第二楽章・2

 二人とも言葉は少なく、大通りを歩き続けた。

 第三地区のもっとも奥、工事中の建物を横目に見つつ、僕らは海へとたどり着いた。

 海は子どものころに来た時には、まだ綺麗な青色をしていたように思うが、最近は黒く濁り始めるようになった。隣国ダイロン=ザシアの排水が海に流れ出しているからだと、研究家は言っている。


「まさか、海から入るとか?」

「何分潜れる?」

「本気で!?」

 慌てて聞き返す。

 が、すでにルインは違う行動を起こしていた。


 海の淵に立ち、後ろを振り返り、片目をつぶって塔のほうを見ていた。まっすぐ先に『金属塔』が見え、その下にモンペリオ・カンパニーがある。


「ここが中心……つまり、ここを……」

 小さく何かを呟きながら、足で砂を掘り返しながら、まっすぐに歩き始める。

 ルインは注意深く、何かを足で探っていたようだったが、いきなり前につんのめった。

「えっ?!」

 僕が驚いて駆け出すよりも早く、思いっきり砂の中に転んだルインが声を上げた。

「あったぞ」

「なに? どういうこと?」


 駆け寄ってみれば、砂の中に何かの蓋が見える。

 金属のようだが、錆ついても傷ついてもいない。

「これが入り口だよ」と周りの砂を払いつつ、ルインは言った。

「……」


 これが塔の入り口。

 そう聞いてみても、言葉はすぐには出てこない。

 というのも、明らかにおかしいことなのだ。ここは、元々は海である。

 三角州の地形は塔ができて以来、長い年月を経て変わっていった。

 つまりこの塔の制作者は、今日のこの日に、『この地点』まで陸地が続いていることを予測し、海のど真ん中に入り口を作ったということになる。そして、何より気味の悪いことに、海水や砂の中に長い間あったにも関わらず、蓋とされている金属は、少しも傷んでおらず、新品のように光り輝いていた。

 自分は、何と対峙しているのか。

 少し、恐ろしくなった。


 ルインは「ほら」と言った。

 分かっている。だが、本当に開けていいんだろうか。

 少しだけ不安を覚えつつも、ルインが指し示す入り口をまじまじと見た。

 鍵穴はどこだろう……まだ薄く積もっている砂をもっと丁寧に払いのけていると――カシャン――といきなり何か仕掛けが作動したようだった。知らないうちに鍵穴が現れている。本当に僕を何かが招き入れようとしているのだと感じだ。

 恐る恐る鍵穴の場所に、鍵を入れ、回した。

 蓋は不可思議で複雑な――どこか文字のような――文様が装飾されていたが、ガチャリという鍵の音とともに一部が飛びあがり、取手のかわりとなった。模様に誤魔化されて見えなかったが、そんな仕掛けが隠されていたらしい。


「ほら、ラック。開けてみろ」

「う……うん」


 取手をつかんで引き上げると、抵抗もなく簡単に開いた。

 異常なほど軽い。これは本当に金属なのか?

 蓋を開けると、そこには梯子のついた竪穴が広がっていた。遥か遠く、奥底のほうに小さく明かりが見えた。結構遠そうだ……。


「どっちが先に行く? 落ちそうだから、先に行ってくれない?」

「いや、ここからはお前ひとりで行くんだ」

「どうして」

「管理者に許可が出てるのは、オマエだけだからさ」

「管理者?」


 行けばわかるさと、僕を穴へと押し込んだ。

 梯子はヒヤリと冷たく、新品同様に錆一つない。管理者がいるのだとすれば、もしかするとその人が梯子を錆びないようにしているのかもしれない。だが、本当に歴史通り何百年も前から存在するのだとすれば、防錆にだって限界があるはずだ。

 ましてや風雨や海風にさらされる塔そのものを、どうにかすることなんてできるだろうか。

 それも誰にも見られずに。


 謎の金属。

 謎の管理者。

 街の不思議。

 両親の過去。

 あまりにも多くの衝撃を受けすぎていた。考え事をどうにか振り払い、梯子を下りることに集中する。一段一段踏みしめながら、下へ。明かりのついている場所が終点と考えれば、ここは恐ろしく高い。気をつけねば。

 

 

 上からの明かりが、とても助かっていた。

 今、どれだけ下って来たのかもわかる。

 そういえば、満潮のころはどうなるのだろう。あそこまで潮は来るのだろうか。

 いや、まずは下りることを考えないと。ふと下を見れば、どうやらもう底の方であった、あと数段下りさえすれば、床へと到着する。


 そんな時だった、コンコンと何かを叩くような音がする。

 ん?

