第26話 人並みの幸せ

 唐突な高梨結衣の発言に時間が止まったかのような沈黙が流れる。

 ジージョさんは口を開け、呆けたような表情のまま、固まっている。

 パリスは半分ニヤけたような表情を崩さない。

 まぁいつものパリスだ。

 

 だとしても、高梨結衣。こいつは本気なのか?


「お前は今、何と言った?」


 唐突な高梨結衣の申し出に俺の頭の中は混乱している。確認だ。


「だから、私の家へ来る?って」


 高梨結衣は平然とそう言ってのけた。


「お前は本気なのか?」


「本気だよ」


 俺は肝心なことを忘れていた。

 高梨結衣が言うところの家とは実家のことに違いない。

 兄である聡がいるからだろう、と思うのだが確認した方がいいだろう。


「お前は実家に住んでるんだよな?」


「一人暮らしだよ」


 高梨結衣はまたしても平然と言ってのけた。

 軽く目眩を覚える。高梨結衣は付き合ってもいない男を軽い気持ちで家に入れる女なのか?ビッチだのアバズレってやつなのか。

 俺は高梨結衣の兄である聡の友人に過ぎない。それだけの関係性しかない男を部屋に入れて泊まらせるのか?


「お前は本気でそれを言っているのか?」


「本気だよ。兄貴の親友なんだからいいじゃん」


 ちょっと待てよ。俺は高梨聡の親友になった覚えはない。

 しかし高梨聡の言動から察するに、俺のことを親友と思っていても不思議ではない。


 ジージョさんが俺の脇腹を軽く突いた。


「シロタン、チャンスじゃないか」


 ジージョさんが耳打ちをしてきた。

 振り返ると、そこにはゆでだこのような顔色で、口元は笑みを浮かべていても小刻みに震え、目は笑って細めているがその瞳には影しかない、不気味な様子のジージョさんがいた。


「何がチャンスなんですか」


 高梨結衣に聞かれぬように小声で返す。


「シロタンは鈍感なのか?女の方から誘っているんだよ。チャンスだよ」


「違いますよ。前にも言いましたが、高梨結衣は友達の妹に過ぎないんですよ」


「それでもいいじゃない。シロタンは童貞だろ?童貞を捨てるチャンスがやってきたんだよ」


「二人で何をコソコソ喋ってるの?」


 俺とジージョさんの秘密の会話を高梨結衣が遮る。

 ジージョさんは俺の肩を軽く叩き、


「憎いね、この伊達男が」


 その瞬間、俺の背中に電流のようなものが走った。

 ジージョさんが俺の肩を叩いた衝撃なのか?それとも“伊達男”という言葉に何かあるのか…


「頑張って」


 と言ったジージョさんの瞳の奥に青白い炎が見えたのは俺の思い過ごしだろうか。



 図書館前からどこへ向かうわけでもなく歩き始めた。


「詩郎はこれから講義あるの?」


「無い」


 高梨結衣は俺の上着の袖を掴み、


「それならこれから東村山へ行こうよ!気になるお店があるんだよ!」


 高梨結衣は思い切りの笑顔を浮かべた。

 十代女子の弾けるような笑顔、俺が今まで直接、目にしたことのないものだ。


「ああ、いいぞ。そこへ行こう」


 途端に高梨結衣は機嫌良さげに鼻歌交じりで足取りも軽くなる。


 高梨結衣に袖を引っ張られ、行き着いた先は駐車場だった。


「お前、まさか車で通学してるのか?」


「そうだよ。この前免許取ったばかり」


 高梨結衣は誇らしげな顔をしているのだがな。車か…、昨晩の糞平の件を思い出す。


「初心者だから心配?」


 高梨結衣が俺の顔を覗き込み、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「そんなことはない」


 と強がってみせたのだが、高梨結衣の白い軽自動車の若葉マークを見ると不安が募る。

 しかし糞平の車と違い傷一つ無いから大丈夫だろう…、と思いたい。



 杞憂に終わった。

 糞平の運転とはまるで正反対の安全運転かつ快適な車内だった。

 快適過ぎてすぐに寝ていたほどだからな。

 それよりも俺は高梨結衣の「着いたよ」の一言で起こされ、行き着いた先の光景に驚いた。

 東村山駅に巨大な商業施設が出来ていたのだ。

 まるでここはお台場かと思うほど、何棟も巨大な商業施設等が建ち並んでいたのだ。

 その予期せぬ光景に俺はお台場付近にまで連れて来られたのかと思ったのだが、高梨結衣が言うには最近、急に開発されていったのだという。

 信じられないのだがな、西武線しか通っていないところを見ると、やっぱり東村山なのだと思わされる。


 その東村山の商業施設内の店ってのが、どこも揃いも揃って洒落た店ばかりだ。

 そんなお洒落空間を俺の様な太った…、かなり肥えた体型の中年男にしか見えないキモオタが歩くには場違い過ぎる場所でしかない。

 俺が今まで知らなかった世界だ。

 違うな、俺が今まで背を向けてきた世界だ。

 こんな場は気疲れするだけなのだが、施設内で昼食やデザートを食べている時の高梨結衣のはしゃぎっぷりを見ていると、不思議なことにこれはこれで悪くはないのではと思い始めていた。


 気がつくと俺はショッピングモール内を高梨結衣と手を繋いで歩いていた。

 今までの俺にしてみたら考えられなかったことだ。

 もしかしたら、こういうのが世間一般の若者がするところのデートってやつなのだろう。

 俺がそんなことをしていていいのか?

 俺はこれまでの人生で女子から全く相手にされず、どちらかと言えば女子から忌み嫌われている存在だ。

 俺には現実世界での縁なんてものは無く、俺へ親しげに話しかけてくる女子は二次元のみ。


 もしかしたら、これが人並みの幸せってものなのだろう。

 そんなものが俺の人生にあってもいいのか。

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