第一章《7》



次の日の朝。


「ちょっと話があるんだけど。」


「え、はい?」


いつものように、下駄箱に靴を入れていると、違うクラスの人に声をかけられた。


「ついてきて。」


そう言う口調は実に淡々としていて、少なくとも友好的な態度ではなかった。


どうしたんだろう、なにか特別な用事なのかな?


校舎裏まで歩いた所で足を止め、その人は改めて私の方に向き直る。


「あ、あの。」


他のクラスの人だし、面識は無い筈なのに。


「あんたと佐藤ってどう言う関係な訳?」


疑問に思って声をかけようとすると彼女の方から歩み寄り、距離を詰めていきなりそんな事を聞いて来た。


「え、どう言うって…。」


「答えて!」


怒気を込めた声で言われ、私の体は一度震える。


「と…友達です。」


声は震えていた。


でも素直に小さな声でそう答える。


「へぇ…友達ね。


だから二人で帰るんだ?」


「あの、それが何か…?」


質問の意図が分からずそう聞き返すと、その人は深いため息を吐いた。


「そういうの、やめてくれないかな?」


かと思えば、そうはっきりと一言。


「え…。」


予想外の申し入れに思わず拍子抜けしてしまう。


「目障りなんだけど。」


そんな私の反応を見てか見ずか、彼女は更に追い討ちをかけるかのようにそう言ってきた。


「…な…なんで…?」


恐怖から、なんとかそう聞き返すのがやっとだった。


「それで迷惑してる人がいんの。


分かった?」


それを彼女はそうあっさりと切り捨てる。


「そ、そんな。」


言われても納得いかず、なんとか言葉を探して絞り出そうとする。


「もし聞けないなら。


どうなっても知らないよ?」


でもその一言でまた体が震え、口は縫い付けられたかのように完全に閉じて動かなくなってしまった。


怖い。


頭の中が真っ白になって何も考えられず、ただその思いだけが渦巻く。


言い返して余計に怒られたらどうしようと言う不安も加わって、泣きたくなった。


それでどうにかなると言う訳でもないと言うのに。


と、そこで。


「何やってんの?お前ら。」


そう言って顔を覗かせたのは中川君だった。


「なっ…何よ?何しに来たのよ?」


それを見たその人は、動揺して問い返す。


「…たまたまそいつとお前がどこかに向かうのを見かけてな。


珍しい組み合わせだなと思って様子を見にきたんだよ。


そしたら案の定だ。


藤枝、その辺でそいつを解放してやってくんねぇかな?」


「な、何言って…。」


「あいつに関する話なら高橋よりも俺の方が出来ると思うぞ?


続きは俺が聞いてやるから高橋は解放してやれって言ってんの。」


「っ…わっ…分かったわよ。」


その人は、素直にそれに応じると、横にズレて道を開ける。


「高橋、お前はもう行け。」


それを確認すると、中川君はそう言って促してくる。


それに私は、返事も返さず急いでその場を離れた。


急ぎ足で下駄箱に向かうと、今来たばかりらしい佐藤君と鉢合わせた。


「あれ、高橋さん。


どうしたの?


そんなに慌てて。」


その声を聞いて思わずまた体が震える。


「高橋さん?」


そんな私の反応を見て、佐藤君は心配そうに声をかけてきてくれた。


やっぱり優しいなぁ。


そう感じても、今の私はその優しさを素直に受け止める事が出来なかった。


「ごめんなさい。」


返事の代わりに頭を下げる。


「え?」


言われて拍子抜けしたと言う表情。


「もう、私に話しかけないでください。」


そう言う声は自分でも驚くほど淡々としていた。


「え、ちょ、高橋さん!?」


持ちかけた上靴を再び下駄箱に突っ込み、無我夢中で走る。


その際に、頬から涙が伝った。


どうしてこんな事になったんだろう?


何がいけなかったんだろう?


