しない。

 設楽貞通が、土壇場で武田に内通しないと確定しただけで、充分だった。



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