第二章《6》
「おーし!この後キャンプファイヤーをするからなー。
宿舎に荷物置いたら広場に集合しろよー!」
「はーい。」
カレーを食べ終えてその場での説明が終わると、それぞれ荷物を置く為に宿舎に入る。
俺達が今日泊まる宿舎は、四階建ての結構年期が入った建物だ。
なんでも現役だった頃の校長も以前登山後に泊まった事があるらしいとの事だが、真偽のほどは定かではない。
とりあえず実行委員はキャンプファイヤーの準備もあるし、足早に自分の部屋に向かう。
今回泊まる部屋は二人部屋だ。
入り口から見て左側に二段ベッドがある位で他は何もないシンプルな造り。
よく見なくても壁の所々にひび割れやら補修の形跡が多く見受けられる。
それにしても部屋に冷蔵庫すらないなんて…。
ぼやきながら荷物を置いて足早に下駄箱に戻ると、誰かを待っているのであろう見知った顔が立っていた。
思わず身震いする。
藤枝さんだった。
こちらに気付くと早速顔を顰めて睨んでくる。
また何か言ってくるのかと思ったら、無言で俺に向かって何かを投げてきた。
「おっと…。」
なんとか受け取ると、ペットボトルのお茶だった。
買ったばかりの物らしく、まだ冷たさが受け取った手に伝わってくる。
「…これ…。」
それをしばし見つめ、藤枝さんに向き直る
すると、わざとらしいほど深いため息を吐かれた。
「渡すように頼まれたのよ。
お礼は言わないけどお茶は無くなって困っただろうからって。」
不快感は全面的に出ているが、一応説明をする気はあったらしい。
「そ、そっか。」
「それじゃ…。」
「ふ、藤枝さん!」
さっさと背を向けてその場を去ろうとする藤枝さんを慌てて呼び止めると、一応無言で足を止めてくれた。
「その…あいつ、大丈夫なの?」
「…は?何それ。」
さっき以上に表情が険しくなる。
「その…怪我酷そうだったし…。」
「あんたには関係ない。」
予想通りの反応だった。
むしろ聞いてすんなり教えてくれる訳ない事ぐらい最初から分かっていたのに、何故か聞かずにはいられなかった。
「大体…!美波を散々ほったらかしにしてたあんたが…なんで今更心配なんかすんのよ!?
優しくなんかするのよ!?
あの子にとってそれがどんなに苦しい事なのかあんた分かってんの!?」
そう怒鳴ると、歩み寄ってきて胸ぐらを掴んできた。
そうだ、こんな事本来許される事じゃない。
そんなの分かってた筈なのに。
「ごめん…。」
何も言い返せず、ただ短く謝る。
「っ…!?なんで…そんな簡単に謝んのよ…!」
そんな俺を見て乱暴に手を離すと、彼女は本当に悔しそうに歯噛みする。
「…ごめん。」
それでも、やっぱり何も言えなかった。
するとまた深くため息を吐かれる。
でもそれを機にさっきまでの刺々しさも幾分か和らいだように見えた。
「許さない。
いや、許しちゃいけないの。
今の中途半端なあんたを。
美波の親友として、あんたの…その…元友達として…。」
「うん…。」
「もしこれ以上美波を苦しめるんなら私はあんたを絶対に許さないから。」
それだけ言って今度こそさっさと背を向けて行ってしまう。
「なんだなんだ?」
その騒ぎを聞き、人が集まってくる。
このままこの場に居るのはマズいか…。
俺も足早にその場を離れた。
理沙目線。
結構酷い傷と捻挫もあり、先生に支えられながら山を降りた美波はしばらく動けそうになかった。
そのまま部屋に運ばれて休む事になり、だからカレーも出来た物を後で部屋に持っていくと言う事になった。
申し訳なさそうにしてたけどまぁ仕方ないだろう。
と言う訳で、作ったカレーを持って部屋に戻る。
「ごめんね、理沙。」
自分のベッドに座った美波は、私に気付くとまた申し訳なさそうに言ってくる。
「良いの、それより大丈夫?」
「うん、おかげさまで。」
「無理しないでゆっくり休んで。」
「うん、ありがとう。
あ、あのさ…。」
「ん?」
「その…お願いがあるんじゃけど…。」
「え、何?」
「えっと…。」
言いづらそうに視線をさまよわせる美波。
その後に少ししてから意を決したように切り出す。
「…あいつにさ、お茶を渡してほしいんじゃけど。」
「え…!?」
言いながら近くに置いてあった自分のリュックを引っ張り寄せると、美波はそこから財布を取り出してお金を渡してくる。
「なんで…?」
言っている意味がよく分からなくて思わず聞き返す。
「あいつのお茶が無くなったの、一応ウチのせいじゃし。」
「でも…!あいつは…!?」
一応だが、山で何があったのかは聞いている。
腕時計を落としたから探しに行ってる最中に怪我をした事。
動けなくなって困っていたら、たまたまあいつが通りかかって手当てをしてくれた事。
ちなみにその後から私達が来るまでの間の事は何故か教えてくれない。
気になりはしたけど本人が頑なに言いたがらなかったし、深く追及はしなかった。
とりあえず手当てしてもらったのは聞いたし、その時にお茶を使ったと言うのも聞いている。
でもだからと言って律儀に返す必要があるのだろうか。
美波を傷付けたあいつに、今更お礼なんてする必要があるのだろうか。
道理を通す必要があるのだろうか。
「うん、じゃけぇお礼は言わん。
だってウチは突き放したのにあいつが勝手にやった事じゃし。
でもウチのせいで大事なお茶が無くなったのに、お返しせんのんは嫌なんよ。」
そう言う声に迷いはなかった。
美波が言い出したら聞かないのは知ってる。
でもそれを分かっていても、すぐに分かったと素直に頷けない自分がいる。
思えば付き合い始めてからの佐藤は、正直ちょっと頼りないなと思っていた。
でも美波の誕生日にやる気を出してるのを見て、良い人ではあるのかもと思っていた。
だからあの時は、ちゃんと友達だって思っていたのに。
でもそう思っていたからこそ、別れたと聞いた時は余計に許せなかった。
美波だけでなく、自分までもがあいつに裏切られたような気持ちになった。
だから頭の中が真っ白になり、関係ない人に八つ当たりまでしてしまい。
どんどん自分が嫌な奴になっていく気がして、結局それを全部あいつのせいにしてる。
あいつはどんな気持ちで美波を助けたのだろうか?
