第16話 ドーナツ

 バスから降りたのはいいのだが、空腹なのか微熱があるせいなのか、少しばかり目眩というか浮遊感がある。

 あぁ、俺は今腹が減っている。この浮遊感みたいなものは空腹のせいだろう、それに間違い無い。

 バスに乗って引き返すか?それともこの周辺で飲食店を探すか?

 辺りを見回す。


 そうだ、俺はここから近くの高校に通っていた関係で、この周辺には少しばかり土地勘があるのだ。

 高校の帰りにこの周辺でどこか寄っていた場所はあったか…

 俺は記憶の糸を辿る。


 あった。

 ダンキンドーナツだ。

 確かこのバス停辺りから徒歩5分くらいの場所にダンキンドーナツがあり、そこで高校の放課後に仲間達とドーナツを食べていた記憶がある。

 そこへ向おう。


 記憶の糸を辿り、歩いているのだが、ダンキンドーナツは一向に見えてこない。

 バスの通る二車線のそれなりに主要な道路沿いにあるはずなのだが…

 記憶を呼び起こし、ダンキンドーナツの辺りに何かあったか思い出す。

 そうだ、ダンキンドーナツの隣には牛丼屋があった。


「え?」


 俺の目と鼻の先にはその牛丼屋があった。

 と言うことは、ここにダンキンドーナツがあったはずなのだが無い、何も無い。

 ここは空き地だ。

 しかもこの空き地はまるで死んだ土壌のように思わせる灰色の土だ。

 これは土なのか灰なのか、砂なのか。

 俺は空き地の中へ踏み込んでいく。


 しばらく来ない間に閉店したのか?

 高校三年の時にはあったから、三年の間に閉店したようだな。

 閉店したのだとしても店の跡も駐車場の跡さえ無い。

 ここまで痕跡が無くなることはあるのか?


 いや待てよ。

 店があった場所に大きな枯れた木がある。

 昔、この場所に木なんてあったか…

 木は無かった気がするのだが。


 俺はその枯れた木の側へ行く。

 とうの昔に枯れて腐った木のようだ。

 ここに木があったのなら覚えているはずなのだが、俺は高校生の頃、ここのドーナツに目が無かったからな。

 ドーナツにばかり意識が向いてて、木のことなぞ気にしていなかった可能性大だ。


 俺はふと視線を下ろし、木の根元を見る。

 視線の端に何かが見えたのだ。

 遠目には木の根元の色と灰色の土と同化して見えなかったのだが、何か物体がある。

 俺はその物体を手に取る。

 手の平ぐらいの大きさ、木製の円形の物のようで、円の真ん中に棒が刺さっている。

 灰色の土を払い落とす。


 コマだ。


「うっ」


 俺は思わず、呻き声を漏らした。

 このコマには見覚えがある。

 これは俺が子供の頃に持っていたコマだ。

 いや、まさか俺が持っていた物では無いだろう。それがここにあるわけが無い。

 しかし俺が持っていたコマと同じ物であることだけは確かだ。

 俺はこれと同じコマを父に買い与えられたのだ。



 幼き日の思い出が蘇ってくる。


「おはよう!お兄ちゃん!」


 弟の達也だ。


「コマで遊ぼうよ!」


 とコマとコマ回しの紐を持って、俺を起こしに来た。

 このコマは前の日の夜、仕事帰りの父が2つ買ってきて俺達兄弟にくれたものだ。

 その時、早速コマ回しをしてみたのだが

 上手く回すことが出来ず、コマ回しの挑戦は翌日に持ち越しとなり、それの続きをしようと弟の達也が俺を起こしにきたのであった。


 俺達は庭に出てそれぞれのコマに紐を巻き投げるのだが上手くいかない。


 そんな中、父が庭へ現れた。


「詩郎、貸してみろ。

コマはこうやって回すんだ」


 俺はコマを父へ渡す。

 父は慣れた仕草で紐を巻き、それをいとも簡単かのようにコマを投げる。

 コマは小気味良く回転し、地面を這う。


「お兄ちゃん、お父さん凄いね!」


「だよなー!」


 俺達兄弟は羨望の眼差しで父を見上げる。

 父は優しげな微笑みを浮かべていた。



 幼き日の他愛もない日常の思い出だ。

 あの頃から俺は太っていたのだが無邪気な子供だった。

 今は全然違う。親子関係も今とは全く違うことになった。

 いつからこうなったのだろう…


 兄弟の前でコマを回してみせた父の微笑む顔を思い出したその刹那、背中に電流が流れた。

 俺はあることに気づいて戦慄する。


 思い出の中でコマを回してみせた父の顔が烈堂ではないのだ。

 あの角刈りにした鬼瓦のような顔とは程遠い、例えるなら昭和の二枚目俳優、刑事ドラマでベージュのトレンチコートを着てタバコを吸ってそうな顔が浮かんできた。


「これはどういうことだ⁉︎」


 何回思い返しても父の顔が昭和の二枚目俳優系の顔しか出てこない。

 烈堂とは全く似ても似つかない別人なのだ。

 記憶を辿り、父がどのようにして今の烈堂に変化していったのか思い起こしてみよう。

 このコマの思い出は多分、俺が小学二年辺り、弟の達也は幼稚園の年長ってやつだ。

 そこから後の記憶で父に関することはあるか?


 あるような、無いような、はっきりとした絵というか映像のような記憶はない。

 ただ、「なぜこんな事も出来ない?なぜこんな事もわからない?」という烈堂の言葉が何度も頭の中で繰り返す。


 一つだけ記憶が蘇ってきた。

 多分俺が小学六年か五年の頃、季節はちょうど今頃の曇りの日だ。

 俺は喘息の発作で家から出れないというのに、烈堂に外で遊ぶことを強要され、家から寒空の下へ追い出された事があった。

 あぁ、これと全く同じ出来事がつい最近にもあったな…

 俺はこの時から何も変わっていないのか…


 これ以上、過去をほじくり返すのはやめよう。

 頭が思い出すことを拒否している。

 これ以上ほじくり返したら、俺は完全な無の中に飲み込まれそうな気がする。


 そうだ、俺は腹が減っていて、この場にあったはずのダンキンドーナツを探しているだけなのだ。

 この場所からダンキンドーナツが移転しただけかもしれない。

 スマホで検索してみよう。

 スマホを取り出し、ダンキンドーナツと検索する。


 その検索結果に俺は身震いした。

 ダンキンドーナツは1998年に日本から撤退している。

 今年は2023年。

 それなら三年前までここにあったダンキンドーナツは何だったのか…


 ダンキンドーナツといい、父のことといい、不可解な事だらけだ…

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