第三楽章・7
「そうか、私が世界を滅ぼすか……」
唐突に声が聞こえた。
振り返ると、そこにいたのはデガルドさんだった。
「待って、エイト。止まって」
僕は、急遽恐ろしい記憶が呼び帰り、素早く声を上げた。
すでに彼女は防衛システムとして働こうとしていた。僕が早く声を上げていなければ、どうなっていたのか分からない。彼女は、一歩大きく足を踏み出していたところだった。
「どうして、ここに?」
「入り口の場所は、私や部長のコールが研究を重ねて発見していたんだよ。あとは、鍵が開いているタイミングを見つければいいと思っていたところだった」
静かに、彼は語った。
「私は、どうしてもここに来たかった。モンペリオ家の悲願? 宿願? 執念や妄執とも言うだろうが、そんなことではない。ただただ面白いと思った。面白そうだったから、来たかった」
「面白そうなのは、分かります」
僕だって、そうだ。
ここに来て、興奮しなかったわけではない。
彼の目は、子どものように輝いていた。
まるでおもちゃ屋にやって来た子どものように。
だからだろう。僕は、だからこそ不安になった。
父も、同じことを思ったのだろう。
彼は自分で否定したが、これは間違いなく妄執だ。恋焦がれ、彼の血液の中までもこびりつけられた妄執。研究者の血が、どこまでも純粋に目的を追い求めた結果だ。
「しかし、見てみろ。未だに人知の届かぬ領域。夢のような景色だ」
「でも、ここの事を外に知らせるのは……」
「そうだろうな。塔にも街にも人が流れ込み、大変なことになるだろう。対岸の両国も黙って見ていてはくれまい。だが、私には一つ手がある」
彼は手を天に掲げた。
「メルツェベルクは、いまだ国ではない。クリナエジスにつくことで、一つの『地域』となっているに過ぎない。もしここから飛び立つことができれば、我々には大きな一歩になるだろう」
「それでどうするのですか?」
「まずは、クリナエジスが望むものを送り、それの見返りとして独立を後押ししてもらう」
「だが、それではダイロン=ザシアに侵略されて終わりでしょう」
こんな簡単なことに、考えが至っていない。
そして、世界が滅びるのだと思った。
誰の目にも明らかな、世界の終焉だと。
「それはクリナエジスとしっかりと同盟を結び、有事の際には我々の代わりに戦ってもらえるように……」
「先にダイロン=ザシアが、クリナエジスと同盟を結んだら? 僕らを助けずにいれば、本国までは攻め込まないようにすると言って。もしくは、そうすれば発明品の見返りを渡すと約束されたら?」
デガルドさんはキッと結んでいた。
クリナエジスとダイロン=ザシアが戦争になれば、兵力で圧倒的なダイロン側が勝つのは誰が見ても明白だ。だが、資源や人口の多い大国クリナエジスともなると双方に大きな被害が出るだろう。互いにリスクを避け合えば、真ん中の川の中の小さな都市を見捨ててしまうのが最善の策と言える。
クリナエジス側とすれば技術を買う相手が変わるだけ。
ダイロン=ザシアにすれば、進んだ技術が手に入る絶好の機会。
どちらもマイナスなんてない。
「僕たちをさっさと滅ぼして、技術を山分けするってことも両国には簡単なことだ」
僕は怒りのままに、デガルドさんを睨みつけた。
自分の雇い主であることは忘れていた。
だが、世界の終焉は、彼が入り込むことで一足飛びにやってくるのを実感した。もはや彼を塔の中に置いておくことはできない。
僕は床に跪いて、デガルドさんに請い願う。
「お願いです。どうかここからお引き取りください。平和な世界が続くように」
「…………分かった」
彼は、少しばかり考えて言った。
僕は安堵して、ふうと息を吐く。
「しかしだ、こうなった以上、君はベック以上に働いてもらう。今ここで一つ買い取る……それでベックと同じく、二週間分の労働と見なす」
「そんな無茶な」
「いや、ベックも同じように解読の手引書を作っていただろう。それさえあれば、数時間もかからないのでは? 今ここでそれを訳してくれ」
デガルドさんは、無茶を言い始める。
確かに仕事の話にされてしまえば、こちらとしては聞く他ない……生活費を引き合いに出されてしまっては……貯金もあるとはいえ。そもそも彼は、街の代表だ。この街で暮らすのさえ、絶望的になるだろう。
「どんなものでもいいんですよね」
「いや、待て。そうだな、せっかくなら運を天に任せたい。本があるところまで連れて行ってくれないか?」
僕はしぶしぶうなずいた。
そこまでに彼は多数の変なものを見、僕以上に目を輝かせてた。
本当に純粋な興味なのは理解する。だが、力を持った子どもといったようなデガルドさんは、さらに力を手に入れるため犠牲を考えない。悪いことを考えない。夢に満ち溢れたまなざしで、科学の輝かしい面を見ている。
本棚の前に来て、さらに一層彼の声が上ずった。
「これが全部、まだ日の目を見ていない発明品かっ!」
「一部ベック様が解読したものもありますが」
エイトは冷たく呟いた。
「つまりは、それも混ざっているってことか。面白い」
デガルドさんが手のひらをこすり合わせながら、ゆっくりと吟味していく。こちらを向いているのは普通なら背表紙の部分であるが、金属本には背表紙はなく、本を止めている金具があるだけだ。つまり、取り出して見るまで、たとえ文字が読めたとしても、何が書いているかはわからない。
ゆっくりと棚を左右に行き来しながら、ふと足を止め、一冊の本を抜き取った。
「これだ!」
彼はろくに表紙も読まず、それを僕に手渡した。
完全に、運を天に任せたといった形だった、それは間違いない。
だが、僕が考えていた以上に、運命は悲惨な結末へと転がっていく。
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