第一章①
第一章:「召喚」
1
地震だ。
グラリ、と大きく横に揺れる大地。平衡感覚を失して地面に膝をつく人々。視界に映る世界そのものが揺動するかのような景色に、方々から悲鳴が上がり、鈴木 聖佳(すずき まさよし)もまた、息を呑んで地面に身を屈めるようにして横転を免れた。
休日の昼日中の街中である。道路を走っていた自動車も、急な揺れにブレーキを踏み、唐突な制動に反応しきれずに衝突事故も起きているのだろう、けたたましい騒音が周囲を満たした。騒然とした恐怖が空間を満たし、人々の不安が可視化できるかのように、重い空気に押しつぶされそうな気分であった。
体感では永遠にも感じられた大きな揺れだが、実際には数十秒程度のものであろう。地面のアスファルトに異常はなく、街中の建物も動揺の気配を見せてはいない。震度は4か5程度か、余程のことがない限り、人命被害が出るような揺れではなかったと言える。
不安に満ちた喧騒が、安堵の空気へと変わってきたのは、たっぷり一分ほどが過ぎた頃だろうか。歩道の人々は立ち上がって無事を確認し合い、事故に巻き込まれたドライバーがなにやら怒鳴り始めたりと、俄かに喧騒を取り戻し始めた時だ。
聖佳も肩の力を抜いて立ち上がる。何事もなくて良かったという思いと、一人きりで歩いていただけに誰とも共有できない気持ちに寂寥感を感じ、ポケットからスマートフォンを取り出して友人や家族と連絡でも取ろうかと思ったのである。
ガタン、と頭上で異音がしたのだ。
ふっ、と視線を上に向けた時、まず感じたのは、眩しい、というものだった。
光が落ちてくる。周囲の色を吸い取るように、白黒の景色の中で、包み込むような閃光が聖佳に向けて迫り来て。
意識が白光に飲み込まれる、それをスローモーションのように視認しながら、聖佳はただただ呆然と吸い込まれていくだけだった。
*
召喚に成功した。
それは瞬間的な歓喜と興奮をもたらすものであった。
歳若きエルフの森の長娘、エメ・パラストル。美しい銀の髪を風に靡かせながら、秀麗な眉目に湛えた歓びを揺蕩わせ、眼前の光景に釘付けになっている。眩い白光に照らされた頬は、普段の白皙を覆い隠すような、興奮の朱に染められていた。
不調に終わった外交交渉の憂鬱を吹き飛ばすために、最後の手段として行うことを決めた召喚の儀。里の至宝の力を借りて決行できる、たった一度の秘奥の儀式なのだから、その重要性は十二分に理解している筈なのだが、いざ実行しようとしたら緊張でパニック寸前になりながら準備を終えたのだ。事前練習などもなく言い伝えのみで伝承されてきた秘儀なのだから、それも当然のことであろう。
手間取りながら魔方陣を地面に描き、中央に設置したエルフの秘石――何十年、何百年もの時間を清い泉の中で神聖な月光に照らされた美しい宝石――に魔力を込めて、周囲の空間に揺蕩うそれと同調させ、自身もまた練り上げながら、呪文を唱え印を結ぶ、間違えることが許されない重圧のかかる手順を踏んだ末の、異世界から救世主を呼び出すための儀式である。その成功が目前で実証されているのだから、興奮するのは当然のことだろう。
最初に違和感を感じたのは、光が徐々に薄れてきた時だった。
光中に気配を感じたまでは良かったが、そこから伝わる魔力や圧迫感が、想像よりも圧倒的に少ない。英雄召喚の儀である、一騎当千の強力な戦士が現れるはずだと、半ば確信していたエメにとって、その事実は心に暗雲を招来する十分な事態であった。
違和感が不安となり、やがて恐怖に近い絶望に変わるまで、時は要さなかった。収束する光の中で、召喚陣の真ん中に立ち尽くしていたのは、呆然とした様子でこちらを見つめる痩身の若者だったのだ。
ここで膝を折らなかったのは、エメの矜持の賜物であったろうか。必死に自分を支えながら、ささやかな希望に縋る思いで、精一杯に地面を踏ん張った。そうしなければ、叫びだしてしまいそうだったから。
唇をグッと噛みしめて。彼女は目前に立つ頼りない少年に向けて、決意を称えた瞳を向けて、呼びかけたのであった。
「ようこそおいでくださいました、英雄よ」
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