八話 強者なし 敗者なし 死人のみ(2)

 辛い作業も、慣れてくると、欲が出る。

 奥平貞昌は、寄せて来る武田への情報収集の精度を上げる。

 鳶ヶ巣とびがす山に築かれた砦は、長篠城を攻める為だけではなく、総大将の武田勝頼が寝起きしている本陣だと知れた。

 武田家の家紋「武田菱」の描かれた旗の数が、尋常ではない。

 侍大将の出入りも多い。

 本丸の窓からの偵察に徹している亀姫も、ドヤ顔で報告してくれた。

「あの本陣だけ、別格扱いですわ。歩き巫女の出入りも、あそこだけです」

 貞昌はご褒美に、その日の自分の昼飯を半分、分けてあげた。

 周辺を観察して仕入れた中でもトップの情報だが、長篠城の手勢は五百名未満。

 一週間の防御戦で、そろそろ四捨五入すると四百名にまで減っている。

(織田信長なら、兵の二千でも殴り込ませて、首を取りに行く情報なのに)

 鉄砲の小隊を別動隊にして、本陣への狙撃をさせようかとも考えたが、無理がある。

 周囲四箇所を囲む砦が、余分な動きを許してくれない。

(どっちが守りに入っているのか、分からなくなるな)

 変な欲をかかずに、防戦&時間稼ぎに専念する。

(とはいえ、外の情報も欲しい)

 長篠城の包囲網の外。

 最寄りの新城城は建築中なので、半端に立て篭もらずに廃棄している可能性が高い。

 伝令を出そうにも、その先の岡崎城までの行き来は、武田に捕まる危険性が高い。

 余分な兵力は全然ないので、包囲網を確実に出入り出来るような人材を探すしかない。

「いないなあ、そんな存在」

 本丸の最上階で兜を枕に寝ている最中にぼやいてしまうと、横で寝ていた亀姫が、敏感に反応する。

「…習っておりますわよ。…溜まっている、殿方の、慰め方を…母上から(きゃあああ)」

「求めているのは、そういう存在では、ありません」

 城内には客室がないので、亀姫&侍女二人の寝床は、貞昌の横にした。

 婚約者として最終防衛ラインで守る為というより、亀姫を食糧庫に接近させない為だ。

 過去二年間の、婚約者としての会食で、貞昌は把握している。

 亀姫が食糧庫で食欲を発揮したら、その日のうちに長篠城は落ちる。

 飢えで。

(亀姫に恥をかかせないよう、火矢が食糧庫に命中して燃えた事にしよう)

