第二楽章・4
暗い廊下を歩き続けていたせいか、扉を抜けた先は目がくらむような世界だった。
そこは地下とは思えないほど、光に満ち溢れている。
目が慣れるまでは、本当に何がどうなっているのかわからずにいた。
ようやく少しずつ見えてくる。
そして、僕は言葉を失った。
天井からは、白い光が降り注いでいる。
不思議な空間だった。
光る天井を四隅の太い柱がしっかりと支え、壁はなく外には青空が広がっている。部屋の真ん中には川が流れ、土があり、木も草も本物が生えていた。
あれ? ここは地下だったよな。
廊下もまっすぐ平坦な道だった。いつの間にか地上に出ていた――なんてことはない、はずだ。そもそも塔にこのように外が見えるような空間は、どう見ても存在しない。
見れば、僕の後ろにも青空が広がっている。
近づいてよく見ると、精巧で緻密な、だまし絵だったらしい。光と草木の香りのせいか、ここを一切地下だと感じさせないどころか、開放感すらある。例え閉所や暗所が苦手な人間だろうと、ここまで来てしまえば十分に一息つけるだろう。
僕は思いっきり息を吸い込む。
何年も人が入っていない空間とは思えないほど空気は綺麗だ。
まるで、静かな公園にいるかのような、そんな気持ちになっていた。
ふと僕の耳に、不思議な調べが聞こえてくる。
オルゴール?
聞こえてくる音は、僕の知っている曲ではなかった。
不思議な音階を奏でつつも、この世のどんな音楽にも沿わないメロディー。塔から鳴り響く音楽にとても似ていた。音の出どころを探して、フロアの中を歩き回ると、それはあった。
入り口から見てまっすぐ奥の、反対側の壁の近くだった。
こちらの壁には、空の絵の中に混じって左右に二枚の扉があり、真ん中を分けるように小さく細い滝が流れ落ちている。滝はその下に直径一レーブル(約三メートル)ほどの池を持ち、清らかな水を湛えている。
その中に「それ」はあった。
大きな真鍮色の、鋲のついた円盤がゆっくりと回っている。
澄んだ水の中に、浮いているかのように佇むディスク式オルゴール。
それは池の直径に対して三分の一ほどの大きさで、突起のついた面をこちらに向けて堂々とした態度で美しく輝いている。その様子には、異様な神々しさがあった。
音の出どころはまさしくここであった。
円盤の中心からまっすぐ下側に薄い同色の振動板がついていて、それを弾くことで音が鳴っているようだ。
ずっと音を聞いていると、ふと奇妙なことに気づいた。
音に切れ目がなく、違う音になっている?
この不思議なものがオルゴールである以上、記録している曲の長さには決まりがあるはずなのだ。なぜなら金属板の面積こそが、曲の記録容量に等しいからだ。街でも売っている金属板を筒状にしたシリンダーを使うものでいうなら、回転面の長さが曲の長さに等しくなる。これはシリンダーのピンが音楽を作りだしている以上、不変なことだ。
だが、今目の前のそれは、ずっと音楽を流し続けている。
同じ部分の繰り返し、ではない。
違うメロディーが流れ続けている……
理由は、目の前ではっきりと見えた。
急に、オルゴールのピンの一つが消え、違うところが迫り出した。
それはいたるところで、静かに、絶え間なく起きている。
円形のオルゴールのドラムには、普段は隠れている無数の突起が点いているのであろう。それが仕掛けによって、飛び出してくる――のだと思う。だが、それが何の意味があるのかは、まったくわからない。
「ん?」
疑問への答えは、すでに用意されていた。
池のほとりに、一枚の紙が落ちていたのだ。すでに、ここに立ち寄ることが予測されていたのだろう。エイトの文字で、このように書かれていた。
『これは、わたしの母です →』
母? どういう意味だ?
