十一話 左平次の筆(2)
落合左平次
いい機会なので、聞いてみる。
「どうしてすぐに戻って来たのですか? 岡崎城で休むとか、援軍と一緒に来るとか出来たのに」
両手を縄で縛られた状態で歩きながら、強右衛門は左平次が差し出した
「徳川の殿にも、止められたよ。危ないから、休んでから一緒に行けって」
「誰だって、そう思いますよ」
「人に誉められ過ぎるとさ、バカになるのかもな」
「そんなに褒められたのですか?」
「殿だけじゃなく、あの織田信長にも、直接褒められたぜ」
「…そりゃあ、バカになりますね」
「舞い上がっちまってさあ。ノリで言っちまったよ。味方が長篠城で苦しんでいるから、自分は休まずに引き返しますって。
バカだねえ、本当に」
差し入れの蜜柑を完食し、強右衛門は目を瞑る。
「本当に」
鳥居強右衛門が、緊張で震えている。
(裏切るから、嘘を叫ぶから、緊張している訳じゃない)
左平次は、鳥居強右衛門が何をしようとしているのか察して、震えが伝染する。
「左平次、蜜柑、ありがとうな」
「構いませんよ、蜜柑ぐらい」
「喉がカラカラでさ。大きな声を出す自信が、なかった」
震えている。
やれば殺される事をしようとして、震えている。
それを悟られないように、震えても不敵に笑って見せる。
他にも気付いている武田の兵はいるかもしれないが、総大将の勝頼の命じた策だ。
言わずに、鳥居強右衛門の好きにさせた。
長篠城の、西岸に到着する。
城内の者たちが、武田に連れられた鳥居強右衛門を見て、集まって来る。
城主の奥平貞昌も、本丸から顔を出す。
鳥居強右衛門と、視線が合う。
武田勝頼が急かす前に、鳥居強右衛門は、大声で伝令を果たす。
「長篠城のみんな! よく聞いてくれ!」
その先の台詞を、迷わずに、鳥居強右衛門は放つ。
「二日で援軍が到着する! その数、四万! それまで、持ち堪えっ…」
「斬れ」
勝頼の命令で、部下が鳥居強右衛門を一刀で斬り捨てる。
長篠城から、怒号と悲鳴が響く。
謀ろうとして謀られ返された武田勝頼の怒りは、殺させただけでは収まらなかった。
「磔にして、ここに晒しておけ」
「そんなの酷い!」
左平次の抗議に、勝頼は一瞥もせずに、その場を離れようとする。
左平次が咎められなかったのは、他にもこの忠義者への性急な処刑に激怒した武士たちが、勝頼を詰ったからだ。
「その者は、忠義を尽くしただけではないか!」
「真の武士に対して、磔とは何事だ!」
「だからお前は、足りないって言われんだよ!」
味方にブーイングされながら、勝頼は退去した。
残された部下たちが、死んだ鳥居強右衛門の衣服を褌以外剥ぎ、組んだ木材に磔にする。
磔にされた鳥居強右衛門の顔は、毅然として目を見開いている。
その視線は未だに、長篠城の本丸にいる奥平貞昌と、合わせた時のままだ。
左平次は、磔の足元に座り込み、鳥居強右衛門に許可を求める。
「強右衛門。今の姿を、描かせてくれ。僕の家の旗にして、残してみせる」
梅雨が、明けかけているので、誰も左平次の筆を邪魔しなかった。
左平次は長篠の戦いを生き延びて、徳川家康に仕えた。
鳥居強右衛門の最後を看取った上に、この絵の持ち主である。
転属は、歓迎されたとみていい。
『磔にされた鳥居強右衛門』の旗指物を背負って戦場で働き、子孫も引き継いだ。
『磔にされた鳥居強右衛門』の絵は、仲間を助ける為に命を懸けた伝説と共に、現在も伝わっている。
注釈
落合左平次道次が描いたのではなく、雇った絵師に描かせたものですが、筆が滑って左平次本人に描かせました。
執筆中は気付かなかったが、書き終わってから気付いた。しかしながら、このままにします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます