第15話 生贄は帰れコールを浴びる
まさに悪夢のようなあの日から俺は三日間寝込むことになった。
しかし、俺にはずっと家で寝ているわけにはいかない理由がある。
実は前期の授業を殆ど出ていなくてだな、後期でなんとかしないとまた留年することになりそうなのだ。
さらに一年留年したことを親に隠していて、それでさらにもう一年留年となったら、父である烈堂に何をされるかわからないからな。
俺は微熱で若干ぼやけた意識の中、大学へと向かっている。
西武線の某駅から大学近くまで向かうバスが出ていて、そのバスの停留所に着くと既にバスが到着していた。
俺はバスへ乗り込む。
ここから約30分間、バスの旅だ。
最後部の席には既にパリスがいて、その横が空いていたのでそこに着席する。
「よお、パリス」
「シロタン」
パリスはいつもの薄笑いを浮かべるのだが、俺を見ると明らかにいつもよりニヤついている。
「どうした?何かおかしいか?」
「うん…、大変だったみたいだね…」
パリスが小声になった。
「何がだ?」
パリスは薄気味悪い男ではあるのだが、わりと率直にものを言う。
しかし、今日はどこか変だ。
「どうした?何が大変なんだ?」
「西松にぶっ掛けたんだってね」
と言うと、パリスは吹き出したような笑いを漏らす。
あの時の事か…、ペヤングの取り巻き連中があれを広めたのであろう。
あの光景を目撃した連中にしてみたら言いたくなるのもわかる。
「シロタンは大学内で噂の的だよ」
「そうなのか」
「うん 狭山ヶ丘の脱糞王ってあだ名が付いてて、知らない人がいないぐらいだよ」
「狭山ヶ丘の脱糞王だと」
「うん そう呼ばれてるよ」
パリスは何とも言えぬ嬉しそうな表情を浮かべる。
確かにあの日は便秘気味で溜め込んでいたせいか、いつもより大量の便を糞出させたからな。
恥ずかしい気分は勿論あるのだが、あのいけすかない西松の野郎を糞塗れにしたことは愉快だ。これ以上愉快なことはない。
このバスには狭山ヶ丘国際大学へ通う学生が多く乗っているせいか、学生達が俺を見て噂話を始めたように見受けられる。
俺の様な日陰者が人々の噂の的になることは悪い気分ではない。
しかしながら、その異名が狭山ヶ丘の脱糞王だからなぁ…
なんて事を考えながら、まどろみ始めた時、鼻腔の奥を目の粗い鉄のヤスリで削ってくるような強い刺激臭、悪臭が漂ってきた。
「パリス、お前っ」
足元を見るとパリスは靴を脱いでいた。
そうだ、パリスの足は納豆臭を濃縮し便の臭いを混ぜ合わせたような強烈な臭気を放つのだ。
「パリスっ、お前は靴を履け」
「え?」
パリスの野郎、人を馬鹿にしているような、馬鹿になったような顔をしてとぼけてやがる。
「お前は足が臭えんだよ。靴を履け」
「あっ、ごめん」
と謝りながらも靴を履こうとする素振りさえ見せない。
「いいから靴を履け」
「ごめん、シロタン。もうちょっとだけこのままで、このままでいさせて。
足が蒸れてるんだよ」
周囲の乗客達はパリスが放つ悪臭に気付いたようだ。
口々に悪臭を訴え始めている。
「大学着いたら、どうせどこかの風呂を勝手に使うんだろ?それまで我慢しろ」
とパリスへ言い聞かせていると、俺の目の前に福笑いのような顔が現れた。
野球部の堀込だ。
「風間、臭えんだよ!
お前、また懲りずに糞を漏らしたのか⁉︎」
「違う。俺では無い。
パリスの足の臭いだ」
「嘘つけ!お前以外にこんな臭いさせる奴がどこにいる?お前は狭山ヶ丘の脱糞王だろうが!」
こうしている間にパリスの足の臭いがバス車内に充満したようだ。
バス車内の窓際の乗客達が一斉に窓を開ける。
「堀込、お前の鼻は飾りのようだな」
「何ぃぃ!」
「お前は野球部でのポジションを維持する為に監督へ枕営業をしているのだろう。
その枕のし過ぎで、糞と足の臭いさえも区別つかなくなったのだ」
「なんだと!お前、バスから降りろ!」
俺の一言にいきり立った堀込が、俺の襟首に掴み掛かってきた。
[そうだ!うんこ臭い奴はバスから降りろ!]
と乗客の誰かが言った。
それに乗客の数名が同調し始め、俺は罵詈雑言を浴びる。
その罵詈雑言はいつしか、俺への降りろコールへと変わった。
堀込も同調し、俺へ唾を飛ばしながら、降りろコールを浴びせてくる。
降りろコールはバスの車内全体へと広がり、さらに帰れコールへと変化した。
[帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!]
乗客達は嬉々とした様子で声を張り上げる。
一体感だ…
バスの乗客全員がこれ以上ないぐらいの一体感を俺に見せつけてくる。
帰れコールの大合唱だ。
集団における異分子の排除は人の本質。それは路線バスの車内においても同じだったようだな。
そうだったな…、俺は今も昔もどこにいても異分子だ。
俺は降車ボタンを押す。
バスは最寄りの停留所で停車すると、俺は乗客達に帰れコールを浴びせられながら、バスから降りた。
堀込がその雑な作りの顔を窓から突き出す。
「正義は勝つ!」
と勝ち誇った顔で叫ぶとバスの車内から凱歌が上がる。
「何が正義だ。正義などあるものか」
集団における異分子は、人を団結させる為の生け贄だ。
そして俺はいつも……、生け贄さ。
しかし人は生け贄を神に捧げても、また新たな生け贄を見つけ出す。それの繰り返しだ。
バスは勝利に湧き立つ乗客を乗せて走り去った。
俺は疎外感に包まれながら途方に暮れる。
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