 気になって、音のする方を見るとカンテラを持った人影がそこにはあった。

 管理者という言葉を聞いていなければ、驚いて倒れていたか、梯子に掴まったままに気絶していただろう。それほどの衝撃だった。

 それでも「おおっ!」という声は、自然と漏れた。


 カンテラの奥の影に目を凝らす、長い黒髪に黒いドレス。

 女の子のようだった。

 襟元と添えられたリボンは白く、薄暗い灯りの中に鮮明に浮かび上がる。その上に、また真っ白な首と顔がある。目元が細くこまやかな髪によって見え隠れしているが、その中に浮かぶ顔は、どこか物憂げであり、儚そうであり、恐ろしく――本当に恐ろしいという言葉が、ここまで似合うものかというほどに――美しかった。

 美しい、ひとだ。

 あまりのことに、見蕩みとれてしまう。

 僕が動かずにいると、彼女はスッと紙を差し出した。


 そこには『あなたが、ラック・ベルタリス様ですか?』と書かれていた。

「はい。そうです」とまるで外国語の教本のような回答をしてしまう。

 その答えを噛みしめるかのように、彼女はうなずくと差し出した紙を裏返した。


『ラック様、ようこそ「金属塔メダリガルダ」へ』


 裏面には、すでに答えが用意されていた。

 僕の名前が、ちゃんと記されている。

 

「あの、どうして僕の名前を?」

『もう何年になるか忘れましたが、「あの日」よりすでにあなたが今日やって来ることは分かっていましたし、それに……』


 違うところから、紙が出てきた。

 僕がある程度読み切ったタイミングで、裏返される。


『もう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、あなたはすでに塔に来ているんです。アコール様やベック様に連れられて』

「えっ!?」

 覚えていない。僕がここに来ていた?

 紙の下には、さらに小さくこう書かれている。

『写真もあります』


 呆然とする僕をしり目に、三枚目の紙――ではなく、写真が差し出される。

 そこに写っていたのは、まだ若い両親と小さな子どもであった。隅には十二年前の日付が、几帳面な父の字で記されている。自分の三歳の時のものという自覚はないけれど、確かに家にあるアルバムの姿とも一致する。

 彼女は「信じましたか?」とばかりに、こちらの顔を覗き込んでくる。


「は、はあ、確かに理解しました」

 次の紙が出てくる。

『こんなところではなんですから、奥へと参りましょう。一つだけラック様にご注意させていただきますと、この先の廊下では壁面に触らないようにお願いいたします。火傷なさると大変痛い思いをされるそうですので』

 紙が反転する。

『あと、こちらもお使いください。私には不要なものです』


 彼女はカンテラを差し出した。

 不要とは言われても、奥は全くの闇だ。

 壁に触れずにまっすぐ歩けるのか?


「あの、君……先導するなら、灯りはあった方がいいだろ?」

 僕の言葉に、彼女は一言も発さず、表情も変わらなかった。

 さらに四枚目の紙が出てくる。

 ふと気づいたが、彼女は手袋をしていた。服と同じ黒い手袋。


『灯りは、不要です。壁との距離は、分かり切っていることですから。こちらは、この紙を読むのにお使いください。裏面に、通路の途中で聞かれる質問への回答が書かれております』


 裏面には、びっしりと文字があった。

 一番上には、すでに最初に聞こうと思っていた疑問が、ちゃんとある。

 未来を知り尽くす塔は、こんなことまでも彼女に教えてくれるらしい。

 僕が、まず知りたかったのは、彼女の事だった。


『君の名前は?』

 メモの一行目に、ちゃんと書かれていた。

『エイト』――それが彼女の名前だった。

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