第三楽章・2

 僕は耳栓をしているのを再度確認され、母の部屋へと押し込められた。

 確かに、先に母の部屋の蔵書を確認しようと思っていたところだ。

 そして、昨日と同じように紙が出てくる。


『わたしは、ドアの外にいますからね』


 なんか信用されてないなと思ったが、次の瞬間に完全に理解した。

 カチリという音は、ここでも聞こえた。

 そして、何かが爆発したのだと思った。

 すぐに立っていられなくなって、僕はピアノの前にあった椅子に倒れ込んだ。だが、その椅子からの振動が胸に来て、次は床に。床もダメだ。机の前の椅子、テーブル、ピアノ……どれも僕を休めてくれない。

 いつもは短く感じる音楽が、何倍にも長く感じた。

 頭の中を、腹の中を、振動がぐらぐらとかき回すようだった。

 音は静かになったような気がする。揺れは収まった――と思う。曲は終わっているようではあるが、まだ体が揺れているように感じる。

 立てない……。床を這う。


「エイト……おわ――」


 慌てて、口元を抑える。

 うぷ。体の中のものが、こみ上げてくるみたいだ。

 そこに飛び込んでくる、エイト。やっぱりあの時出してもらうべきだったと思う。というか、分かっていたのでは?

 僕は、エイトを見つめる。


「でも、体験したくて来たのでしょう?」と耳栓を取り外しつつ言われた。

 まあ、その通りだし、体験しない方がいいと言われたところで、引き下がったとも思えない。

 とはいえ、これは体に良くない。


「ど――どこかで、寝かせてくれない?」

「お二人が生活していた部屋を片付けましたので、そちらに行きましょう。トイレやシャワールームもありますから。荷物は置いたままでも大丈夫ですか?」

「だいじょぶ……あいがと……」


 彼女に抱えられるように部屋を出た。母の部屋から出て廊下を戻らず、『公園』とは逆の方向へ。まっすぐ突き当りの扉へと入る。

 昨日は、入っていない部屋だ。

 中は全てが金属の部屋だった。

 真鍮、鋼に銅と、全てが天井からの光を受けて輝いている。

 ここには、他の部屋を超える不思議なものが並んでいた。

 大きな真鍮色の大きな椅子は、まるで玉座のように仰々しく真ん中に鎮座している。円形の部屋を囲うように、壁沿いには何をするものか想像もできない、何かしらの機器が並んでおり、さながらここが塔の中枢なのではと思えた。

 扉を出てすぐ左手に、らせん階段がある。下にも上にも行けるようだ。


「部屋は下です」

「上は、どこに?」

「上は、エントランスですね」

「エントランス? 入り口があるの?」

「塔を一段上昇させる必要がありますが、向こうの入り口からでなくても入れるようになります」

「そんなことが……」


 いや、それよりもベッドのが大事だった。

 彼女は、いきなり僕の前にしゃがむ。


「え?」

「階段は狭いので、乗ってください」

「いや、それはさすがに良くないって!」

「断って自分から階段を下りた場合、転んで体中を打つことになります」

「わかりましたっ!」


 僕は彼女の背中に乗る。

 意外と柔らかい。セルロイドの人形のような質感かと思っていたが。


「特殊な素材です。人の肌のように、暖かくはありませんが」

「こんな風に、しっかり触ったのは何年ぶりかわからないけどね」

「そうですか……」

 何か憐れまれている気がする。

「いや、違うよ。年頃の女性にっていう意味で……」

「それはそれで、悲しいことだと思うのですが?」


 うぐ。墓穴を掘った。

 どうせ友達は少ないよ……。

 何も言えない。情けない。

 ただただ僕は彼女の背中に捕まっていることしかできなくて、彼女の髪にグッと頬を押し当てる。何か、いい香りがする。どこか、懐かしいような匂い?


「香水をつけてみたのですが。いかがですか?」

「香水!?」

「ええ。アコール様は、大切な人に会うなら身だしなみは大事だと言っておられました。そんな日のためにと、彼女から一瓶いただいたのです」

「……」

 また何も言えなくなって、彼女の髪に顔をうずめた。


 

 階段を降りると、上と同じように様々な金属製のものが置かれた部屋に出る。

 こっちは、書庫のようだった。金色の金属板に文字が彫り込まれたようなものが、銀色の表紙で閉じられているのが置かれている。部屋の真ん中には、周りに似つかわしくない木の机がポツンと置かれており、そのうえで一冊の本が開かれたままになっていた。


「あそこで、ベック様は作業していました」

「父さんにしては、似合わないね。開きっぱなしにしておくなんて」

「急に、アコール様に声をかけられて、そのまま旅に出ることになって」

「つまり、あれが最後に調べてたページ……ちょっと下ろして!」

 僕は、ふらふらと机に向かう。

「大丈夫ですか?」

 彼女はそう言ったが、止めようとはしてくれなかった。

 止めていたとしても行っていただろうし。何も問題はない。

「大……丈夫……」

 机に何とか辿り着き、ページを見る。


 何だ、この文字……全然読めない。多くが直線で構成されているかのようで、中には丸くなっているようなものもあり、完全に円のものもある。

 文頭の一文字は大きく、文中に出てくる文字はその半分ほどで、しかも大小の文字はそれぞれ似通っている。

 僕らの文字とは何もかもが違う――何かの暗号なのか?

 横には、革張りの手帳が置かれていた。

 表紙には、几帳面にまるでコンパスで作図でもしたのかという文字(見間違えるはずもないくらいに、父の文字だった)で、解読用と書かれてあった。

 これを読みつつ、調べてたのか。

 手帳のページをめくる。

 最初の方に読み方が書いてある。

 どうやら僕らと同じように表音文字を用い、単語を作って意味を成すようだった。代表的な単語やどういう意味か、文法のことなどがざっくりとまとめられている。根気よく調べていくしかないのかと思っていると、このページはすでに解読がされているようだった。

 軽く読み上げてみれば、何らかの発明品の設計図のようだった。

 そして、まだこれはこの世界には、存在していない……。

 父さんは何かの意図をもって、このページを出していた?

 気が付けば、気分どころではなくなっていた。

「これは、なんなんだろう?」

 


 夢中になって図面を書き起こしていたら、エイトによって料理が運ばれてきた。

 いつの間にか昼も過ぎていて、気が付けば糖分も何もかもが足りなくなっていた。

「人間は、食べないと死んでしまいます」

「それは、知ってるけど……」

 自分で言っていてなんだが、説得力がなかった。

 彼女が持ってきたトレイの上から立ち上る料理の匂いに、急に空腹を覚える。体があちこち異常をきたしていた。


「スープの方がいいかと思い、簡単なもので申し訳ないのですが、作ってきました。あとでお茶もお持ちしますね」

「ありがとう……」

 トレイを受け取って、さっそく体に流し込む。

 食べ進めつつ、彼女に聞いてみた。

「父さんから、これの事ってなにか聞いている?」

「わたしが聞いているのは、『こうやっておけば、あいつは気づくだろう』というものと『見ないでくれないか』と言っていました」

「見ないでくれ?」

「そのように、私には」

「どういうことだろう?」


 もう一度書き起こした図面を見直す。エイトにも隠しておけということだと思う。けれど、隠しておくほど大したものでもないと思うのだが……。ただ新型の切断工具ではあるから、もしかすると彼女への遠慮のようなものがあったのかもしれない。ならば、これは見せない方がいいのかも。

「わかった。じゃあ、僕もなるべく隠しておくことにするよ」

 オクターブが知らせない限り、彼女に伝わることもないだろうし。

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