正直関わりたくないのは今も一緒だが、その真意が気になったのもあって渋々美波からお金を預かった。
それで買ったお茶を持って下駄箱で待っていると、あいつは私の顔を見るなり露骨に肩を震わせた。
顔を見るだけで苛立ったが、こんな場所で喧嘩をすれば騒ぎになる。
言われた通りお茶だけ渡して去る事にする。
言いたい事は沢山あったが、ぐっと堪えた。
なのに佐藤は、そんな私を引き止めて美波は大丈夫か?なんて急に聞いてくるのだ。
理解出来ない。
なんで美波をほったらかしにしてた奴が今更になって心配なんてするのだろうか?
せっかく我慢していたのにそのせいで抑えられなくなり、胸ぐらを掴んで強く責めると弱々しく謝ってきた。
なんで歯向かってこないのだろう?
そんなにあっさり謝られたら、まるでこうやって責めている私の方が悪者みたいじゃないか。
何でそんなに中途半端なんだろう?
そんな中途半端な優しさがどれだけ美波を苦しめるのかも分からないのだろうか?
その気がないのならほっとくのだって優しさなのに。
やっぱり私はそんな中途半端なあいつを許せない。
でももし、あいつが、私が、これから少しずつでも変わっていくのなら。
いつしか許せる時が来るのだろうか?
あいつを許す私を、私自身が許せる日が来るのだろうか?
春樹目線。
広場に集まってから、俺達実行委員は最後の仕事であるキャンプファイヤーの準備に取りかかった。
その為にまず薪を切るグループと、切った薪を井桁型に組んでいくグループに分かれて作業を進める。
井桁型、と言うのは名前の通り、薪を縦横に組んで漢字の(井)の形に組む薪の組み方だ。
校長いわく組み方としてもっともオーソドックスな物らしい。
組み易く、初心者向けだからと言う事でそうなったらしいが…これも中々の重労働。
燃えにくくする為に水に浸した太い薪は結構重いし、それを運んだり協力して組む作業は更に重労働だった…。
それだけに、全ての作業が終わった後の達成感もひとしおだった。
まぁ…実際はキャンプファイヤーが終わった後に今度は片付けがある訳だが、既にもう全ての仕事をやり遂げた感がある。
実行委員の奴の中には達成感のあまり叫び出す奴まで居た。
その後に全員が集まった所で、手順に従って点火し、キャンプファイヤーは予定通りに進んでいく。
流石に校長の長話は今やったら火が最後までもたないと言う事で教師達が丁重にお断り頂いていた。
うん、これでひとまずは平和だな…。
「で?お前は班の女子をほっぽり出して何してたんだよ?」
その場に座って一息吐いていると、ヤスがその隣に座ってから聞いてくる。
「ほっぽり出して居眠りしてた奴がよく言うよ…。」
「俺は良いんだよ。」
それに皮肉で返すと、さも当然のようにそう言い切りやがった。
「うぉい!!」
「それで?まさか何もなかった、なんて言わねぇよな?」
「うっ……。」
「どうやら本当に何かあったみたいだな?」
いやに鋭いと思ったらカマかけてやがったのか…。
「分かったよ…。
ちゃんと話すって…。
実は美波から貰ったハンカチを無くしてさ。」
「ふーん、だから、探しに行ったと。」
「そしたら怪我してる美波を見付けたんだ。」
「で、助けたと。」
「何でこんな所に来たのかって聞いたんだけどさ、関係ないって言われて。
でもなんとなく何かを探してるんだろうなってのは分かって。」
「だから一緒に探した訳か。」
「なぁ…今俺説明してるんだよな…?これいる…?説明。」
「良いから続けろ。」
「ぐっ…分かったよ…。
あー、えっと…美波の落とし物がさ、俺が前にプレゼントした腕時計だったんだよ。」
「ふーん。」
「なぁ…ヤス。
なんであいつはまだ持ってたんだと思う?」
「知らねぇよ…。
お前だって沢辺に貰ったハンカチを今でも持ってるだろうが。」
「そうだけど…。
助けようとした時だって迷惑そうだったし、近寄るなオーラ全開だったんだぜ?」
「お前…それでよく助けようと思ったな…。
ある意味すげぇわ…。
…尊敬はしねぇけどな。」
しないのかよと言うツッコミは無粋なのだろう。
「でも嫌がってはいたけど抵抗はしなかったって言うか…。
どうしてかなって。」
本気で悩んでいたからそう聞いたのに、思いっきりため息を吐かれた。
