第二楽章・1

 街には、混乱の様相があった。

 曲の冒頭がおかしかったことや、時間が早かったことを口々に言い合った。

 実際曲調は普段とは若干の違いを見せつつも、明るい雰囲気をまとっていた。別に悪い日にはならないと思いつつ、街のみんなはどこか不安げに、一日の生活を始めていた。


 ルインは、僕の目の前を歩いている。

 僕の家の前の道は、この三角州の中心線となるメインストリートになっている。僕らは、これを外にむかって歩いていく。この道はまっすぐ第三地区まで続いていて、その先には海が見えた。

 どこまで行くのだろう、そう思いつつも言葉にはしなかった。

 説明すると言う彼の言葉を待った。

 約束は守るひとなのだ、彼は。

 唯一、彼がかなえられなかった約束といえば、僕が小さい頃のあれだろう。

『父さんと母さんに、会わせて』

 泣きわめいたと思う。

 どうしても寂しかった日だった。

 おぼろげな記憶の中で、彼は言う。

『いつか、絶対に会わせてやる』

 本当にどこにいるのかも分からない相手に、どうやって会わせるというのだ。

 方法なんてものは何もなかった。だが、ルインは僕にそう言い続け、自分のことも同時に納得させたのだと思う。いつかどこかで会えるのだと。そして、それ以上に彼は僕に愛情を注ぎ続けた。

 何度泣こうと、何度喚き、叫ぼうとも。

 繰り返し、繰り返し宥め続けた。

 僕が、しっかりと理解するまで。

 歩きながら、彼は羽織ってきた上着の内ポケットを漁り始めた。

 僕が隣に行くと、ちょうどそこから鍵を取り出すところだった。手のひらよりもさらに大きく、とても普通の錠前でははまりそうもない代物で、形も古めかしい。それに鍵の持ち手、頭の部分にはとても派手な音符のような装飾と宝石がはまっている。


「お前の両親から、預かっているものだ」

 唐突に、彼は話し出した。

「それは、どこの鍵?」と僕はこらえきれずに聞いた。

 だが、「まずは聞け」と怒られた。


 

           □


 

 今日の事が、もう何年も前から決まりきった一日であったと言ったらどうする?

 そんなわけはない? 未来は、行動一つで劇的に変わる?

 だが、もしもその行動すらも計算し、変化すらも予測し、未来を手に取るように観測できるものがあるとすればどうだろう。俺が、オマエとともにこの鍵を使うことを、オマエの両親から聞いていたように。世界中のどんなほころびも見逃さず、それは一列の式へと帰結する。


 すべては、その手のひらの上に成り立っているのだと、言っていたよ。

 それを今日、ラック――オマエに見せる。

 運命が、そうさせるんだ。


 アコール……姉さんはそう言っていた。運命が、ラックを呼び寄せるのだと。

 呼び寄せる合図は、三度の太鼓の音。それまでは教えてくれた。その後で、何がどうなるのかを俺には教えないままに彼らは、オマエの父さんと一緒に旅立った。ああ、違うぞ。死んだってことじゃあない。


 ああ、生きている。

 二人とも、絶対に生きている。

 だが、どうしても帰れないんだ。

 俺はそう信じている。絶対に、そうだ。

 その件もちゃんと話さねばと思っていた。

 オマエの両親がどうして旅に出たのかも、ちゃんと話そうと思っていた。

 そして、話すべきは『今日』だと思っていた。運命の日に。


 

 俺たちは、今から塔に向かう。

 誰も知らない。俺だけが知っている。

 ずっと秘密にしていた、塔の入り口に。

 今日は、運命の日だ。あの二人の息子が、塔に入る特別な日。


 

 まず先に、塔の音楽が心地よく聞こえる日に、いいことが起こるのかわかるか?

 何故、塔の話になるのか?