私には何も分からない。


ただ友達を作っただけなのに。


最初にも触れたが中学生の頃の私は今と同じく地味で、恵美ちゃん以外の友達がいなかった。


対して彼女は気さくで誰とでもすぐに仲良くなれていて、だからそんな私が仲良くしてるのをよく思わない人もいて。


でも彼女はそう言う人達をどんどん突っぱねてまで私と友達でいてくれたのだ。


そのせいで恨まれたり喧嘩になる事だってあったのに。


私が居なければもっと友達が出来ていた筈なのに、と思った事もある。


そんな私が自分から友達を作るなんてやっぱり間違いだったのだろうか。


背後から佐藤君の呼び声が聞こえる。


それに応えず、ただひたすらに走った。


こんな事なら、友達なんて作らなければ良かった。


佐藤君とも出会わなければ良かった。


学校を出ると、もう声は聞こえなくなる。


聞こえなくなると、ペースを落としてとぼとぼと今朝通ったばかりの通学路を歩いた。


何も考えられない。


考えたくない。


今更もう戻れる訳もなく、結局そのまま家に帰る事にした。


早く帰って一人になりたい。


何も考えずに眠ってしまいたい。


そう思うと足は再び早く動き始めた。


家に着き、力なくドアを開ける。


「あら…?おかえり。


学校はどうしたの?」


ドアを開く音が聞こえたらしく、お母さんが顔を出して言う。


「ただい…ま。」


そう言う声は自分でも聞きとり辛いほどに掠れていた。


「どうしたの?」


そんな私を見てお母さんが心配そうに聞いてくるが、正直さっきまでの事を一から詳しく説明しようと言う気にはなれなかった。


「お母さん…ごめん、ちょっと一人になりたい。」


「そう。」


説明の代わりに言うと、お母さんはそれ以上何も言ってこなかった。


自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。



朝下駄箱に靴を入れていると、高橋と一緒に見知った顔が並んで外へ歩いて行くのが見えた。


「ん…?あいつは…?」


確か二組の藤枝。


春樹の元カノの友達だった筈だ。


一年の時は一緒のクラスだったし、よく春樹と元カノの三人でいるのも見てたから顔は知っている。


でもなんでまたそんな奴が高橋と?


他人の個人的なやり取りを覗き見るつもりはなくても、なんとなく嫌な予感がして後を付けてみた。


そしたら案の定、藤枝は高橋をシメていた、と言う訳で今に至るのだが。


「で?早速説明してもらおうか。


なんでお前は高橋をシメてたんだ?」


いくら校舎裏で人通りが少ないとは言え、たまたまでも他のやつが通りかかると面倒だし、何よりこんな事をするのが面倒だからさっさと終わらせたいのもあって単刀直入に問いかける。


「べ、別にそんなんじゃないわよ!


ただ警告しただけよ。」


それに藤枝は一瞬たじろいだが、そう言い返してくる。


「あぁ、そうか。


だったら尚更なんでそんな事をする必要があったのか聞きたいんだがな?」


「あ…あんたには関係ないでしょ!」


早く終わらせたかったのだが、どうやら一筋縄ではいかねぇらしい。


「本当にそう思ってるんならどうして素直に応じたんだよ?」


「っ…!」


それに分かりやすく動揺する。


やれやれ…あともう一押しか。


「良いから言えよ。


ここで見た事も聞いた事も別に誰にも言わねぇよ。」


「わ、分かったわよ。」


渋々応じ、少し沈思した後で藤枝はゆっくりと話し始める。


「あのさ…その…美波は、多分まだ佐藤の事が好きなんだと思うの。」


「…ほー。」


なんとなく察していた事ではある。


まぁ分かっていても本人の前では絶対に言うまいとは思っていたが。


「でも遠慮してる…と言うか、自分で気持ちを抑え付けてると言うか。


結構無理してる。」


それを聞いて考える。


そもそも、ただお互いがお互いを嫌いだから突き放し合ったって言うだけなんなら、こうも拗れてはなかった。


もしそうなら、別れてお互いに無視し合った地点で話は終わっていたからだ。


春樹が仲直りしようと言う気になったのだって少なくともあいつにとっては大事だと思う気持ちがあったからだし、一応話を聞く姿勢を見せた沢辺にも何処かで期待している部分があったからと考えるのが妥当だろう。


