SSSランクの最強転生英雄を倒すために異世界召喚されたけど、無能者だと追放されたので、辺境伯の庇護を受けて暮らします
宮ちゃん♪
プロローグ:「邂逅」
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すれ違った瞬間、何かが決定的に変化したことを、確信していた。
彼女は背後を振り向いた。反射的な行動だった。そして、彼もまた、こちらを見ていた。
それは運命なのだ。
刹那の邂逅。その筈だろう。視線が合った。彼の全身を見ていた。彼の全身しか、見えなかった。周囲の景色は全てモノクロだ。行きかう人々すらも消えた。自分の隣に誰が居たのかも忘れ、ただただ、彼の姿を、捉えていただけなのだ。
まるで永劫の牢獄に囚われたかのような感覚。頭に焼き付いたのは、情動。自失、と言われれば、確かに彼女は自らを失していたのである。
呪縛が解けた。自らに問いかける声に、自身を取り戻した時、彼女は時間を再認識した衝撃に襲われた。
眩暈に似た感覚だ。視線の奥で、彼はすでに背中を見せて、遠く離れて歩んでいる。彼女は息を吞んでいたことを思い出した。ゆっくりと呼気を吐き出し、平衡感覚が失われたかのように、視界が一瞬、歪んだことを確認した。
よく倒れなかったものだな、と思う。日頃から体幹を意識した生活を心がけていた事の賜物だろうか。
何事もなかったように前を向く。訝しむような随伴者の問い掛けに、にこやかな笑顔で受け答えした冷静さを、頭の隅で驚嘆する別の自分がいるかのようだ。
平然とした足取りで、彼女は再び歩き出した。しかし彼女は、もう戻れないのだろう。あの存在を認識してしまったことを、魂の根源から理解したのだから、それは当然のことなのだ。
日々の雑務をこなしながら、一方で全く違う高揚を抑えきれない自分に、困惑し続けることに、彼女は一種の歓びを見出していたのだ。
谷河 恵令奈(たにかわ えれな)は、いわゆるお嬢様という人種である。
生家は戦前より続く商社の系譜であり、戦後の成長に併せて事業を急拡大させた、実質的に財閥ともいえる谷河家の本流であり、唯一の嫡子として次代の責任を双肩に担うことになろう。そもそも彼女が在籍する私立令恵学院が、恵令奈の誕生に際して当時のグループ総裁であった祖父が、孫娘を安全に通学させようと将来のために設立した、初等部から高等部まで充実した設備を備えたエスカレーター式の学園であり、経営陣には親類縁者が顔を揃えた一族経営式の学校なのであった。
恵令奈自身も生まれながらの優秀性を備えた才色兼備の少女であり、現在は高等部の学生会長だが、その理由を家系だけに求められるようなことがないよう、成績や立ち居振る舞いに腐心してきた結果、彼女の地位に疑義を持つ者はいない。
スラリとした体形、長い手足、キュッと締まった腰など、抜群のプロポーション。艶のある美しいアッシュブロンドの髪の毛は背中の半ばまで真っ直ぐに伸び、色素の薄い頬、長いまつ毛、そして青みが掛かった瞳の色は、彼女の祖母から受け継いだ北欧の血を想起させる。十代の少女とは思えない程、美しい容貌をしていた。
高い矜持に責任感、そして生来の真面目さから、堅苦しい印象を受ける者もいるが、実際には柔和で柔軟性に富んだ性格をしている。自分に厳しく他人に優しい人間性、世話焼きで他者を気遣う寛容性は、学生生活における良好な人間関係も、学生会の運営にも発揮され、多くの生徒が彼女を敬慕する要因となっているのだ。
そんな恵令奈だが、ここ最近、どうにも本調子ではないことを自覚していた。事あるごとにボーッと物思いに耽り、普段なら絶対にしないようなミスを散見させ、気付けば時間を飛ばしていることもしばしばである。勉学に身が入らないどころか、理科の実験中に試験管を落として破損する、降りる階を間違えて男子更衣室に突撃しそうになる、数学の授業中の板書回答で全く別の数式を解いていた、などの実害が出るほどに、集中力を欠いている始末であった。
原因は分かっている。先日、廊下ですれ違った、あの男子。特に人目を引くような容貌ではない、痩身中背の平凡な男の子。それなのに、目が合った、その瞬間に、恵令奈の脳髄に深く食い込む甚大な衝撃を残した、彼の存在だ。
