第二楽章・6

 エイトは奥にある二つの扉、その左側に入っていった。

 扉の奥には、また暗い廊下が続いていた。だが、向こうの道とは違って、こちらは土の壁で、天井からも所々に灯りが落ちている。灯りの間隔はかなり広く、目が慣れてないのもあるが、せめてもう少し明るくてもいいのではとさえ思う。さらに奥の方に扉があるのが見えたが、彼女は道の真ん中あたりまで行ったところで立ち止まった。

 何故だろうと思っていると、左側にも扉があるのに気づいた。

 灯りと灯りの間の闇に紛れており、ドアノブもかなり小さい。

 

 とても分かりにくい……。

 

 扉は、壁とほぼ同色に塗られている。

 まるで、見つけてくれるなとでもいうかのように。

 ふと僕の目の高さに、不思議な跡が見えた。逆向きの虹のような、アーチ状に何かがこすれた跡と、その弧を持つ大きな円の中心というべき小さな穴。ドアプレートの穴のようだ。

 

 母さん……確かにこれだけわかりにくいけど……

 ドアプレートでもつけておきたくなるのはわかるけど……


 エイトが先に扉を開けてくれて、僕を中へと促す。

 機械油や錆の臭い、それと炭が燃えたような臭いがしている。

 部屋の中は、公園のようなあちらとは比べられないが、普通に生活し、本を読むのも問題なさそうだ。壁には大小さまざまな工具がきちんとかけられ、塔のような不思議金属ではないのか錆びているものも少しある。正面には大きな作業台や旋盤、金属を溶かすための炉なども部屋の右奥に置かれている。左側には、小さな移動式の作業台があり、天井からはフックが吊るされ、手術台のようなものと、椅子のようなもの――エイトのメンテナンス用だろう――が置かれている。

 ここは塔の中の作業場のようだった。


 彼女も後ろから続いて部屋に入ってくると、まっすぐに手術台のようなものへと向かった。

 家から自分の工具箱を持ってくるべきかとも思ったけれど、問題なく用意されていて助かった。制作者の道具などが残されているかもという予想は当たったようだ。ただ管理は不十分だったのか、錆が浮いているものもあるのが残念だ。


 エイトは、目を閉じ、じっとしている。

 台の上に灯りが落ち、彼女の白い顔が照らされる。


 まばゆいとは、まさにこのことだと思った。その白さ故に、光を強く反射しているだけでは、決してない。美しい形をしている、彼女の何もかもが。

 これを作った人は、自分の思い描く美を象ったのだろうか。

 見蕩れていると、彼女は紙を取り出す。


『すべては、あなたに任せます。先ほどの構造図も、ここに』


 もう一枚の紙を取り出し、僕に差し出す。

 先ほどの部品の説明書きとともに、取り付け方も書かれている。


『あなたのことを信頼し、あなたにすべてを晒すのです。わたしには、未来が見えていますし、この修理が失敗しないことは分かり切っています。確かに不安かもしれませんが、問題ありません。大丈夫。それでは今開けますね。中身はあなたが作っていたものと似ていると思いますので、簡単ですから。――今、開けますね』


 なんだか、急にいっぱいの言葉が書いてあり、面食らった。

 えっと……これは……?


「もしかして、恥ずかしいと、か?」

『いいえ。感情というものは、わたしにはないですから』


 新しい紙がビュンと出てきた。

 顔は変わらず目を瞑ったまま。だが、紙の飛び出してくるスピードからして怒っているように感じた。デリカシーのないことを言ってしまったらしい。


『機械ですので、中を見られるのは問題ありません。人間でいうなら、裸を見られることくらいの小事です』


 いや、それは結構なことだと思うけど。

 ただ、口だけで――紙の上だけど――そう言っているだけで、どこかに彼女の感情はあるような気がして、僕は要らないことは言わないことにした。


「あ、ちょっと道具を持ってくるね」

 ネジ回しを作業台の上に何本か乗せ、台ごと彼女の横に持ってくる。

 例の発声装置も、台の上へ慎重に置く。

 まさか、ネジのサイズまで一緒だなんて。

 彼女の右側に改めて立つ。緊張してきた。ただそれを彼女に感じ取らせるのも良くはないと、静かに息を整える。まあ、そんなことすらも、彼女の予測の上かもしれないが。

 それも感じ取ったのか、彼女の手が動き、少しだけ見えていた右の耳を軽く引っ張った。カチッというまるで鍵の外れるような音がして、するすると顔が向こう側へと開いていく。あまりのことに衝撃を受ける。