「ため息吐きやがった!」
「元カノが時計を今も持っいてた理由も、無くしたからってわざわざ探しにきた理由も、なんだかんだ嫌がらなかった理由も。
お前はなんとなく分かってんじゃねぇのか?」
「え…?あぁ…もしかしたら…だけど。
でもそれは…」
言い淀んでいると一層深いため息を吐かれた。
「思いっきりため息吐きやがった!」
「そう思いたいんならそう思えば良いじゃねぇか。」
「いや…だってそう言うの変じゃん?その…自惚れって言うか…。」
「なら何で助けたんだよ?」
「それは…。」
「ただの助けた俺かっこいいって言う自惚れか?」
「そんなんじゃ!!…そんなんじゃ…ないけど…。
助けずにはいられなかったと言うか…。」
「その気持ちも、お互い大事な物を大事に持ってたって言う事実も。
結局全部そう言う事だからなんじゃねぇの?」
「…やっぱ俺にはまだ分からない。」
「…ふーん。」
炎は燃える。
暗くなっていく辺りを照らしながら。
暖かい時間を思い出させながら。
そして全てを焼き付くす。
まるで最初からなかったかのように。
もし燃え尽きた後に、塵も灰も何も残らず全部燃やし尽くしてしまえるのならどんなに良いだろう?
そうすればこんなにも考えなくて良かったのに。
暖かいからこそ触れれば火傷もする。
火が消えてしまえば、そこに残るのは火傷と灰だけだ。
あんなに綺麗だった筈なのに、火傷のせいで火を恨んだりもする。
灰だけになった地面を見て燃え上がっていた時を羨んだりもする。
少しずつ消えていく炎が、あの日過ごした自分の時間のように思えた。
「あ、そうだ…。
それとさ、実はさっき藤枝さんと会ったんだ。」
「ほぉ…そりゃまたなんで?」
「美波から頼まれたって、お茶を渡す為に待ってたらしい。」
「なるほど、それで?」
「何て言うか…傷酷かったし、大丈夫かなって聞いたら怒られて。」
「お前…本当に変なとこで勇気あるよな…。」
呆れ顔でため息を吐かれた。
「…これは勇気じゃないよ。
助けた時もそうだけど、そうせずにはいられなかったからそうしただけだ。
大して考えもせずに体が勝手に動いてただけなんだよ。
落ち着いた後になってみれば、それがどんなに無謀で許されない事かも分かる。」
「ふーん。
で、藤枝はなんて?」
「美波の事ほったらかしにしといてなんで今更心配なんかすんのよ!って…思いっきり怒鳴られた。
だからごめんって謝ったら、今の中途半端なあんたを許せないって言われたよ。
美波の親友として、あんたの元友達として、ってさ。」
「なるほど。
確かに今のお前は他から見りゃ中途半端かもな。」
「え…?」
「だってそうじゃねぇか。
今のお前はやっぱり好きだからって元カノの元に走るでもなければ、嫌いだからってはっきりと突き放すでもない。
元カノの親友としてはそんなお前を許せないのは当たり前だろ。」
「それは…まぁ…確かに…。」
藤枝さんの気持ちが全く分からない訳じゃないが、言われて改めて藤枝さんが本気で怒っていた理由が分かった気がした。
そう、俺は中途半端だ。
勘違いだと言い聞かせてみても、どこかで美波の事が気になって突き放せずにいる自分。
そして自分はそんな気持ちの名前が分からずにいる。
そんな様が、余計に美波の親友である藤枝さんの怒りを買っているのだ。
「ただまぁ…あいつとしても複雑なんだろうな。
仮にも元は友達と思っていた存在だ。
だからこそ余計に許せなかったってのもあるんだろうが、気持ちを裏切られてもどこかではっきりと突き放しきれないとこがあるんだろうな。
それは今回の事で、お前が考えてる事が分からなくなったからこそ気付いたのかもしれねぇが。
お前が今後どうするかを決めるって事は、もうお前と元カノの間だけの問題じゃねぇんだよ。
だからいつまでも中途半端でいる訳にいかねぇだろ。」
「そう…だよな。」
結局俺はどうしたいのだろう?
そうやってこれまで何度も自問自答を繰り返してきたけれど、一向に答えは返ってこない。
心は止まったまま、時間だけがただ無情に過ぎていく。
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