名前はもう分かっている。羽宮 聖樹(はねみや まさき)、2年C組でサッカー部、一般家庭出身。住所は近隣のようで、学業成績は平凡ながら、部活動での活躍が評価されて無償の奨学金を得ているらしい。活躍しているとは言っても、学内で特に噂になるようなものではなく、部活やクラスでの評価は中庸だ。悪い話は聞かないし、交友関係も良好そうで、これと言って特徴があるタイプではないだろう。
ここまで調べて、何故こんなに彼が気になるのか、恵令奈には全く理解できなかった。いま現在、聖樹には交際中の女性はいないようだし、周囲に恋慕を抱いているような影も見えないのだから、男性としての魅力に溢れているという訳でもないだろう。
しかし恵令奈はこの少年に、強烈に惹かれている自分を自覚しているのである。その理由が分からぬまま振り回されて、混乱し、狼狽しているのだから、現状を放っておくことはできない。
故に恵令奈は、聖樹との直接対面を決めた。普段から、多忙な父の代理として理事長室で書類決済など事務仕事を行っている関係で、この重厚な密室を自由に使う権利を持っているのである。面会場所は確保できているため、呼び出すことにしたのである。
一日の放課後、授業終わりに樫の机を前にして、書類に目を通す恵令奈の様子に、側近の來山 凛(くるやま りん)が心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
「え、何が?」
「先程から落ち着かない様子なので……」
平静を装おうとしても、やはり幼いころから一緒にいる彼女の目は誤魔化せないようであった。凛の祖父が谷河家の執事長を長年に渡り務めていた関係で、幼馴染というよりも姉妹同然に育ってきた二人だが、年を経るにつれ関係は変化し、今では正式に使用人として恵令奈に仕える立場になっているが、それでも彼女たちには主従を超えた友誼の絆が存在している。凛は恵令奈にとって最側近であり、頼れる使用人であり、頼もしい護衛であり、信じられる親友なのであった。
「平気よ、なにも問題ないわ」
素っ気なく答える恵令奈に、しかし横背に立つ凜は、なお気掛かりな視線を向けてくる。ソワソワとして落ち着きなく、目を通すどころか目を滑らせるだけで内容を把握しきれていない書類整理を続ける主人に、心配するなと言われても無理な話であろう。それは恵令奈にも分かっている。しかしそれでも、この焦燥を暗に認めるのは、彼女の矜持が許さない。
ショートに揃えた、くすんだ金髪を弄りながら、凜もまた落ち着かなげにチラチラと視線を投げてくる。聖樹の情報を調べるよう頼んだ時も、その情報を持ってきた時も、凜は常に怪訝な様子を隠しはしなかった。その怪訝な気持ちは恵令奈も一緒であり、むしろそれを確かめる為にも、彼との対面は必要なのだ、そう恵令奈は自分に言い聞かせている。
「……そろそろかしら?」
その問いの意味するところを、凜は正確に理解しているはずである。
「はい、その筈です」
という応答を待っていたかのように、コンコンコン、と理事長室の分厚い扉が、ノックされた。
ガタン、と音を立てて、恵令奈は勢いよく立ち上がっていた。無意識だったのである。ハッとして凜の顔を振り返り、落ち着くように一つ咳払いをして、椅子に座り直す。
「開いていますよ、どうぞ」
極めて平静を装った声で、恵令奈は答える。急激に心音が激しさを増している。全身の筋肉が緊張に強張るのを感じた。
「えーと、失礼しまぁす」
おずおずと扉を開き、少年が室内に滑り込んできた。慣れない様子で扉を閉じて、落ち着かなげに視線を走らせていた。実際、一般生徒がまず立ち入らないであろう理事長室に入ったのだから、緊張するのは当たり前であろう。
「こちらへ」
冷静な声音だった。スッと椅子から立ち上がり、恵令奈も机の前に歩を進める。応接用のソファの前を通ってきた聖樹と正対する格好になった。
困惑した表情の少年の、しかし力強い眼光を、真っ直ぐに見つめる。やはりそうだ、と彼女は確信した。それが何かすらも分からずに、しかし恵令奈は、深い充足感を覚えたのだ。
膝を折った。背筋を真っ直ぐに伸ばして正座をし、三つ指をついて、唖然としている聖樹の顔を見上げて口を開く。
「お待ち申し上げておりました、旦那さま」
恵令奈は深く、深く頭を下げて、心の底から、主人の帰還を感謝したのである。
プロローグ、終
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