第一章②
2
まだチカチカする。降り注ぐ光の余りの眩しさに、瞼を閉じて手を翳し、そして肌で感じる空気が、何やら一変していることに気付いたのである。
地震直後の喧騒が消え、街中とは思えない自然音が周囲に満たされている様子だ。木々のさざめき、鳥の囀り、揺れる風もなんだか乾燥しているように感じる。
聖佳は苦労して瞳を開けた。視界が白く点滅している。光の残像に目を焼かれながらも、必死に現状を確認しようと、周囲を見渡そうとして――
まず真っ先に目に入ったのは、見たこともない程に美しい少女であった。
陽光を受けてキラキラと輝く銀の髪は長く艶やかで、白のワンピース風衣装に包まれた肢体は熟れきっていない華奢さを残しつつも、なお健康的な肉付きの良さを連想させる。細い肩、長い手足、小さい顔まで白く透明感に輝く肌をしており、やや切れ長の瞳に輝く碧眼、高い鼻とぷっくらした唇が、完璧なバランスの元に輪郭の中に納まっている。
どう見ても日本人とは思えない容姿だが、極めつけは長く尖った耳であろう。あまりにも異質な存在故に、最初、聖佳はそれが何なのか分からなかった。アンテナの生えたヘッドホンか何かかと思ったほどである。
そして、聖佳をさらに困惑させたのが、少女の綺麗な顔に浮かぶ、失望の表情であった。明らかに聖佳に焦点を当てた上で、隠しようもない程、彼女は絶望感に打ちのめされているように見えたのだ。
彼女の纏う負の雰囲気に気まずさを覚え、視線を上下左右に泳がせると、周囲に密生する黒々とした木々。地方とは言え、都市の中を歩いていたはずの自分が、今まで見たこともない程の原生した自然の中に身を置いていることに衝撃を覚えた。
唖然として再び正面に向き直った時、自失から醒めたと見られる銀髪の少女が、聖佳に焦点を当てていることに気付く。一瞬、緊張感が水位を増したように感じたが、それは気のせいであろうか。
少女は表情を引き締めて、真っ直ぐに聖佳の瞳を見据えると、決意したように丁寧に頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました、英雄よ」
鈴のように響く声は、硬かった。
いきなりそのように言われても、聖佳としても困惑するばかりである。現状すら掴めていないのだから当然のことで、彼は狼狽えて言葉を出すこともできない。
そんな聖佳の様子を見て、銀髪の少女は近くの倒木を示し、座るように促した。二人が並んで座につくと、少女は胸に手を当てて自己紹介を始めた。
「エメ・パラストルと申します。この先、西に進んだ所にあります、エルフの森にて族長の娘をしております。私のことはどうか、エメ、とお呼びください。失礼ですが、貴方さまのお名前は?」
促されて、言い淀みながらもなんとか、聖佳は答えた。
「まさよし……鈴木 聖佳、です」
「聖佳様、ですね。かしこまりました」
丁寧に礼を尽くされて、聖佳としては恐縮するばかりである。そんな彼の戸惑いを解す様に、エメと名乗った少女は、ゆっくりと説明を始めてくれた。
まず、ここは聖佳から見て、異世界に当たる場所であること。彼女の一族に伝わる、秘宝を使用した儀式によって、異世界より英雄を召喚する術を行ったこと。その結果、魔方陣より発した光の中から、聖佳が現れたということ。それらの事を順を追って丁寧に話してくれるのだから、非常に分かりやすくはあるのだが、だからと言って内容は信じられるものではなかった。聖佳は一度ならず、夢ではないかと自らの頬や腕、脚なんかを抓り上げたものである。
そして現状を説明した後で、何故、エメが召喚の儀を行ったのかの理由が語られることとなった。
現在、この世界では東からの異民族による急激な圧迫を受けているというのだ。その中心となっているのが、近年になって急激に勃興した大帝国、タイソ。その皇帝たるコーウの号令一過、彼らは西南北への進撃を開始し、その侵略の魔の手は大陸西方にまで及ぼうとしている。近く、彼女たちエルフが暮らす森まで侵攻してくるあろうことは明白で、それを避けるためにエメは族長の娘として、タイソ帝国の西方前線司令部へと交渉へ赴いたというのだ。
「私は司令官の将軍と話をすることができましたが、中立を提案して不介入を要望しても、残念ながら聞き入れては頂けませんでした。彼らの要求は無条件の従属のみ。従うのならば自治は約束するが、それ以外の回答ならば武力をもって応じる、と言われてしまったのです」
それは絶望的な脅迫に思われた。しかし、誇り高いエルフの民が、軽々しく脅しに屈することなどできない。圧倒的な軍事力を背景に支配地域を拡大し、すぐそばまで迫っている帝国に対抗するためには、何か秘策を用意せねば抵抗は絶望を生むだけである。そう考えたエメは、交渉の帰路に召喚の儀式を執り行うことを決意し、聖佳を迎えることとなった、ということであった。