 アホな懸念に対して、婚約者はピロートーク(仮)を続ける。

「でしたら、どのような存在をお探しですか?」

「長篠城から岡崎城まで行って、帰って来られる人材です」

「まあ。服部半蔵に頼めば、いいではありませぬか」

「…どうやって?」

 亀姫は、ドヤ顔で起床すると、窓から小雨の降る夜空へと、声を張る練習をする。

「あー、あー、本日も晴天なり、本日も晴天なり」

 城内は勿論、遠巻きに包囲している武田の兵たちも、美少女姫の声音に傾聴してしまう。

「服部半蔵! 長篠城で、亀が呼んでおりますわ! すぐにいらっしゃい!」

「…ああ、なるほど」

 聡い貞昌は、その方法を理解した。


 長篠城に籠城する亀姫が、夜中に服部半蔵にSOSを発信したという噂は、夜中でも武田の陣中を貫いた。

 武田の周辺で聞き耳を立てていた伊賀者たちから、服部半蔵本人へと、情報が最優先で伝わる。

 次の日の朝飯前には、見慣れた鬼面が食事を運んで来てくれた。

 今回は雑用係の格好ではなく、黒装束の忍者スタイルで姿を見せた。

「ね?」

 亀姫はドヤ顔だが、服部半蔵は鬼面を崩さない。

 というか、いつもより三割増しで鬼面。

「ご無事で何より、と、言いたい所でしたが」

 五割増しで、鬼面。

「同衾、しておりましたな? 婚前に」

 朝飯を持って来るより遥かに早く到着して、覗かれていた。

 貞昌は、包み隠さず、正直に打ち明ける。

「長篠城の食糧庫を、亀姫から守る為です」

「見事な采配です。感服しました」

 既に、服部半蔵は察していた。

 亀姫は不服だが。

「亀、ギャル曽根の半分しか、食べないもの」

「半分でも、長篠城には致命的です」

「台所の狭い貧乏城なんて、大嫌いよ!」

 拗ねる亀姫を放置して、貞昌は最重要の情報を半蔵に伝える。

鳶ヶ巣とびがす山砦が、武田勝頼の寝所です。武田の増援は、ありません。ここに集結した一万五千で、全軍です。その内三千が、長篠城に張り付いています」

 その情報の価値に頭を下げて敬意を払いながら、服部半蔵は、長篠城にとって耐え難い情報を伝える。

「では、拙者は、これで帰ります」

「次は、お菓子の差し入れを持ってきなさいよ、半蔵」

 お腹を鳴らしながら、亀姫は気軽に言い渡す。

「いえ、拙者を呼びつける手段は、もう通じますまい」

「いっ?」

「武田は、甘くありません。次は、拙者の耳に入らないよう、噂話にする事すら禁じるでしょう」

「噂話を禁じられるものなのですか?」

「武田には可能です」

 亀姫が、呆然とする。

 何処まで軍律を厳しくしたら噂話まで禁じられるのか、想像も出来ない。

 服部半蔵は、最後に徳川家康からの伝言を、亀姫に伝える。

「最後に、殿から亀姫への伝言です。

 『武家の娘なら、覚悟を決めておけ』

 との事です」

 今すぐに織田を待たずに出撃しようとしたとか、寝言で『奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり奥平の小倅と長篠城で二人っきり』

 と連呼してうるさいとか、余計な情報を伝えない。


「覚悟は決めておりますわ、とっくに」

 生まれた時には人質同然に今川家に囚われ、物心が着いた頃には、

「実の父が見捨てたので、母と兄と一緒に、何時処刑されてもおかしくない」

 という状況に置かれていた亀姫である。

 死生観は、ハナからぶっ飛んでいる。

「亀はどうせ、生まれた時から死人でしたと、お伝えください」

「嫌ですが、お伝えします」

 亀姫の強気に、服部半蔵の鬼面も緩む。

「泣いているようなら、足手纏いだから連れて帰る気でおりました」

「籠城ダイエットの邪魔です。もうお帰りなさい」

 亀姫の腹が、連動して鳴る。

 服部半蔵は、ニヤリと笑い返しながら、姿を消した。


 服部半蔵が、現時点で情報を与えない事の意味を、貞昌は深掘りする。

(向こうの情報は、全然くれなかったな)

(織田の援軍が来る期日ぐらいは)

(いや、早く知らせない方が、いい情報?)

(来ない訳がないよな、織田にとって、武田を潰せる好機を)

(長篠城が開城や落城して、情報が流れてしまうリスクを考えたら、話せないか)

(うむ、甘ったれずに、初志貫徹)

(武田を三千名は長篠城に割かせているから、徳川・織田連合軍は、その分、楽に戦える)

(やはり初志貫徹)



 服部半蔵と入れ替わるように、武田の使者が、長篠城を訪れた。

 降伏勧告である。

 長篠城の北側の柵に、両手を上げて一人で近付き、雨音に負けない大声で条件を告げる。

「城主・奥平貞昌と婚約者・亀姫は、生命を保障し、甲斐本国で保護。

 城兵は、好きに落ち延びていい!」

 長篠城の皆の視線が、貞昌に集まる。

 貞昌は、顔色一つ変えない。

「命惜しさに、婚約者を売り飛ばす気は、ない!!」

 本丸から鉄砲を構える貞昌に、武田の使者は大声を続ける。

「奥平は、強者に寝返るのが本業ではありませぬか? あなたの祖父・奥平定勝は、武田に仕えたままですぞ? 敗者にならず、勝ち馬に乗り換えられよ」

「父・定能は、徳川に留まっている! 武田が最後に敗れると見たからだ!」

 貞昌は、使者の足元に、弾丸を撃ち込む。

「交渉は終わりだ。帰っていいぞ」

 武田の使者は、後方に走る用意をしながら、捨て台詞を残す。

「忠義者ぶるな、奥平! お前は、妻と弟と従兄弟を見捨てて武田を裏切った奴だ! 今度の婚約者も、我が身可愛さに見殺しにするだろうよ!」

 流石の貞昌も、キレた。

 今回は、本音を腹の底に仕舞わなかった。


「死ぃねえええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!」


 貞昌が次の鉄砲を構えて撃つより先に、亀姫が矢を放って、使者の腹の肉を掠めた。

 腹から腸が出ないように押さえて逃げる武田の使者に、亀姫が言い返す。


「強者を気取りたいなら、この長篠城を武芸で落として見せよ!

 長篠城を守っているのは、敗者にあらず。

 長篠城は、死人の守る城です。

 勝ち馬に乗らぬと戦の出来ぬ臆病者に、この城は落とせません!」


 亀姫が、二の矢を引き絞る。

 カップルの怒号に呼応した味方が、一斉に矢と鉄砲を使者一人に向けて放ってしまう。

 コスパは悪いが、長篠城は結束を強めた。

「…余計な矢弾を、使わせてしまったでしょうか?」

 オーバーキルされた使者の死体を見下ろしながら、亀姫は婚約者の意見を求める。

「惚れた」

 貞昌が、めっちゃ抱き締めてきたので、亀姫は

「いま惚れたという事は、まだ惚れていなかったんかい、我?」

 と言いたいのを堪えた。

 婚前なのでずっと礼儀正しく清い交際を続けていたハンサムな婚約者が、その気である。

 いい機会なので、そのまま抱かれた。

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