でも、ならただ単純に仲直りすれば良いだけと言う程単純な話しでもねぇ訳で。


「ふーん…なるほど、ね。


多分それはあいつも一緒だ。


無理してるかどうかまでは知らねぇけど自分の気持ちを否定して勘違いだって言い聞かせようとしてる。」


「そう…なんだ。


どうしたら良いんだろう…?」


そう呟く表情にさっきまでの敵意はなく、弱々しささえあった。


「俺達が言って気付かせるのは簡単なんだろうがな。


でもこれはあいつらがそれぞれ自分で気付くべき事だと思うぞ?」


「そう…だけど。」


お互いに好きだからこそ、お互いにお互いの為に遠慮し合ってる。


いや、結局は自分の為でもあるのか。


勘違いだったと思ってしまえば無理やりにでも忘れる為の理由になるからだ。


「下手に俺達が手を加えるより、見守ってた方が良いと思うがな。」


「それは…分かってるけど!


でも…見てて辛いのよ…。」


藤枝の気持ちは分かる。


一応俺も対象こそ違えど同じような立場に居る訳だから。


頭でどうするべきかを分かっていても心で納得出来ねぇんだ。


人間にはこんな風に、正しいか間違いかと言う概念関係なく納得出来ねぇ時がある。


何故なら人間には感情があるからだ。


もしも感情が正しいとか間違いの定義に対して常に比例しているもんなら、誰もが正しさと間違いの定義に基づいて行動するだろうし、犯罪だって起こらねぇだろう。


でも実際はそうじゃねぇ。


それに感情がねぇと、人間に個性なんてねぇんだ。


そのせいで間違い、失敗し、経験していくからこそ個性がある。


要するには、それによってどう感じるかなんだ。


正しいにしろ間違いにしろ、感じ方一つでそれが有用にも無駄にもなる。


つまり藤枝は、このまま無駄にされてしまうのが嫌なんじゃねぇだろか?


