第一章③


 そこまでの事情を話し終えた美形のエルフは、疲れたように息を吐くと、聖佳の顔を真っ直ぐに見つめてきた。

「貴方は天に選ばれ、私たちの勇者となるべく召喚されたお方です。失礼とは存じますが、何か武芸などは修めておいででしょうか?」

 先程の話を聞く限り、彼女は聖佳に、そのコーウなる人物と同等の力量を期待しているようである。だが、彼にはそのような経験も実績もないのだから、首を横に振らざるを得ない。

「いえ、その……自分はただの学生、なので……」

「がくせい……?」

 申し訳なさそうに答えた聖佳に対し、エメの反応は鈍かった。この世界には学校や学生という制度はないのかと思い至り、どう説明すべきか、困惑してしまう。

 結局、解説は要領を得ないものになってしまったが、しどろもどろながらに聖佳は言葉を尽くすこととなった。学生とは、未成年者というか、未成熟な年齢の者が学業を修めるための機関に所属すること、またはそういう者のことである、と小難しい言い回しになってしまったのは、彼が未熟で語彙が貧弱な証左であろう。高校生である自分は義務教育は卒業しているが、決して社会的に自立している訳ではなく、両親の庇護のもとに公教育を受ける身である、と説明しても、そのような紋切り型の解説では、聖佳自身が深く理解しているからこそ出てくる言葉ではない、ということが明らかであるのだ。

「学問を学ばれるということは、聖佳様は名家のご出身であらせられるのですか?」

 という疑問が提起されたとき、この異世界が近代以前の身分制社会にあることを察した。貴族などの名家でなければ、学を修めることができない、ということなのだろう。

「違います。自分の国では教育の機会が保証されており、義務教育という制度によって、全ての国民が学校に通う権利を持っていました。自分が通う高等学校も公立のもので授業費は無料ですし、さらに先の高等教育機関である大学に進学する割合も高いのです」

 聖佳の答えにエメは目を丸めたが、それは残念ながら彼女の望んだ解答ではなかった。彼女は、聖佳が富貴の生まれで高等な学問を修め、その知識を持って多くの解決策を提示してくれることを期待したのであろう。しかし実際には、庶民の家に生まれ、ごく普通の教育を受けた聖佳は、平凡な学校に通って平凡な成績を取り続ける、至極一般的な高校生でかないのである。

「それでは、何か特別な技術などは学ばれていなかったのですか? 武器の扱いに優れていたり、武術において他を圧倒していたりだとか、そういうことは?」

 残念ながら、これにも聖佳は首を横に振った。柔術や空手などの武道、剣道や弓道などの武具を扱う経験は、彼にはほとんど無いのである。一応、運動系の部活に入っているが、それも特別に脚が速かったり身体が強かったりする訳ではなく、その競技における技術のみを習得し、他に応用できるとは思えない。

 結論から言うと、聖佳にコーウなる人物のような豪勇無双の働きは期待できず、智謀においても現状、何らかの秀でた策を献じるような土壌はない。彼はあくまで、現代日本の一般的な学生に過ぎず、それ以上ではないのである。

 言い辛いことではあるが、聖佳はエメに、そう伝えるより他なかった。話を進めるうちに険しくなっていた顔つきが、今や深刻に凝り固まって青ざめてすらいるようだ。申し訳ないとは思いつつ、それに関しては事実を告げるしかないのだから、聖佳にはどうしようもないことであった。

 聖佳に示した質問が、すべてネガティブな回答によって報われた時、美しいエルフの少女はその表情を完全に凍らせていた。深刻に眉根を寄せて黙り込み、下を向いて何事かを考えているようだが、残念ながらその思考は上向きではありえないだろう。

 重い空気に居心地が悪くなり、聖佳はスラックスのポケットを漁ってみて、そこに求める物がないことに気が付いた。スマホに財布、家の鍵といった普段から携帯している物がない。慌てて見まわしてみて、周囲のどこにも自分が持っていたはずのカバンなど荷物が無くなっていることに、ようやく気が付いたのだ。

 自分の体を見下ろしてみると、それは記憶にある自分の格好と同じで安心する。白のスニーカーに薄茶のスラックス、白いシャツに薄手の黒ジャケットという、春先の軽い装いそのままであった。服装だけはそのままであった事に安堵したが、他の手荷物は果たして、置いてきてしまったということだろうか。