 いや、それこそが肝心なんだ。

 塔とオマエ、そして両親や街。全てが関わってくる。

 話を戻すが、『塔が心地よく音楽を奏でる日に、いいことが起こる』んじゃない。

『いいことが起こる日に、塔が心地よく音楽を奏でる』のだ。全ては、反対なんだ。いいことが起こるとされるに、心地よい音楽を塔が作り出している。塔がすべて物事を読み取り計算しているんだよ。一日の結果を、塔が自分で、何もかもを知ったうえで。そんな『計算の結果を音楽』にしているんだそうだ。


 何というか、言葉の代わりに音楽という形で俺たちに話しかけているという感じと言えばいいか。とにかく、塔はその日に何が起こるかを正確に予想し、それを音楽という形で生み出し、奏でる。


 それを暴いたのは、ベック・ベルタリスとアコール・ベルタリス。

 オマエの両親だよ。


 塔の秘密を二人はある程度まで暴いた、と聞いている。俺も塔の中までは行っていないからな。だが、真に塔の事を知るためには、ピースが足りないと気づき、二人は秘密を探る旅に出た。俺は……


 途中まで、着いていった。

 危険な、旅だった。

 俺の役目は、道中の護衛や非正規ルートのコーディネートをすることだった。

 しかし俺は、途中で引き返さずを得なくなり、二人の行方は知らぬまま……旅の途中に、オマエの面倒を――姉さんから頼まれたってことになる。これが、二人の行方不明の真相だ。黙っていたことは謝る。気が済まなければ、殴ってもらっても……


 

           ◇


 

 言葉を聞き終わる前に、僕は思いっきりルインの右頬を殴った。

 油断していた状態とはいえ、探偵として荒くれ者とも渡り合ったと言っていた彼の筋力に、機巧いじりしかしてない僕の拳が勝てるわけもなかった。僕の手の方がぐにゃりと曲がり、骨折こそしてない(と思う)が思いっきり手首を痛めた。


「いッッだっ――」

「……」


 殴られた後で、ルインは鍵を握り締め、呆然と立ち尽くしていた。

 本当に殴られるとは思ってなかったようだ。

 そして、殴られたことにショックを受けているようだった。


「……そうだよな」

「え?」

 彼は、本当に小さな声でつぶやいた。

「両親のことを、黙っていられたらそれは怒るよな。悪かった。本当にすまない」

「なんで、今まで黙ってたんだよ……」

「それを知っていたら、どうしてた?」

「探しに行っていたよ。当たり前だろ」

「どこに?」

 言葉にたじろぐ。

「ルインは、途中までは知っているんだろう?」

「俺は案内役ではなく、ボディーガードと交渉を務めていたんだぞ。正確な場所は、あの二人しか知らないんだ。俺は、大体の場所までしか知らない。二人が本当にたどり着けたのかも、知らないんだ」

 ルインは、泣き出した。

「……」

「後悔している。どこまでも着いていくと誓った言葉を守れなかったこと。オマエに両親を連れて帰ってやれなかったこと。今まで黙っていたこと。何もかも」

 だが――とそこで彼は涙をぐいと拭った。

 まっすぐにこちらを見ている。

 頬も、目も真っ赤だった。

「約束を、言葉を。忘れた日は一度もない。報いると誓った。オマエを愛すると誓った。今日までの生活は、今日までの俺たちの日々だけは嘘じゃない」

「わかった」

 短く、言った。

「信じる」

「良かった」とルインは、ほっとした顔を見せる。

「ただ、もうオマエに話した以上、何をしようと止めない。そして、オマエが手掛けりを見つけ、両親を探しに行くと思ったとき、俺は全力でサポートする。それも約束する」

「わかった」


 ストレートな彼の言葉に、僕はとても照れ臭くなった。

 スッと大きなカギが、目の前に差し出される。

 僕は、両手でもってそれを受け取った。何か神々しいもののように。


 

 両親のこと、今まで考えてなかったわけはない。

 どこに行ったのかなんてことは、何度考えたか。それでももう十年以上になる。諦めようと思ったこともある。でも、死体が見つかったわけでもないのに。

 悩んでいたことだ、どっちつかずでいる自分にも。現状にも。

 それを実は手掛かりを掴んでいたなんて言われては、我慢できなかった。

 けれど、彼だって完全に掴んでいたわけではないだろう。

 それに、旅に着いて行ったが、途中で引き返したと言っていた。結果、他の二人は行方不明になるなんて。彼自身が感じていた悲しみは、僕よりも残酷だったろう。けれど、引き返した理由は、なんだったのか……そこは聞きそびれてしまった。

 しかし、これ以上衝撃的な事実を聞かされては僕の身のほうが耐えきれそうもない。

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