あいつが自分の大切な人を傷付けるだけ傷付けた癖にもう忘れて次に行こうとしているように見えたから。


こうする事が正しいとは思ってなくても感情が言う事を聞かなかったのだろう。


そう考えたらあいつが許せねぇのは…まぁ仕方ねぇか。


ただやっぱり、これだけは思うのだ。


「まぁでも高橋に当たるのは違うと思うがな。」


「…それは…。


悪かったわよ。」


一度悔しそうに唇を噛むと、やがて深いため息を一つ吐いてそう観念したようには弱々しく呟く。


ま、こんなもんだろう。


あとは今回の件で高橋がどうなるかだな。


一筋縄じゃいかなそうな感じではあったが、まぁ原因の一つは潰してやったんだ。


後はあいつがそもそもの原因なんだからあいつにやらせるとするかね。


「そんじゃぁな。」


一応声をかけてからその場を去ろうとする。


「え、あ…あぁ…うん。


迷惑かけたね…。」


「ま、それは俺に言う事じゃねぇと思うがな。」


「あ、うん…そう…だね。」


その返事を聞かず、俺はさっさとその場を離れた。



その日の昼休憩。


結局高橋さんが戻ってくる事はなく、そのまま学校を休んだ。


あの後、校門前まで追いかけたものの追い付けず。


時間を置いてメールをしてみたのだが、今まで待ってみても返事はなかった。


「高橋さん…何かあったのかな…?」


気になって正面で弁当を食べているヤスに聞いてみる。


「まぁ、無かったら休まねぇだろうがな。」


それにヤスは相変わらずめんどくさそうに答える。


「今朝さ、なんか明らかに様子がおかしかったんだよ。」


「へぇー。」


こっちは真面目に話してるつもりなのだが、また適当に返事をしてくる。


本当…興味無さそうだなぁ…。


「俺なんか嫌われる事したのかなー…?」


「そんなの俺が知るかよ。


お前が自分で聞け。」


このままじゃ埒が明かないと本題に入ったのだが、それもあっさり切り捨てられた。


「聞こうとしたけど。


追いかけても逃げられたし、メールも返事ないし、仕方ないじゃん。」


でもここで黙ってはいられず、こちらの言い分を告げる。


「仕方ないは言い訳だろうが。」


…告げたのだが、それも一瞬でバッサリと切り捨てられた。


「うっ…。」


「お前は結局そうやって言い訳を探してさっさと諦めちまうからいけねぇんだ。


たまには言い訳ばっかほざいてねぇで無理矢理にでも突っ走ってみろよな。」


ヤスらしいと言える乱暴な言い方だが、ぐうの音も出ないほどの正論だと思う。


でも、だ。


「簡単に言うなよな…。


じゃあどうすりゃ良いんだよ?」


「今すぐ高橋の所に行け。


そんで直接話を聞いてこい。」


「は!?いやいや!!


そんな無茶苦茶な!!


