第32話「最後のおイベントですわ!」

 小さな扉の先は、とても狭い小部屋だった。

 まるで隠し部屋で、なるほど最初は気付かなかったのも無理はない。あの巨大なピアノらしき楽器の影に、その部屋はひっそりと息をひそめていたのだ。

 そして、入った瞬間にサイジはすぐにわかった。

 ここは、あの魔王エルギアの私室だ。


「あっ、見て見てっ! この絵、アナネムちゃんじゃないかなあ」


 まず目に入ってくるのは、暗がりの中で目を引く巨大な絵画。それは、アナネムにとてもよく似た少女の肖像画だった。

 というより、アナネムの姿を借りてるサイジには、本人だとはっきりわかった。

 今よりやや幼くて、ちょっとおしゃまな感じの利発的な美少女である。

 他には、室内には書物が散乱し、よくわからないアイテムも無数にあった。


『ここに、お母様が……この絵、わたくしですわ』


 アナネムの声がしっとりと潤ってゆく。

 ただ黙って三人は、絵の中の少女を見上げていた。

 そんな時、突然奥でもぞもぞと動く影があった。


「ん、っん……しまった。失敗したわ……少し仮眠をと思っただけなのに」


 なんと、散らかりまくってわからなかったが、奥にはベッドがあったようだ。そして、そこから本や巻物をバラバラとどけつつ、エルギアが身を起こしたのである。

 彼女は、寝起きのぼんやりとした瞳を向けてくる。

 それも当然だ、今日は勇者が召喚された初日、その夕方である。

 いかな魔王といえど、今日の魔王城襲撃など想像すらできない筈だ。


「あ、えっと……あら? どちら様でしょうか」


 魔王エルギアは寝ぼけている! コマンド?

 一瞬、サイジの脳裏を過る必勝の予感。

 今なら、例えエクスマキナーがなくても勝てる。というか、勝負にすらならないだろう。ちょっとルルに頼めば、一撃必殺である。

 だが、今日は戦いに来たのではないのだ。

 二周目で狙うのは、誰もが幸せになれる、笑顔になれるトゥルーエンドである。


「あの、魔王エルギア様。僕たち、勇者です」

「ゆう、しゃ……? あら、これはご丁寧に……えっと、私は魔王エルギアです。んっ、ふああ……」


 エルギアはあくびをしている! コマンド?

 サイジは、先制攻撃したい衝動を抑え込んだ。ゲーマーとして、千載一遇のチャンスを逃すというのは耐え難いものなのだ。でも、ちゃんと耐えたし頭と心でわかっていた。

 ゆっくりと近付き、アナネムへと小声で話す。


「アナネムさん。こっからはマニュアル操作でお願いします。僕、動かないし喋らないので」

『ちょ、ちょっとサイジ!?』

「親子水入らずで、話してみてくださいよ」


 それだけ言うと、ふう、とサイジは長い長い溜息を零した。

 そして、そっと背の聖剣を下ろす。

 やれるだけはやったし、やりきったという想いはあった。

 そう思ったら、とたんに変身が解けていつもの姿に戻る。

 そして、聖剣エクスマキナーからぼんやり光る半透明のアナネムが浮かび上がってきた。


『お母様……アナネムですわ』

「まあ……ふふ、夢を見ているのね。アナネム、こんなに大きくなって」

『今、神界からゲームを通じて語りかけてます』

「……神界……私の、いけなかった場所」


 まだ、エルギアは夢うつつのようだ。

 あが、そんな彼女のベッドにそっとアナネムは座る。多分立体映像的なものなのだろうが、彼女はそっとエルギアの手に手を重ねた。

 勿論、ゲームの中の存在であるエルギアに触れることはできない。

 アナネムの手は、素通りしてしまう。

 でも、母と子の何かが確かに交わり混じり入ってゆくのが感じられた。


『お母様、教えてくださいまし。どうしてこんなゲームを』

「……ああ、夢じゃないのね。じゃあ……私のこのゲームを遊んでくれてるのね、アナネム」


 静かに微笑むと、エルギアもまた愛娘に手を伸ばす。

 勿論、触れることはできない。

 それでも、成長したアナネムの姿を指でなぞって、そしてうっそりと目を細めた。


「私は、今の神話体系に組み込まれる中で、悪魔に堕とされたの」

『あ、そこは知ってますわ。メッセージはスキップでお願いしますの』

「……ふふ、相変わらずね、アナネム。あたな、昔からそういう子だったわ。面倒くさがり屋で、マイペースで、その上にわがまま」


 思わずサイジは、うんうんと頷いてしまった。

 そして、ルルも隣で腕組み頷いている。

 そう、アナネムは総じて立派な女神などではなく、威厳よりも俗っぽさが目立った。ただ、気まぐれで気ままなことが神様の本質なら、彼女こそまさに女神の中の女神といった風格だろう。

