第27話 夜陰に溜息は濡れる

 東村山のショッピングモールでひとしきり遊んだ後、俺は高梨結衣の家へ来ていた。

 家具や壁紙まで柔らかい色味で統一された部屋だ。

 コーディネートってやつが部屋の隅々にまで行き届いている。

 部屋のコーディネートなど、俺の世界観には全く無いものだ。

 雑多に物が置かれた部屋の住人である俺には若干、居心地が悪い。


 予定通りではあるのだがやはり気まずい。緊張する。

 これまでの人生で女の部屋に足を踏み入れたことなど無かったからな。

 しかもショッピングモール内で手を繋ぎデートのようなことをした後のせいだか、妙な緊張感がある。

 俺は未知の領域に足を踏み入れたのだ。これからどうしたらいいのか。


 高梨結衣がテーブルの上に二枚の皿を置き、その上にティーカップを乗せる。

 そして台所、じゃなくてキッチンからティーポットを持ってきた。

 知ってはいるが、俺はこんなふうにして茶を飲んだことが無いのだ。

 だいたい茶などほとんど飲んだ事がない。

 俺が飲む物と言えば、コーラを始めとした清涼飲料水がほとんどで、それ以外だとハンバーガーショップでシェイクを飲む程度なのだ。

 茶などペットボトルで一年に一回飲めばいいぐらいである。


 高梨結衣がポットからカップへ茶を注ぐ。


 紅茶だ。


 嗅いだことの無いような芳香が俺の鼻腔をくすぐり、その芳香は俺の緊張感を和らげてくるように感じる。

 未だかつてこんな経験をした事がない。

 俺は紅茶を一口飲む。

 思わず吐息を漏らす。

 一口の紅茶の風味、温度、その全てが俺の緊張の糸を切った。

 まさに一息ついたという感じだ。

 

 一息ついたのはいいのだが、高梨結衣も同様なのか、大きく吐息を漏らした後、何も言わない。

 ショッピングモールでのはしゃぎっぷりから一転しての沈黙だ。

 この沈黙が余計に気まずさを感じる。

 何か、何か話題は無いのだろうか…

 俺は必死に思いを巡らす。



「お前の兄は今、何をしてるんだ?」


 考えに考え抜いた答えが高梨結衣の兄のことであった。

 高梨結衣の兄である聡は高校卒業後に就職したという話なのだが、どこで何の会社で何をしているという、情報が全く入ってこなくて気になっていたのだ。


「兄貴?今は横浜にいる」


高梨結衣はなんの気なしといった雰囲気で答えた。


「横浜か。何の仕事をしているんだ?」


「何かの営業って言ってたけど、よくわからない」


「よくわからないって何だよ」


「関心ないもん」


「関心ないの一言で済ませるのか」


 テーブルの向かいに座る高梨結衣は身を乗り出す。


「詩郎は兄貴のこと気になってるの?」


 高梨結衣のただでさえ大きな目が、さらに大きく見開かれ煌めいているかのようだ。

 女にそんな瞳で見られたことは無い。

 俺は思わず視線を外す。

 

「それはまぁ、気になるだろうよ」


「なんか意外」


 高梨結衣はどこか頬を赤らめたいるように見える。


「何故だ?」


「兄貴のこと、関心無さそうだから」


「そんな事は無い。あいつとは…色々あったからな」


 俺は今、高梨聡と色々あった、と言った。

 しかし、その色々な記憶にもやがかかっているようで、はっきりとしないのだ。

 忘れたのか?まぁ、こういうことは意識すればするほど出てこない。ほっとけばそのうち思い出すことだろう。


「兄貴に会いたい?」


 高梨結衣は上目遣いで俺を見つめる。

 まるで期待を募らせているかのような眼差しだ。

 それはまるで餌を前にして待てを命じられた子犬のようである。


「なんだ、もしかしてお前の兄はこの部屋のどこかに隠れているというサプライズでもあるのか?」


「そんな事ないよ。兄貴はここにいないけど会いたい?」


 変な事を聞いてくる女だ。


「高校卒業から会ってないからな。会ってみたい気もする」


「何、その素直じゃない言い方」


 高梨結衣はどこか不満げな表情を浮かべる。

 俺が聡に会いたい!とでも言えば素直って事なのか、満足なのか。

 そんなことを俺が思うわけが無い。



 そんな他愛もない会話が続き、夜は更けていく。

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