第22話「ド衝撃のお真実ですわ!」

 その部屋は、静謐せいひつに満ちていた。

 魔王の玉座というには、あまりにも清らかな空気だったのだ。

 だから、荘厳な扉を破壊して転がり込んだ瞬間、サイジの中に違和感と罪悪感がこみ上げる。

 そこはまるで、教会の聖堂みたいだった。

 ご丁寧に、氷のステンドグラスから月光が冴え冴えと差し込んでいる。


「ルル、後ろを頼むよ。……いるな、奴が魔王か」


 静かに音楽が流れていた。

 ピアノに似ているが、その調べは悲鳴と嘆きが連鎖するような響きだった。

 そして、蒼月の光の中に誰かがいる。

 無数のパイプを組み合わせたような、巨大な楽器に向かっている。

 鍵盤を奏でる細い指が、シルエットとなって陰影を踊らせていた。


「サイジくんっ、背中は任せてっ!」

「ああ。さて、魔王だな? 悪いけどここで死んでもらう」


 まるでこっちが悪役のような雰囲気だった。

 それほどまでに、最後の部屋には清らかな空気が満ちていた。

 そして、聖剣エクスマキーを通してアナネムが叫ぶ!


『お待ちなさい、サイジ! ステイですわ、おステイあそばせ!』

「アナネムさん……そうだね、最後に話くらいはしたほうがいい。知り合い、なんだよね」

『ええ……知り合いというよりは、そう……家族』

「なら、なおさらだよ」


 薄闇に目が慣れてきて、楽器の奏者がぼんやりと輪郭をあらわにする。

 サイジが見た感じ、魔王は女性のように見えた。暗闇よりも尚も黒い、漆黒のドレスを身に纏っている。酷く細くて、まるで影のような女性だ。

 長い黒髪を翻して、演奏を止めた魔王がこちらへ振り返る。

 瞬間、サイジはアナネムの意外な声を聴いた。


『もう、これまででしてよ! このゲーム、チェックメイトですわ……!』


 ――お母様。

 確かにアナネムはそういった。

 そして、その姿を借りて立つサイジは、見た。

 立ち上がって一歩前に出た魔王の、その顔はアナネムにそっくりだったのだ。

 アナネムが十代の少女なら、年月を重ねた貞淑ていしゅく淑女レディ……それもその筈、血を分けた母子にあたる関係だからだ。勿論、神々に出産という概念があればの話だが。

 魔王はゆっくりとサイジを見下ろし、小さく溜息を零した。


「アナネム……久しぶりね。どうかしら? ゲーム、楽しんでもらえて?」

『ええっ、それはもー、最高にエキサイティングでしたわっ! はた迷惑なほどにっ!』


 アナネムと違って、魔王はなんだかダウナー系の低い声で話す。

 でも、その言葉はなんだか妙にドスが効いててサイジはキモを冷やした。

 この感覚、明らかに格上のプレイヤーと対戦する時の気持ちに似ている。不可避の戦い、ゲームセンターでは乱入されたら対戦を拒めない。それでも、あまりに力量差がある時は対戦前に敗北を察してしまうのだ。