 そして、王国存亡の危機をゲームとして作ってしまうエルギアもまた、同じだった。


「アナネム、あなたは昔からゲームが好きだったわ。私の大事な一人娘、アナネム」

『……でも、わたくしは下手っぴでしたわ。それで』

「そう、すぐに投げ出してしまう。そして、新しいゲームに手を付けて、また繰り返す」

『よ、世の中には面白いのに難し過ぎるゲームが多いいんですの!』

「そうね……だから、私はこのゲームを作ったの。神の眷属に返り咲くなんて……本当は無理なの、知ってるわ」


 これが、魔王エルギアのもう一つの目的。

 サイジも驚いたが、確かにゲーマーとしてのアナネムはもの凄く中途半端だ。サイジを勇者の中の勇者と見込んで選ぶまで、延々とリセマラを繰り返す。かと思えば、いきなり最強の聖剣を与えてみるものの、キャラの操作は酷い腕前だった。

 でも、彼女は頑張ってこのゲームを一度はクリアした。

 最悪のバッドエンドだったが、王国を救ったのである。


「アナネム、あなた……先程の口ぶりから察するに、二周目ね?」

『え、ええ、まあ。ちゃ、ちゃんと一周目もクリアしましたわ! ……酷い最後でしたけど』


 苦笑するアナネムに、エルギアも母の顔を見せる。


「RPGなら、と思ったの。私はゲームのことはわからないけど、コツコツやればアナネムでもクリアできるゲーム……一周目が駄目でも、知識と経験を活かせる二周目、そういうことが許されるゲームを作ったのよ」


 エルギアは語った。

 アナネムは小さい頃からゲームが好きだが、なにもクリアしたことのない子供だったのだ。困難にぶつかると、すぐに放り出してしまう……そんな気性のまま大人になったら、女神としての資質を問われることになる。

 そこでエルギアは一計を案じた。

 それが、母親としての最初で最後のゲーム。

 自分が神族に返り咲くためというのは、ついででしかなかったのだ。


「おめでとう、アナネム。これであなた、立派な一人前の女神ね。この王国は救われ、あなたは勝利の女神として末代まで讃えられるわ」

『そんな、お母様』

「これからも、素敵な女神でいてね……私が娘として誇れるような、立派な女神になるのです」

『わっ、わたくしはっ! ……それでは、寂しいですわ。ようやく、本当のお母様の真意が知れたのに』


 アナネムは、女神として王国を救った。

 一周目から頑張って勇者たちを支えてくれたのを、サイジは一緒に旅して体験していた。こんなゲーマーな自分を、これぞと見込んでリセマラの末に見つけてくれた。そして、オート戦闘と称して肉体まで貸してくれたのである。

 結果、王国は二度も救われた。

 一度目は普通に、そして今回は完璧に。


「ねね、サイジくんっ。いい雰囲気だねっ!」

「そうだね、ルル。少し、二人だけにしてあげようか」


 そう言って、そっとサイジはルルと部屋を出た。

 小さなドアを締める直前、アナネムの声が涙にかすれてゆくのを聴いた、そんな気がした。ようやく母と子は、素直に話せたのかもしれない。

 それに、エルギアの切望する神族への復活も、まだ希望が持てる筈だ。

 あとでエルベに相談してみようと思った、それで思い出したようにサイジは走り出す。


「っと、エルベを手伝わないと! もう戦いは終わった、これ以上は犠牲は必要ない!」

「うんっ! ……って、サイジ君! あのでっかい剣は?」


 言われて立ち止まったが、それも一瞬のことでサイジは駆け出す。

 エクスマキナーを通して、今はアナネムが母親との大切な時間を過ごしている。だから、今更戻って持ってくる訳にもいかない。

 勿論、アナネムの肉体を借りての戦闘も選択肢にはなかった。


「ルル、例のパズルによるボーナスもあって、そこそこ強くなったけど……僕は、ステータスは低い」

「うんっ! 知ってる!」

「元気いっぱいに言われると、それはそれで凹むなあ。でも、知識と技術で戦ってみるよ」

「剣はぁ?」

「現地調達! エルベを助けて、戦いを止めるよ!」


 サイジは久々に、自分のステータスだけで走る。

 すぐに息が上がって、呼吸が苦しくなった。体力も腕力も、なにもかもがまだまだ貧弱だ。それでも、信じている……アナネムの助けを借りて戦った、一周目で伸びた自分のステータスを。

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