「……分かりました」

 重い沈黙が破られ、エルフの長娘は顔を上げて立ち上がった。問題は何も解決していないだろうに、その表情は気丈なまでに凛としており、彼女の芯の強さを伺わせる。

「聖佳様を召喚したのは私です。その責任は負わねばなりませんし、ここでお話だけ伺って終わりでもありません。しばらくは私たちエルフの里で生活なさってください」

「あ、はい……」

 半ば勢いに圧されるように頷いた聖佳だが、その言葉は願ってもないものであった。見知らぬ異世界に放り出され、一人で生きていくように言われていたら、生活能力のない高校生などすぐに野垂れ死んでしまうだろう。

「行きましょう、森の出口に従者を待たせています。馬車は一頭立てですが、力のある大きな馬なので、心配は要りませんよ」

 そうして、先導するエメの後ろについて歩き出した聖佳だが、俄かに右手側が騒がしくなったのを聞きつけて振り向いたのだ。

 鬱蒼とした木々を掻き分けて来たのが、最初は何か分からなかった。その巨大な影は見慣れないもので、もの凄い速度で接近してくるシルエットには、まるで現実感が湧かなかったのである。

 だから、呆然として聖佳は立ち尽くしてしまった。接近してようやく、それが馬に跨った大柄な人間であると認識できて、むしろ安堵したほどである。何事かを早口で捲し立て、草葉を蹴散らして殺到した甲冑姿の騎士が、長大な柄の剣を振り上げて自分に迫る光景を、非現実的な映像として見物しているだけであった。

「姫様、お逃げください!」

 反対方向から聞こえた大声に、音高い弦の響きが続き、風鳴りと共に馬上の男に矢が突き立った。一矢で兜ごと頭を貫かれた男が、悲鳴すら上げられずにもんどりうって、落下した時には絶命しているのが一目瞭然であったのだ。聖佳は鞍を空にして横を駆け抜けた馬の風圧に負け、よろめいて尻餅をついて、初めて心臓が早鐘を打つのを知覚する。

 倒れた男の背後には、同じような騎兵が二人、同僚の死に怒りの咆哮を上げながら馬首を巡らせている。同じような長大な剣――いや、矛だ。それを振りかざしながら、男たちは狙撃手に向けて殺到した。

 彼らの視線の先にいるのは、弓を構えた長身痩躯のエルフである。長めの金髪、切れ長の瞳、細面で柳美な雰囲気の美男であるが、引き絞った弓は力強く撓り、放たれた矢は高速で男の眉間を貫いた。

 仲間の死を見ても戦意を失わぬ最後の一人が、より加速をかけてエルフに襲い掛かるも、慌てることなく次矢をつがえて照準を合わせる。その動作すら優美であり、同性ですら思わず見とれる程の、射撃スタンスであった。

 目前まで迫った最後の一人が、甲冑ごと胸部を貫かれて身体を背後に反らし、足先が鐙に引っ掛かって大の字に馬上に倒れた。武器が放り出されて草土に埋もれる傍で、死体を乗せた馬も背後へと駆けていく。

「ありがとう、リュカ。助かりました」

 エメが狙撃手に声をかけると、リュカと呼ばれた男は弓を下ろして、微笑を浮かべて頭を垂れた。

「どうやらこの者たちは周辺を探索していた偵察兵である様子。姫様、急ぎこの場を離れますよう」

「姫、は止めなさいと言っているでしょう。それは昔のあだ名ですよ」

「……は、失礼しました、長娘様」

 親しげに会話を交わしている二人を、座り込んだまま見つめていた聖佳に、エメが振り向き、「さぁ行きましょう」と促してくる。未だ呆然としたまま、頷いてノロノロと立ち上がる聖佳だが、視界に入った男の死体に、顔面から血の気が引くのを認識した。

 見ず知らずの人間が横たわっているのみならず、周囲の草を朱に染めて、光のない瞳で虚空を見つめるその姿に、怖気が走って膝が揺れた。初めて見る人の死体に、恐怖と嫌悪感が全身を這い上り、吸った息が肺につっかえて呼吸が苦しい。

「大丈夫ですか?」

 エメとリュカ、二人のエルフが心配そうに近寄って来るのを、必死に頷きながら、しかし聖佳は声も出ない。急に襲ってきた死の実感は、間一髪で助けられた自分の命の、その危険を再認識して、全身を細かく震わせるのだ。

 蒼白な顔で、しかし必死に呼吸を整えて、聖佳はエルフたちの先導のもとに森を抜け出すことになったのだった。

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