 まれてしまう、とも言う。

 ただ、ここで魔王に呑まれてしまえば、このゲームはクリアできない。


「おや? アナネム、あなた……その格好を貸しているの? 人間の、男の子に……ふーん、そういうこともあるんだ」

『これは、たまたま事情があったのですわ!』

「こんばんは、人間の男の子。名前は? 私はアナネムの母、エルギアよ」

『きーっ! このっ、おバカ母! 話を聞きなさいですわっ!』


 なんだか噛み合わないが、サイジの背筋を寒いものが走った。

 悪寒というやつだ。

 魔王アナネムからは、言葉に表せない覇気がほとばしっているのだ。


「ええと、その……ゲーム、面白くなかったかしら」

『とんだクソゲーですわっ! 罪もない人々を苦しめて!』

「あっ、えと、結構面白かったです。ごめんね、アナネムさん。それはおいといて、ゲームはそれなりだったからさ」


 サイジの言葉に、虹の聖剣は絶句して黙った。

 そして、サイジはゆっくりとエルギアを見据えて言葉を選ぶ。


「このゲームを始めた理由、聞いてもいいですか?」

「あ、そうね……そこからね。ええと、あー、うん。そうねぇ、人間にわかるかどうか不安なのだけど」


 エルギアは眉根を八の字にして俯いた。

 うれいを帯びた表情が、ともすれば蠱惑的こわくてきな程に美しい。

 大人になったアナネムは、恐らくこんな美人になるのだろう。勿論、中身は真逆だが。


「人間さん、お名前は?」

「サイジです。こっちはルル」

「こんばんはっ! やっつけにきました!」


 屈託ないルルの言葉に、エルギアは「あらあら」と微笑む。

 薄幸の美人という面持おももちで、彼女の憂いが影を増していった。


「私、昔は土着の民が崇める女神だったの。まあ、神といっても土地に染み付いた思念というか」

「ああ、そういうのありますよね」

「でしょ? でも……今の神々が信仰を広める過程で、私もその神話体系に勝手に組み込まれちゃって」

「あー、ふむふむ。なるほど」


 よくある話で、なんとなく筋が読めてきた。

 だが、エルギアの論点はサイジが想像するようなものではなかった。


「私はその土地の悪魔ってことになって、神々がそれを倒して生まれた女神がアナネム……そういう神話になっちゃったのよねえ」

「あのう、それと異世界の危機とゲームと、どう繋がるのかなって」

「……せめて、神様扱いされたいなーって思ってね。それに……娘が、その、ゲームが好きで好きで、見ててどうしようもなく下手っぴなのに、大好きで」


 聖剣の虹色が真っ赤に染まった。

 赤面してるらしい。

 そして、アナネムの反論が始まる。


『お母様っ! わたくし、下手っぴではありませんわ! ちょっと上手くないだけですの!』

「母にはわかるのですよ、アナネム。まず、説明書をろくに読まない」

『ギクッ!』

「コントローラーを操作すると、一緒に身体が動く」

『ギクギクッ!』

「ゲームは一日八時間って言っても、全然聞かないし」

『ギクリンチョ! 因みに神々の世界は一日が80時間ですわ!』

「リタマラだのリセマラだの、変な小手先のテクニックばっかり覚えて」

『あーもぉ、お母様っ! 下手の横好きでしてよ、それくらい許されるべきですわ!』


 勿論、サイジは最初から知っていた。

 女神アナネムはゲーム好きだ。

 そして、

 そもそも、この政権エクスマキナーのためにリセマラを繰り返した挙げ句、この世界を救い始めたのが致命的に遅かったのだ。

 でも、だからこそサイジは口を挟んだ。


「ゲームが好きなら、上手いか下手かはあまり意味ないですよ。アナネムさんが楽しいなら、それでいいと思いますけど。それより」

「ええ。この世界の終焉というゲームを始めた訳、ね……だって、あんまりじゃない? この私が悪魔だなんて」


 よくある話である。

 かつて地球でも、ユダヤ教が世界中に広がる過程で、布教先の神々を悪魔に堕とした話が有名である。故に、ソロモン王の72の下僕しもべは悪魔とされ、それは本来各地域に根付いていたそれぞれの神々だったのだ。

 キリスト教における堕天使、堕落した後に悪魔となったとされる者たちも同じである。

 エルギアはどうも、そういう扱いに酷く腹を立てているようだった。


「だからね、サイジ。私は思ったの。神々の振る舞いを持って、自らを返り咲かせようと。それと、もう一つ」

「もう一つ?」

「……そっちは、もうどうでもいいわ。それでね、サイジ」


 突如として、空気が一変した。

 殺気が室内に満ちていく。

 それだけでもう、足元がビリビリと震え出した。

 その全てが、変貌したエルギアによるものだった。


「サイジくんっ、あのおばさん怖いよー! なんか、やる気満々になってきた!」

「こら、ルル。まだそういう歳じゃないし、そうであっても失礼だよ。さて」


 こうなってはしかたない。

 どうにも動機がピンとこないが、やるしかない。

 元々サイジは、勇者として魔王を倒すために旅してきたのだから。

 そう、今度こそ勇者としての使命を果たす。

 一度は最初に投げ出してしまった、それをここで取り戻す。


「エルギアさん、あなたとは戦いたくない。アナネムだってそう思ってる筈だ」

『こんの、ド愚母ぐぼ! けちょんけちょんのギッタンギッタンに叩いて潰しますわ!』

「え?」

『はえ?』

「……いや、本当はアナネムも、多分心底、本音の本心では……あ、駄目なやつだこれ」


 そう、もはや言葉は必要なかった。

 ゆらりと歩み出るエルギアの顔は、恐ろしいほどに凍れる無表情だったのだ。


「サイジ、『』って言葉、知ってるかしら」

「ええ、つまり」

「神はね、サイジ……気まぐれに戯れるゲームするの。そう、遊戯ゲームよ。この遊びを私の勝利で完成させることで、私は神の権能を取り戻すの」


 こうして戦いの火蓋は切って落とされた。

 神々のゲームの正体は、神へと返り咲こうとする女の情念が生み出したものだったのだった。

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