「なんで……オレ、いや、自分が召喚されたんですか?」
聖佳のその質問は、残念ながら期待したような回答ではなかった。
「この召喚儀は、明確な誰かを想定して行われるものではなく、異世界からタイミングの合った者が無作為に選ばれるものだ、という風に言われています。聖佳さまが召喚されたのも、私が選んだということではなく、神の気まぐれか時空の偶然によって選択されたものだと思います」
何ともガッカリする答えではないか。要するに儀式ガチャで出てきたものだから、別に選んだわけじゃない、ということである。だから召喚された時、エメが聖佳を険しい顔で睨みつけていたように見えたわけだ。第一印象では、期待していたような人物ではなかったということであろう。
「なんで召喚なんて方法を試されたんです?」
他国の侵略に対抗するにしても、様々な方法が存在したのではないか、と思う聖佳であった。その疑問も最もであるが、エメの答えは少し回りくどい。
「タイソの皇帝たるコーウも、元は異世界より召喚された人物であるとされているのです」
そのコーウなる人物を呼び出したのは、元は東方の華央地方にある小国の一つであったという。華央地方は分裂した群雄乱立の時代と、巨大王朝による統一とを繰り返す地域であったが、十年ほど前までは大分裂期にあったというのだ。すでに統一を失って100年以上の月日が流れ、南北分裂から内戦を繰り返して東西へ、さらに軍閥が独立して細分化し、小国同士でも争いが絶えず併合、分裂、吸収を繰り返す動乱の時代に、一つの王国が国家存亡の危機に陥り、召喚の秘術を用いて救国の英雄を呼び出したと噂されているというのである。
隣国からの軍事的脅威に晒され、実際に国土を侵略されていたその王国は、唐突に出現した絶大な個性によって一気に戦況を覆すこととなる。最前線に立って将兵を鼓舞し、自ら無双の豪勇で自軍の何倍もの敵兵力を蹴散らし続けたコーウは、遂に侵攻してきた敵軍を敗走させ、見事に国家を救って見せたということであった。
その後も周辺国家との戦いに参戦する度に勝利を重ね、戦功を積み上げてきたコーウであったが、いくつもの城を落とし土地を奪い、ついに旧領を回復した時、王国の首脳部は戦闘の終結を宣言し、軍を引くよう命じたという。一つにはコーウの戦功が大きくなり過ぎたことで、重臣たちが自分たちの地位を脅かされるのではないかと危惧したという面もあるが、それ以上に国王を始めとする王国の指導者たちは、戦争に膿んでおり安楽な生活を望んでいたということであろう。
コーウは激怒したと伝わる。国家の頂点に立つ者が、戦乱の時代にあって野心もなく、ただ自分たちの平穏を望むのみとは如何なることか。若く勇猛な英雄は覇気の赴くまま軍を返し、彼に従う兵卒はこの勇将に心酔していた。国都に入ったコーウは勢いそのままに王宮に乱入し、国王を斬って体制を転覆させてしまった。
国家の混乱は思った以上に小さかった。すでに民心は勇敢な英雄にこそ信頼を寄せ、怯懦な国王とその佞臣たちには侮蔑の視線を送っていたのだ。コーウは自らに従わぬ重臣を悉く粛清すると、年端もいかぬ王族を玉座に座らせ、自らを摂政の地位へと就けると共に、亡き王の娘を娶ることとしたのである。そうして僅かばかりの準備期間を経て正当性を獲得すると、幼き王を退位させて禅譲を受け、至尊の冠を頂くことにしたのであった。
こうして王朝革命を成功させ、国号をタイソと改めたコーウは、摂政であった短い期間から準備を進めていた軍事行動に移った。自ら親征して軍を率い、陣頭に立って馬を進める限り、タイソの軍に敵うものはなかった。次々に周辺国家を侵略し、滅亡させ、領土を拡大すること僅か数年。一世紀にも及ぶ分裂の時代は終焉を迎え、華央の地は統一された。この覇業を持ってコーウは皇帝を名乗り、タイソを帝国化した後も、貪欲な征服欲の赴くまま周辺国家、地域、諸部族を併合し、尚も戦い侵略を繰り返している。
いつしか人々より覇皇と呼ばれるようになったコーウは、その異名に相応しく、怒涛の進撃を繰り広げている。もはやその支配地域は大陸の半分以上に及び、鋭鋒は西方諸国にまで届かんとしているのである。その覇道を止めるには、生半可な方法では不可能であると考えたエルフ族長の娘エメは、同じ異世界よりの召喚者をもって対抗することを決意し、聖佳を呼び出したということであった。
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