まだ昼からも授業あるし、実際行ったってまともに話を聞いてもらえるかどうかも分からないんだぞ!?」


「…また言い訳か?」


「っ…!?」


「失敗するのが怖い。


それで傷付くのはもっと怖い。


やる前からそんなに怖がってる暇があんならやれるだけの事を精一杯やってみろよ。


そんぐらいの事を自分からしようともしねぇで悪い状況を変えられると思うな。」


「っ…!」


言葉は厳しいけど実際その通りだ。


このまま高橋さんとまで気まずくなりたくない。


そうなれば高橋さんだって今後学校に来づらくなってしまう。


せっかく一緒に実行委員になれたのに。


友達にだってなれたのに。


これで終わりだなんて、そんなの駄目だろ…。


そこまで考えた所で、俺の意思は固まった。


「まぁ、もしそれでも駄目なら少しは励ましてやるよ。」


「少しかよ!」


「良いから行けよ。


橋本には俺が話を通しておいてやっから。」


「助かる!」


返事もそこそこに、そのまま大急ぎで荷物をまとめて教室を飛び出した。


「やれやれ…やっと行ったか。


上手くやれよ。」


「あ、やば…。」


そのまま走って学校を出ようとした時、運悪く橋本と鉢合わせてしまった。


「サボりか?」


「あー…えっと…。」


どうする…?なんて言って切り抜けよう。


必死に考えてみるも、何も浮かばない。


「…高橋の所に行くんだろ?」


それでもなんとか言い訳を考えていると、早々に図星を突かれた。


「…え?」


思わず拍子抜けする。


「と言うかそもそもお前、高橋の家が分かるのか?」


「あー…あんまり。」


実際一緒に帰った時も途中で別れたから正確な場所までは分からない。


「馬鹿かお前は…。」


呆れ顔でため息を吐かれた。


「うぐっ…。」


ぐうの音も出ない…。


「ま、そう言う無鉄砲さはある意味お前の長所なのかもな。」


そう言って苦笑い。


「それ、褒めてますか…?」


「…それより高橋の事だ。」


あ、話を反らしやがった。


「お前も察してると思うが、高橋が休んだのはどうも体調不良が原因と言う訳ではなさそうだ。


今朝普通に登校してる高橋を何人かが見ている。」


「それはまぁ…。


今朝俺も見たんで。」


「ふむ、だから様子を見に行こうとしていた訳か。」


「えっと…はい。」


「まぁ、高橋の事をお前に頼んだのは俺なんだ。


だから無理に引き留めるような事はせん。」


「は、はい。」


「あ、でも一応他の奴らとか先生には内緒な。


俺が許可したのバレたら色々とめんどくさいから。」


全くこの人は良い人なんだか悪い人なんだか…。


でもまぁ助かった。


「ほれ。」


一度わざとらしいぐらいため息を吐くと、橋本はポケットからメモを取り出して簡単な地図を書いてくれた。


「あ、ありがとうございます。」


「礼は良いからさっさと行け。


俺は止めんが他の奴らに見付かったら知らんぞ。」


そう言って邪魔な虫でも払うかのようにシッシッと手を上下に振ってくる。


「は、はい。」


それには納得いかないが、まぁ言ってる事は確かだ。


返事もそこそこに勢い良く学校を飛び出す。


そのまま校門を走り抜け、いつもの通学路まで出る。


…出たのは良いものの、目的地である高橋さんの家に行って彼女に何を言えば良いのかは未だに分からないまだだった。


言ってしまえばそれも言い訳なのだろうが。


どうすれば良いかは分からなくても、だからこのまま諦めて立ち止まると言う選択肢はもう無かった。


自分に鞭を打つように走り続けていると、高橋さんの家が見えてくる。


橋本に貰った地図を取り出して、それが間違いじゃないかを確認してからその家の前で足を止めた。


それは、閑静な住宅街の一角にある二階建ての一軒家。


表札の名前で改めて間違いないかを確認し、一度深呼吸してからチャイムを鳴らす。


「はーい。


あら?」


すると、あまり待たない内に高橋さんの母親らしき人が出て来た。


ふむ、髪は長いけど…なるほど、やっぱり顔とか雰囲気は高橋さんによく似てるな。


「静と同じ学校の人?どうしたの?学校は?」


って…今そんな事を考えてる場合じゃなかった…。


「あ、あの、高橋さん、どうしたんですか!?」


焦っていたからか、そう聞く声は幾分か大きくなってしまう。


「え?あぁ…。


実は帰ってからずっと部屋から出てこないの…。」


それに一瞬戸惑いながらも、高橋さんの母親はそう答えて階段の方に目を向けた。


「そう、ですか。」


やっぱり…何かあったんだ…。


「あの!良かったら話をさせてもらえませんか!?」


「うーん…。


そうは言ってもね…。


当の静が部屋から出て来ないから…。」


迷ってるようだった。


でもここまで来たら引き下がる訳にもいかない。


「部屋に行ってみても良いですか?」


なんとなくもう一押しな気がした。


だから多少強引にはなるがそうするべきだと思って提案してみる。


「……そうね。


お願いしようかしら。」


言いながら高橋さんの母親は微笑む。


「あ、ありがとうございます!」


「初めてなのよ?高校生になってからこうして静のお友達が家に来てくれるのは。


多分これは、その変化による物だろうなと思っていたから。


来てくれて本当に嬉しい。


ありがとう。」


「いえ、そんな…。」


自分が原因かもしれない手前、そんな風にお礼を言われた事を素直に喜べずに申し訳なく思えた。


だからこそ、今は精一杯出来る限りの事をしよう。


そう決意して、家に入れてもらった。


階段を上ると左右にそれぞれ一つずつの部屋があった。


高橋さんの母親が言うには、左側の部屋が高橋さんの部屋らしい。


「高橋さん!」


部屋の前に立ってから少し大きめな声で名前を呼ぶ。


「え…!?佐藤…君…?」


部屋のドア越しに声が返ってくる。


「え?なんで?学校は?」


突然俺が来た事に分かりやすく戸惑ってよるようだった。


「高橋さんこそ。」


「私は…。


もう、行きたくない。」


そう返す声はとても弱々しく、ドア越しで辛うじて聞こえるくらいのか細い声だった。


「実行委員になったのに?」


せっかく勇気を出してここに来たんだ。


その弱々しい声を聞いてそっとしておいてあげたい気持ちもあるが、目的を果たす為に少し強気でそう問いかける。


「もう出来ない。」


「あんなに勇気を出したのに?」


「でも…駄目だった。」


「そんな…駄目だったって…。


まだ何も終わってないじゃん?」


「終わったの!…もう…全部。


やっぱり…私にはこう言うのは似合わないんだよ…。」


「高橋さん…。」


一瞬過ったこの感じ。


あの日あいつにはっきり言えなかった言葉をとっさに口に出すのをやめて飲み込む。


あの時言えなかったからこそ、今軽々しくその一言を言ってしまう事があまりにも無責任な事のように思えたからだ。


「確かに、高橋さんのキャラとは違っていたのかもしれないね。」


だから言葉を変えて切り出すも、返事はない。


「でもそれが自分のキャラじゃないなんて、自分でも最初から分かってた事だよね?


それでも自分を変える為に勇気を出して飛び込んだんでしょ?


