第一楽章・4

 黙々と設計図を書き直し(一応、さらに小回りを重視した小型の二輪バージョンも書き)、定時になったら颯爽と仕事場を後にした。

「お先に失礼します」とまたも挨拶をしてみたけれど、やはり何も返ってはこないばかりか、室長がこっちを見て睨んできた。


 プレゼンの時に余計なことを言ってしまったのが、良くなかったようだ。

 逃げるようにソーとファーから蒸気機関を抜き、仕事場を出て帰宅の途につく。

 風を切りながら、この機巧のことを考える。

 量産するとなると、今までのようなテキトーな名づけ方ではダメかもしれない。

 もっと綺麗で、美しい名前に。

 今までの流れを汲めば、ラーとかになるだろうし。

 だが、帰宅時間中にそんな難しい悩みが解決するわけもなく、すぐに家に着いてしまった。

 自分のガレージに乗り込んでいって、タイヤのエンジンの火を落とす。


 

 リビングに入っていくと、テーブルの上にはどこかで買ってきたような出来合いのメニューが乗っている。いつも通りの、近くの食堂で販売している、ショートパスタが入ったミートボールスープだ。

 買ってきて並べただけだが、これが普通においしいので満足している。

 僕らが作れば、普通どころか最悪にもなりかねない。

 ルインは、ソファで眠っていた。

 珍しく胸元を開けている――そして、そこには何か変なものが見えた。


「ん?」

 金属のようなものが、ちらりと光った気がした。

 アクセサリーにしては大きすぎるものが……一体なんだ?

 そういえば、ルインが裸でいるのを見たことがない。

 11年も一緒にいて、一度もない気がする。

 もっと近づいてみようと、ソファへ歩いていく。が、たどり着く前に、


「……ん?……帰って来たのか」

「う、うん……ただいま」


 彼は起き上るとすぐにとても自然な流れで、胸元を閉めた。

 そんな視線に気づいたのか、僕と目を合わせる。


「どうした?」

「いや、なんでも」とまで言って、ふと思い出す。「……じゃない、今日はどうして会社に?」

「ああ、あれはな。定期的に彼の仕事も頼まれているんだよ」

「仕事を? どんな?」

「どんなだっていいだろ――そうだな、『時』が来たら教えるよ」


 それからは、食事をしながらどうでもいいことを話した。ルインは、デガルドさんから僕のことを聞いたらしく、上機嫌だった。かなり買われていることを知ってくれたようだ。特に、発想力が豊かだとも。


「そういうところは、父親あの人譲りなのかもな」

「ああ、何度も聞いてるって」

「本当に、二人のいいとこだけを継いでるよ、オマエは」


 そう呟いた彼の顔には、一瞬寂しさが浮かんだようだった。

 僕もそんな微妙な表情の変化を初めて感じた。


「ルイン……、どうしたの?」

「いや」と彼は笑った。「どうしたんだよ、ラック――変な顔だぞ」

「……。なんでもない……」


 やっぱりどこかおかしい気がした。

 僕はさっさと食事をかき込んで、二階の自分の部屋へと向かった。階段を上る間際、彼の方をこっそりと振り返る。食事をまだ続けながら、胸元をさすっている。どこか具合でも悪いのかもしれない。食事もあまり進んでいないようだった。

 明日、やっぱりちゃんと聞こう。

 無理やりにでも話をさせよう。

 会社を休んで、ずっと『迷惑』をかけ続けてやってもいい。

 

 

 2階で寝る前に設計図の仕上げをするつもりだったが、どうにも気分が乗らずにベッドに潜り込み、そのまま眠ってしまった。

 習慣というのはなかなかに怖いもので、早く眠った分だけ早くに目が覚めた。

 2階のベランダに出て、ぼんやりと夜明け前の塔を眺めていた。


『ラック、塔には必ず不思議な力がある。それが何なのかは、もっと大きくなった時に教えようと思う。その時には、ちゃんと君のための音がする。君のための音が』


 何故か父の言葉が思い出される朝だった。

 あの後、僕は母方の叔母の家に連れていかれ、ルインとこの家に戻ってきたのだ。

 外はまさにこれから朝を迎えるところのようで、この通りにも起きている者は少ない。朝の早いパン屋や何件かの働き者の家々から煙が立ち上っているくらいだ。うすぼんやりとした街が、これほど暗いとは思ってなかった。

 東の空が、少し明るくなり始めていた。

 しかし、かの国のスモッグが太陽を曇らせてしまっていて、届く光はまだまだ多くない。

 塔の鳴る時間までは、まだ少しある。


「お茶でも入れるかな」

 空に呟いて、一階に降りていく。

 すると、すでにルインが起きていた。僕よりも遅くに寝ただろうに。

 同じことを考えていたようで、湯を沸かし、お茶の準備をしていた。


「今日は珍しく早起きだな、ラック」

「珍しく……というか、まともに寝てないことの方が多いし。にしても、どうしたの?」

「ああ、いや何でも、最近眠りが浅くてな」

「年?」

 ちがうわ、と怒られてしまった。


 お湯がこぽこぽと湧き出すと、ルインはティーポットに茶葉をテキトーに放り込み、熱湯を注いでいく。華やかな香りが、リビングにあふれる。

 雑な入れ方ながら、謎においしいのがルインのお茶である。


「なんだろうな、季節的なものとでも言うかな」

「季節的な物って……そんな変な季節でもないでしょ」

 カップが二つ用意され、美しい色の液体が注ぎ込まれる。


「計算上は――」

 違和感のある言葉だった。

「――そろそろのはずなんだ」


 僕が「なにが?」と尋ねるよりも前に『ドン』という音が響いた。

 いつものように、地の底から響くような太鼓のような音。

 けれど、いつもとは明らかに違う。


「こんなに、早くない。それに、いつもの始まりの音は?」

「……」


 続けて『ドン』、また『ドン』と三つの音が響く。

 それは、いつもの音でもない。

 この家の下から響くような……。

 巨人が我が家を床下から叩き続けているかのような、そんな恐ろしい音だ。


「やっぱり言っていた通りだ――」

 ルインは、呆然として呟いた。何か夢を見ているかのように。

「――アコールさんの言っていた通りだ」

「アコールさん?」

 僕の言葉は、聞こえていないようだった。


  

 アコールは、僕の母の名前だ。

 

 

「今日、お前を連れて行かないといけないことになった」

「ちょっ……ちょっと待って」


 突如として、ルインはそんなことを言い出した。

 そもそも今日だって仕事がある。例の設計図を今日中に上げるつもりだったのに。


「まだ何も聞いてないんだけど」

「聞いていた場所に行くまでに話すよ。そうか、デガルドさんにも伝えておかないといけないか。あー、近くに同僚とかいるか?」

「それは……、とりあえず2軒隣の息子さんが社員だよ。デガルドさんの秘書をやってるコールって人。その人に、伝言でも頼む?」

「ああ、あの人な。メモを渡してもらえるように頼んでくる。少しだけ待っててくれ」


 すぐにルインは戸棚から紙を取り、文字をしたためて外に飛んで行った。

 そして、驚くべき速さで戻ってきて、今度は自分の部屋へ。その間、僕はただ訳がわからず、お茶を飲んでいることしかできなかった。


「ルイン、バタバタと準備してるとこ悪いんだけど、一回着替えていい?」

「ああ、そうだな! 俺も着替える」

 着替えている時もすごく急かされ、どこに行くかも聞かされることなく外に連れ出された。

 その間、ルインは笑っているような、悲しんでいるかのような、何とも言えないような顔をしていた。僕は、その顔に余計にどうしていいかわからなくなった。

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