 機巧と言われてはいたし、金属で作られた腕も見た。

 だが、それこそ小事というものだ。頭の中を見るという衝撃に弾き飛ばされる。彼女の頭の中にあったのは、金属管の集合体であった。最も太いものは指ほどの、細いものは針ほどの蒸気を通すための金属管が頭という部分の中にひしめき合っている。

 その管たちに支えられるように、手のひらほどのサイズの発声パーツがある。

 内側から蒸気を放出し、ゴムの膜を振るわせて声を出すのだろう。

 まったく同じだ。僕の思いついた、歌う機巧と。

 これを思いついたのは、僕が両親の本棚の中にあった医学書を見たときのことだった。そこには遺体を解剖した図解などもあり、人体の構造が詳細に記されていた。実際の人間の声帯を手本にすればと思い、これを作り上げたのだ。それゆえに似ることはあるだろうが、ネジのサイズまでとなると偶然としては、でき過ぎではないだろうか。

 

 今、本当に唯一の違いがあるとすれば、彼女に装着されているものは、ゴムの部分が固くなりひび割れてしまっているということだろう。ゴムが振動することで音がなるのだから、これでは割れ鐘のような酷い音だったはずだ。

 彼女から古い部品を外す。

 

 顔の三分の一を超えるような大きな穴が開いている。

 その様子は、あまりに恐ろしい。僕はすぐさま新しいパーツを取り付け、ネジを締めていく。自分自身が直ったのを感じたのか、顔が再びするすると戻っていく。しっかり元のようにはまりきるとカッと目が開かれ、ゆっくりと上体が起き上がる。

 僕らとは違う、不自然さがあった。

 起き上った彼女に問う。


「これでいいはずだけど、発音のパーツは大丈夫?」

 こくりとうなずく。


「あー」


「ああ、あー」


「らー。らららー」


 何度か彼女は声を出し、状態を確認していく。

 次はどこまでも高く歌うように、そしてどこまでも低く声を出し調子を見ているようだ。

 そして、唐突に。


 

  「空の風鈴、静かに響く

   風の音に、静かに鳴った

   思うは郷里、遠く故郷に音色は響く

   遠く故郷を思って響く

  

   陸のオルガン、優しく響く

   風の音に、優しく鳴った

   思うは灯り、遠く空まで音色は届く

   遠く空まで灯りが届く

   

   海のピアノ、悲しく響く

   波の音に、悲しく鳴った

   思うは君の名、遠く世界に音色は光る

   遠く彼方へ世界を繋げて」

 

 

 一つ、歌を歌いあげる。聞いたことのない歌だった。

 そして、彼女はこちらに向き直り言う。


「これは開発者が作っていた歌です。歌詞は、私が勝手にこの国の言葉に直したものではありますが、気に入っていただけたら嬉しいです」


 僕は彼女に拍手を送る。

 彼女は軽くスカートの端を持ち上げて返した。


「ありがとうございます。そして、これでやっと会話ができます」

「良かった。発音も問題なさそうだね」

「そちらの方は、十一年前に一度直していただいているんです。彼に」

「彼って?」


 その言葉に、エイトは喋ってくれなかった。

 代わりに、僕の左手を指し示す。

 なんだろう? と思い手を見る。

 持っているのは、さっき使ったネジ回しくらいのものだ。

 そして、やっと気づく。


 不思議な模様とともに、文字が――名前が――掘られているのを。

『ベック・ベルタリス』

 父さんの名前だ!

「これって、父さんの?」

「わたしは、それをちゃんと伝えるために、直してもらったんです」

「父さんのこと? 何を知っているの?」

 彼女は、ゆっくりと台から降りる。

 降りた足は、そのまま扉へと向かう。

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