ならその勇気は無駄なんかじゃないと思うけど。」


「でも…駄目だったんだよ。


私は、本来友達なんて作っちゃいけなかったの。」


そう呟く声はとても寂しそうだった。


「そんな!友達を作っちゃいけない人なんて居ないよ!」


流石にこれは言い返さずにはいられなかった。


だってそんなの悲し過ぎるじゃないか。


「どうしてそう言い切れるの!?


何も知らないのに…無責任な事言わないで!」


そしてそんな思いから言った言葉に対して、高橋さんがそう叫ぶ声は普段の雰囲気からは想像出来ない程荒く、一瞬気圧される。


実際確かにそうだ。


俺が言ってる事には根拠も説得力も全くない。


だから結局ただの無責任な綺麗事でしかない。


でもならどうしたら良いんだろう?


思いってどうやって相手に伝えるんだろう?


口で言うだけだったら無責任だとしても簡単に言えてしまうのに、真っ直ぐに思いを伝えると言うのはどうしてこんなにも難しいのだろう?


「根拠は無い。」


「ほら。」


「でもさ、俺は高橋さんと友達になれて良かったと思ってるよ。


それは本当だし、言った事に責任を持てる。」


返事は無い。


勿論これだって俺が勝手に言ってるだけで信憑性がないと言えばそれまでだ。


でも根拠とか信憑性がなくてもきちんと自分の気持ちを伝える事が大事だと思ったのだ。


「だから今日ここに来た。」


そこまで言い終えると、中から泣き声が聞こえてくる。


それを聞いて流石に心苦くしなってきた。


「ごめん高橋さん。


最後にこれだけは聞かせてくれないかな?」


やっぱり返事は無い。


でもこれを聞かずにそのまま帰るなんてやっぱり出来なかった。


「高橋さんは本当に俺と友達でいるの嫌?」


しばしの沈黙。


迷っているのだろう。


落ち着いて待ってみる。


「私だって…。」


「うん。」


「本当は佐藤君と友達でいたい!


このままずっと一人なんて…嫌だ!」


鼻声でそう叫ぶ高橋さん。


「うん、それで良いんだよ。」


ようやく高橋さんの本心が聞けて安堵する。


「でもそれは…。」


「ちゃんと話して。


ちゃんと聞くから。」


「…うん。」


「そんな事言われたんだ…。」


ドアを挟んで、お互いに背中合わせで座る。


勿論ここからドアの向こうは見えないけど、音と気配から考えるにそうなんだろうなと思う。


鼻声が落ち着いてから、高橋さんはこうなった経緯を自分の言葉でゆっくりと説明してくれた。


今朝、違うクラスの女子に呼び出された事。


その女子に、迷惑する人がいるから俺と一緒に帰るのはやめろと言われた事。


そしてそこでヤスが助けてくれたから逃げて来た事。


「迷惑する人がいる…か。」


それって結局どう言う意味なんだろう?


どう迷惑してるのか。


え、それともまさか?


もしかしてやっぱりそう言う事なのか…?


一瞬あいつの顔が浮かんで消える。


いや、違う。


そんな筈ない。


「佐藤君…?」


「あ、ごめん。」


もう終わった事だ。


なんで期待してるんだろう?


そんな筈ないのに。


いや、実際はそうであってほしくないと言うのもある。


あいつは、確かに嫉妬はするけどそんな事をするような奴じゃない。


…するような奴じゃない?


自分で考えておいて、そう考えた事にまず驚く。


たった一年の付き合いで何が分かるのだろう?