疑問が疑問を呼ぶだけのメモだった。
矢印の先は、紙の裏を指し示していたから、もしかするとそちらには答えが? とも思い、紙を裏返してみる。だが、そこには詳しい説明はなく、簡単な説明が並んでいただけだった。
『本来、彼女に性別はないのですが、わたしの創造主である人間が男性なので「母」とするのが適切かと』
エイトの事を作り上げた人間というのが、そもそも信じられないことなのだが。
この空間にしてもそうだ。天井の太陽の光を思わせる白い光は、どうしているのか。何もかも考えも、想像も追いつかないことに説明が欲しい。ふと彼女のことを放っておいていたことに気づき、慌ててその姿を探す。
すると、エイトはブリキのじょうろを手に現れた。池の水に触れないよう、静かに汲み上げていく。
じっと彼女の方を見ていると、紙を見せられた。
『水を上げる時間ですので』
「ちょうど、そう聞こうと思ってたとこだよ」
どうにも不思議な感覚がある。
会話は先取りして行われる。
奇妙なものだ。
と、思ったことすらも、すでに読まれているのか。話を変えよう。
「この空間は、なに?」
『わたしは、「公園」と呼んでいます。製作者も、そのように呼んでいました。疲れた時にここで休めるような空間にしたと』
と、先ほどの紙の裏には書いてあった。
そして、次の紙が出てくる。
『といっても、好きなように呼んでいただいて結構です。お二人は、この先の廊下を自分の名前を付けて呼んでいましたし、自分の仕事部屋も「~の部屋」とストレートに。しかもドアプレートまでつけて……』
「すいません。うちの家系です……」
何かと恥ずかしいことだと、額を掻く。
そういうところは、本当に家族だな。
ルインではないが、変なとこばかりが似ている。
このまま話を続けるのは嫌なので、話を変えた。
「えっと、そんなことよりもさっきの話の続きをしよう」
エイトは、紙をまた裏返す。
『そうですね。実は、お願いしたいことがあります』
「それは、さっき言っていた答えにもなるの?」
彼女は頷く。
次の紙が出てくる。
『わたしの構造上、この頭部は人間で言うところの耳と口の役割を持っています。この顔の目や鼻は飾りに過ぎず、動物のコウモリのように周りを把握している、のですが――現在口となるべき部品に不具合が起きています』
「それで話せないと……」
紙が裏返る。
『そうです。ですので、部品を使って直していただけないかと思っています』
「部品って言われても、君みたいな高性能なものなんてわからないよ。今までそんなものを見たこともないんだから」
次の紙が出てくる。
一番上のところに、精密な絵が描かれている。
設計図の一部のようであった。
でも、僕にはわからないだろうと思いつつ、その絵をまじまじと見て驚いた。
「これって――、僕の歌う
『そうです。あちらの部品を、ぜひとも移植していただきたいのです。なるべく早く』
「わかった」
『ありがとうございます』と次の紙。
「ただ、一つお願いを聞いてもらってもいいかな」
と僕は切り出す。
「せっかくだから、入り口のところで待っている叔父を中に入れてあげたいんだ。それに他の人にも見せてあげられたらなって。良いって言ってくれたら、今すぐにでも取ってくるよ」
『構いません』
紙の裏には、すでに答えが書かれてある。
今度は、少し長い。
『あなたがそのように言うことはわかっておりました。ですが、あまり多くの者を連れてくるというのは、未来の計測に負荷をかけるということを重々に理解していただきたいのです。計算が複雑に絡み合い、文字通りの予期せぬ結果になりかねません』
「うん……ちょっとどういうことなのかわからないんだけど……わかったよ」
『ありがとうございます』
と、紙が出てくる。
分からないことばかりだ。
計算やら未来の予測というのも、僕の理解の範疇を越えている。
『直りましたら、ちゃんと説明いたしますので』
彼女は紙を裏返し、僕が読み終わるのを悟ると頭を下げた。
「じゃあ、行ってくるよ」
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