第二楽章・5

 僕は、カンテラを二つ借りると地上に上がった。

 ルインは、そこでじっと海を見ていたようで、タバコを口にくわえていた。


「おっと、早かったな」

「いや、ちょっと頼まれごとがあってね。というか、タバコ……」

「あ、オマエのいるところで吸ったことはなかったか」


 恥ずかしそうに笑いながら、靴の裏でもみ消した。

 焦げたような臭いが、海風にさらわれて消えていく。


「もしかして、昔は吸ってた?」

 と僕が聞くと、ハハッと短く声を上げて笑った。

「いや、それよりもラック。もう下はいいのか?」

「あ、ちょっと会社に行ってくるから、中で待ってて」

 と話し終わるかどうかのところで、僕は駆け出す。

「中で? ――っと、待てって」

「大丈夫。許可は取ったから!」

 その時、強い風が吹いた。

 聞こえたかどうかは五分五分かと思ったが、振り返ると彼の姿はなかったので、どうやらちゃんと聞こえていたようだった。僕は頑張って走り出す。運動は苦手だ。普段からまともに運動なんてする人間ではないので、家に着くころにはもう限界を迎えていた。


 家のガレージから自動三輪車を引っ張り出す。

 朝から炉の中にあった石炭の燃えさしで何とかエンジンに火を起こし、会社まではこれで行くことにした。石炭の残りが少なかったので、最悪向こうで拝借してこようかなと考えつつ、僕はギアをさらに上げて加速する。

 すでに出勤時間は、過ぎていた。


 ルインが会社に休むと言っていたのは伝わっていたようで、受付にいた女性が「え?」というような顔をした。彼女の視線を無視して昇降機に乗り込み、開発室を目指す。そこでは昨日のプレゼンの結果を受け、作業が本格的な段階へと移行していた。慌ただしく働く彼らの邪魔になってはいけないと僕は静かに入っていく。

 誰も気づかない。

 いつものことか。

 自分の机から道具を手に取り、蓄音機の口から喉の奥にある膜とその周囲のパーツを一式取り外す。このパーツには、隣国クリナエジスで取れた上質なゴムが使われていて、人間の声帯と同じように薄い膜のような部品になっている。薄く脆いパーツだから、彼女エイトの部品の中でも真っ先に壊れてしまったのだろうと推測する。

 パーツをバラして懐に抱えると、静かに開発室を後にした。

 だが、部屋を出るところで、グッと上着の首のところを掴まれる。


「おい」という怒声が、振り返った顔に浴びせかけられた。

 そこにいたのは、セレバル室長の班にいるやつ……名前は、リグル。

 室長の班の中でもかなり優秀な人で、年も僕よりあまり変わらないという話だ。

 そして、どういうわけか変に絡んでくる。


「室長が、おまえは休みだって言ってたが……ここにいるってことは、ズル休みってことかよ」

「違うって。用事があって、休んでるって聞いてないの?」

「用事だぁ? じゃあなんで、こんなところにいるんだよ。会社に来てんじゃねえか」

「……」


 何を言っても無駄な感じだった。

 僕が、何も言わずにいると髪の毛を鷲掴みにされる。


「社長のお気に入りだからって、調子に乗るなよ」

「…………」


 そんな風に怒鳴られても、僕になにができるんだろうと考えつつ、彼のことをじっと見ていた。気に入られるのは僕のせいではないし、ただただ人よりちょっとだけ才能があったというだけだ。それだって小さいころから多くの機巧に囲まれていたから、人よりも多く経験が積めた。それだけの事じゃないか。

 僕が髪をつかまれる理由は、今のところ分からない。

 そのうちに、リグルの後ろをセレバル室長が通り過ぎた。

 何かを言ってくれるものかと思ったが、さすがに彼のことをよく思いすぎていたらしい。


「暴力はダメだぞ。会社の責任になるだろう」

 と言いながら、こちらには見向きもせずに去っていった。

 そんな室長に、リグルは「はいっ」といい返事をし、僕のことを突き飛ばして仕事に戻っていった。なんとか開放されたらしい。


 一応、パーツが壊れていないかを確認。大丈夫だ。

 僕は、急いで昇降機へと飛び乗った。


 

 自動三輪車を飛ばし、彼女の元に戻る。

 そうしていると、頭に彼女のことが思い浮かんでくる。

 エイト――、彼女という機巧カラクリ。何百年と一人で塔に残り続ける気分を、彼女はどう考えたのだろう。作った人は、何を考えて彼女を生み出し、また残したのか。そんなことを考える。

 

 いや、一人ではないのか。「母」と言うあのオルゴールもいる。

 人が生み出せるすべてのものが、その人の子どもというのならば、この車もまた子どもと言えるのかもしれない。なんとなく恥ずかしくもあるけど。ただ少しだけまともな名前を付けてみるべきなのかもしれない、ちゃんと子どものように。

 そう思って考え込む。

 いい名前は、まだ見つからない。


 塔の中へ戻ると、ルインとエイトは木の根元に座り何かを話していたが、僕が戻ったのがわかると話をやめてしまった。どこかその様子が気になった。

 ふと彼女が残したメモに目が行く。

 すぐに彼女もそれらを隠してしまったので、読めたのはごく一部だった。


『――現在どこにいるかのような予測であれば――』

 ルインが『どこにいるか』と聞いていたとなれば、会話の中身は間違いなく両親のことだろう。だが、そそくさと会話を切り上げてしまったのは、どういうことだろう。「両親のこと」であれば、僕にだって関係のないことではないのに。

 何故かルインは目をそらし、それと対照的にエイトは飛び上がった。


『パーツ!』

 取り出した紙には、大きくそう書かれていた。

「待ってたのは、僕じゃないんだね」

『違います』と裏返った紙には書かれていた。『結構大変なんです、先に会話を紙で準備しておくのは』

「それは、そうだろうけど」

『早く、ラック様と直接お話がしたいです』

「――!」

 思わず顔が火照る。

 

 そんな様子を見て、ルインは言う。

「おお! ラックがモテるようなことがあるとはな」

「うるさい。というか、何を話してたんだよ」

「それは……おい、それより早く彼女を治してやれって」

「下手な誤魔化しを……でも、このあとちゃんと聞くからね」

 彼女は足取り軽く歩き始めていた。それを僕が追いかけていく。

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