何も分からないからこうも悩んでいると言うのに。


「佐藤君…?」


「ご、ごめん。」


「ふふふ…さっきからそればっかり。」


今日初めて笑ってくれた。


「申し訳ない…。」


「ううん、私の方こそごめんなさい。


それと今日は来てくれてありがとう。」


「うん、明日からはちゃんと来てね。」


「うん、また明日。」


とりあえずその言葉が聞けて安堵する。


現時点で出来る事は出来たし、後は明日の朝まで信じて待っておこう。


「それじゃ。」


「うん。」


一声かけてから立ち上がり、階段を降りる。


「静、どうだった?」


するとその音が聞こえたのか高橋さんの母親が奥から出てきて心配そうに聞いてくる。


「あ、はい。


明日は行くって言ってくれました。」


「そう、良かった。


本当にありがとう。」


そう言う顔はとても嬉しそうで、その笑顔はやっぱり高橋さんによく似ていた。


軽く挨拶をしてから家を出て歩き出すまでの間も何度もお礼を言って見送ってくれる。


そこから少し歩いて高橋さんの母親の顔が見えなくなると、思わず深いため息を吐く。


やっぱり、まだちっとも忘れられていない。


記憶と言うのは、ただ考えないようにするだけで忘れられる物じゃないみたいだ。


ふとした瞬間に甦る。


一度そうなると止まらない。


どんどん溢れだして抑えられなくなる。


そんな風に思い通りに動かないこの気持ちを見ていると、そんな自分が誰なのかですら分からなくなる。



いつもの通学路まで歩いた頃には、辺りはすっかり夕焼け空に変わっていた。


「結局一日サボっちゃったなぁ…。」


そう呟き、空を見上げ

ながらそのまま歩いていると見知った顔と出くわした。


「よっ、不良。」


さも当然のように軽く手を上げてそう言って来るのはヤス。


「こいつは…。」


お前が行けって言ったんだろうが…とツッコミを入れたくなったが堪える。


実際こいつに背中を押し出されてなかったら、今こうして高橋さんと仲直り出来てなかった訳だし…。


「ヤス、お前全部知ってたんだな。」


ひとまず一番の不満をヤスにぶつける。


「まぁな。」


するとヤスは清々しいくらいあっさりとそれを認めた。


「なんだよー。


言ってくれよな!」


そう言ってぼやくと、ヤスはため息を吐く。


「これはお前ら二人の問題だろ?」


「うっ…まぁ…そうだけど。」


「だから俺が言ってから気付くんじゃ意味ねぇだろうが。


お互いが自分で気付いて考えねぇとな。」


返す言葉も無い…。


「本当よく考えてらっしゃる…。」


「誰のせいだと思ってんだ。」


「恐れ入りまーす…。」


「それで?どうなったんだよ。」


「高橋さん、俺と友達でいたいって言ってくれた。


明日は学校来るってさ。」


「そうか。


良かったじゃねぇか。」


「なぁ、ヤス。


俺と関わってる人を見て迷惑してる人がいるってどう言う意味なんだろうな…?」


とりあえず、高橋さんとの話の中で一番気になっていた疑問をヤスに相談してみる事にする。


「まぁ、聞いたままの意味だろ。」


「そう…だよな。


俺さ、そう言われて一番にあいつの事を思い浮かべた。」


「…へぇ。」


「でも…あいつとは別れてるからもう話だってしてないし…何より嫌われてるってもう分かってるから…さ。」


「ならなんでそいつの事が一番に浮かんだんだろうな?」


言われて考える。


するとすぐに思い当たる事柄が見つかった。


「付き合ってた時にさ。


一回藤枝さんと二人で内緒話をしたせいで拗ねられた事があったんだ。」


「へぇ…。」


「喧嘩にはならなかったけど…。


その時は機嫌を直すのが大変だった。」


「それならそんな事する訳ねぇとも言えねぇだろ。」


「いや…確かにそう言うとこあったけどさ!


でもあいつはそんな事…。」


俺のそんな態度を見て、ヤスは深いため息を吐いた。


「お前だって、そいつの事ちゃんと分かってんじゃねぇか。」


「っ……!?」


「たった一年じゃ知らねぇ事の方が多いんだろうがな。


でも、その一年間ずっと見てきて知れた事も一杯あったんじゃねぇの?」


「でも…それは…。」


「別に相手の事を全部知ってなきゃ付き合っちゃいけねぇって訳でもねぇだろうが。」


「分かってるよ。


分かってるけど…。」


「なら…。」


「でもこれはそうじゃない。


そうであっちゃ駄目なんだよ…。」


「そう…か。」


これは好きなんかじゃない。


本当に好きだったんなら、もっと大事に出来た筈だから。


これはただの勘違い。


そうに決まってる。



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