第二楽章・7

 何も言わず、エイトはまっすぐに歩く。

 廊下から『公園』へ。

 そして『公園』を通り抜け、もう一つあった扉へと入る。僕もバタバタと彼女を追いかけた。こちら側の廊下も同じように暗い。そして、今度は廊下の真ん中あたりまで進むと、左右両方に扉があるのが見えた。

 

 彼女は、右側のドアを開ける。

 ちょうど、父さんの部屋の真反対の位置にあたるところだった。

 その部屋の中は、恐ろしく散らかっていた。

 僕ははっきりと解る。母さんの部屋だと。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、床にまで積まれたオルゴールのディスクだった。

 

 部屋の大きさは向こう側の部屋と同じくらい。扉を開いてすぐ正面には机があり、金属のディスクと紙に書き起こした楽譜が、そこから床にまで散らばっている。

 仕事道具がしっかりと片付けられていた向こう側とは、まるっきり違っていた。

 室内を、荷物の塔を倒さないように進んでいく。ふと近くの紙の束の上から、「アコールの部屋」と書かれたドアプレートを見つけた。ああ、父さんの部屋のドアにもあった跡から、ありそうだと思っていたけれど……まるっきり母さんの趣味っぽいデザインだな。

 丸文字でかわいらしい意匠だ。

 もしかすれば、父さんの分もどこかにあるのかも。

 せっかくなので、これは後でドアにかけておこう。入り口、分かりにくいし。

 そこまで強く記憶は残っていないが、常に片づけは父さんがやっていたような気がする。

 音楽家という職業柄、楽譜のようなかさ張るものが多数あったのは確かだけど、それでも圧倒的に散らかっていたのは母さんの部屋だった。楽譜で転んだことも、何度あったことだろう。これだけは痛かった分、鮮明に覚えている。


 塔の部屋もまさにそういうものであふれている。

 部屋の右側は、棚で埋め尽くされているが、移動式の凄まじい物量が保存できそうなところからさらに入りきらなくなって、床にまで紙の束が溢れているようだった。中には見慣れない箱があり、開けてみれば中身はオルゴールのディスクが入っていた。箱には日付が書いてあり、その中に一枚ずつ丁寧に保存されている。


 左側には、様々な楽器が飾られていた。

 しかし、ど真ん中のグランドピアノはどうやって入れたの……?

 

 ポン♪

 ピアノの鍵盤を優しく叩く。調律も問題ない。


「これは、エイトがやっているの?」

「はい。耳はいいんです、私」


 それでも簡単にできる技術ではないはずだが、音は間違いなく合っている。

 父さんの工具も、ここの楽器も、本来は二人の完全な仕事道具のはずだ。

 彼らは、ここで何をしていたんだろう。


「ラック様は、どう思いますか?」

 彼女は、僕の心の声に答える。

「うわっ。まだそれは続いているんだね……」

「何をしていたと思われます?」


 うーん。

 少しだけ、考える。

 二人の様子から推測する。


「塔のバージョンアップとか?」

「残念ながら、それは不可能です。みなさんが塔に使われている技術を自分たちで生み出せるようになるには、まだまだ途方もない時間が必要です」

「そうなんだ……ま、まさかさ。塔は未来の人間が作ったなんて言わないよね?」

「いえ、父は『時間を遡ることは不可能だ』と言っておりました。なので、未来人ではありません。……ところで、回答はあきらめますか?」

「ああ、うん。無理。正解は何?」


 答えの前にエイトは、どこからか一枚の金属板を取り出した。

 短い片が一セドク(3センチほど)あり、長い方との比が五:八くらいの小さなカードである。それを僕に手渡してくる。

 

 カードには、薄く三×七個のマス目が刻まれていて、その二十一個のマス目のうち一〇ほどの箇所に穴が開いている。穴はかなり不規則で、隣り合ったところが空いているものもあれば、まったく開いていないところもある。

 使い道が理解できないものだ。

 あ、もしかするとこれを使って、暗号を読んだりできるとかだろうか。


「いえ、そのような子供だましではありません」

「また急に……じゃあ、なんなの?」

「これは、塔の制作者が初期に用いていた『パンチカード』なるものです」

「ぱんちかーど?」

「本来の発音は、また少しだけ違いますが、分かりやすくすると、そうなります」


 僕は首をかしげる。

 名前を聞いても、何をするものか見当ができない。


「この理論は、難しいものだと思います。特に、誰でも瞬間的に理解することは難しいものです。まずは二進法の話からしなければなりません」

「二進法? 理論は知っているけど、僕らは使わないからね」

「そうです。あなた方が使わないことを、あの人は使っていた」

「で、二進法……つまりすべてを一と零であらわすことで、何ができるの?」

「あなたの持っているカードであれば、穴があるところを一、ないところを零としてどの位置が零か一かを、この子が読み取ります」


 彼女は、母の部屋の隅にあった機巧を指し示す。

 それはちょうどカードを入れるところをこちらに向けた、両手で抱えられるほどの大きさの代物。部屋にある物のどれよりも古いようだった。

 ガラス張りの上面から覗けば中に、小さなレコードがずらりと並んでいるのが見える。


「カードを差し込んでみてください」

「これに?」


 カードを穴へと差し込む。

 奥まで入れると、カチという小さな音がして、金属のアームが一枚のレコードを取り上げ再生するための台へとレコードをセットする。針のついた再生用のアームも勝手に動いて、レコードを完全に自動で再生する。

 聞いたことのない音楽が、流れ始める。


「すごい。全部ひとりでやるんだ」

「それだけではありません。これは曲が終わると次の曲に切り替えるのです。製作者が好きだった曲を決められた順に流すという指令が、このパンチカードに書かれているのです。あの人は、『プログラム』と言っていましたが」

「プログラム……」


 聞いたことのない言葉だ。

 けれど、僕は明確に理解する。

 おそらくこれは、この世界の中で誰もたどり着いていない技術の話だった。


「つまりは、この技術があれば、すべての機巧に予めどういう動きをさせるかを命じておけるということ?」

「そういうことです。初めから、技術をセットしておく必要はあると思いますが」

「初めから……」

「パターンが多ければ多いほど複雑になりますから。反応の量が、すなわち使うパイプの量と同じと思ってください」

「……つまり、君も?」


 それを聞いて、彼女は少し胸を張ったようだった。

 すべてが『プログラム』だとするなら、彼女は一体どういう存在と言えるのか。反応に反応で返せるほどの彼女は、好きな順番で曲を流せるというカードですら測れるものではない。今の僕らの技術からすれば、はるか天のその先を仰ぎ見るようなものだろう。

 僕は、それが恐ろしい。

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