最初の熱

穏やかな気候に恵まれて、

手袋をせずに外に出る。

マフラーは手放すことができなかった。


波流「行ってきまーす!」


お母さん「いってらっしゃい。」


快活な声を飛ばすと、

お母さんはそれに当たり前のように

返事をしてくれた。

外はやけに澄んでいて、

これが夏になるとじっとりとした

ものになるとは考えられなかった。


年末年始は家族と共に

おばあちゃんとおじいちゃんの

住む家に帰省した。

従姉妹家族も集まり、

皆でどんちゃん騒ぎしたのはよかったけれど、

どうしても気が疲れていた。

ずっと誰かといることには

慣れているはずだったのに、

最近1人でいることも

程々に多くなったからか、それが苦しかった。

昨日、漸く家に帰ってきては

自室でうんと背を伸ばした。


そしてやってきた今日。

本当は家の中でじっとしていたかったけれど、

1人でもう1度初詣に行こうと思い

電車に揺られることを選ぶ。

昼間だったからか電車は

思っている以上にがらがらで、

簡単に端の席を取ることができた。

ふう、と息をついた時、

音を立てて電車の扉が閉まる。

ああ、1人だと実感する。

向かう場所は、近くのお寺。

美月ちゃんの住む空間、

通い慣れた場所だった。

もちろん、目的は初詣以外にもある。


それは、美月ちゃんの「食事」。

私たちは、夏前にあった出来事以降

今も尚血によって関係を持っている。

例に漏れず、今も鞄の中には

ペン型のカッターが入っていた。


波流「…あ。」


お土産を買っていたのに、

持ってくるのを忘れてしまった。

別に日持ちするものだから

急ぎはしないのだけど、

せっかくなら今日渡したかったな。

流れる景色を瞳に映しながら、

足元から吐き出される暖かい空気に

身を預けながら数十分。

気がつけば彼女の住む家の

最寄り駅にまで辿り着いていた。


適当にふらふらと歩き、道を行く。

何となく久しぶりな気がすると思ったが

それもそのはず、

前回と前々回は美月ちゃんが

私の家まで来てくれたのだった。

家の準備で忙しいはずなのに、

時間の合間を縫って

足を運んでくれたのだ。

私の方が時間には余裕があったのに、

つい2、3週間前に

私がコロナに罹ったことを考慮してくれた。


コロナになっている間、

もちろん会うことなんてできなかった。

普段は4、5日おきに食事をしているが、

その時ばかりは6、7日空いた。

流石の美月ちゃんも苦しそうで、

その日ばかりは多めに血を流し、

ティッシュに含ませて渡した。

瞳を潤ませながら、

「辛いところごめんなさい」って

言っていた姿を思い出す。

辛いのは美月ちゃんのはずなのに。


波流「…。」


ここ1か月のことを

思い出しながら歩いていると、

梨菜との思い出が一切ないことに気づく。

今までこんなことがあっただろうか。

どこにいくにも何をするにも

梨菜しかいなかった私なのに。


信号が赤になったので立ち止まる。

ある交差点に差し掛かっていた。

そういえば、花奏ちゃんが事故に遭ったのって

この辺りだったっけ。

今はもう元気になって

普段通り生活できているらしい。

本当によかったと思う。


花奏ちゃんの家に寄って

様子を見ることだってしたかったけれど、

それが実行できるほどの状態では

なさそうだなと感じる。

いろいろ考えなくてもよかったなら

顔を出していたり、少し話し込んだり

していたのだろうか。

花奏ちゃんとは最近では距離を感じていた。

特に仲が悪くなったとか喧嘩をしたとか

そういうことではないのだけど、

少し遠い存在に感じていた。

退院パーティーの時に、

それを強く感じた覚えがある。

ぱっと見いつも通り、これまで通りだけど

時折透明になって消えてしまいそうな

儚さが彼女の周りを包んでた。

そんなの思い込みかもしれない。

うん、そうかもしれない。


そうこうしているうちに、

お寺の前へとついていた。

正面には、昼間だからか初詣に来る人も多く

おばあちゃんから子供まで

色々な人が足を運んでいた。

おみくじやお守りを売っている巫女さんは

今日も慌ただしく動いている。


いつもは正面から入れてもらうのだが、

今日ばかりはそうともいかない。

お賽銭箱があったり屋台があったり

流石に入れるような様子ではなかった。

美月ちゃんに連絡をすると、

お寺の裏側から入ってくるよう伝えられた。


簡単に初詣を済ませて、

そっとお寺の横から裏手へと回った。


「こっち、こっち。」


声がする。

あ、そうそう。

こんな声だったなんて

心の中でにやにやする。

ぱっと声のする方を振り返ると、

そこには綺麗な姿勢で立つ美月ちゃんがいた。


美月「波流。」


波流「わ、美月ちゃん!」


美月ちゃんは和服を身につけていた。

髪は右に寄せ、丁寧に三つ編みにされてある。

その綺麗な姿に思わず見惚れてしまった。


美月「あけましておめでとう。」


波流「あ、うん。明けましておめでとう!今年もよろしくね。」


美月「えぇ、こちらこそよろしくね。」


波流「綺麗だね。」


美月「あぁ、門にあった門松かしら。」


波流「いやいや、美月ちゃんのこと。」


美月「え?…ふふ、ありがとう。」


控えめに笑って静かに1回転する姿は

まるで人魚のようだった。

いつもはワンピースやスカートを

来ているイメージだったけれど、

和服もとても似合うんだなって感心した。

それこそ、雛人形みたいだった。


美月「こんな新年早々に、ごめんなさいね。」


波流「いーのいーの、任せて、暇だから。」


美月「そう?ならよかったのだけれど。」


波流「むしろ、美月ちゃんに会いたくて仕方なかったくらい。」


美月「口説かなくったっていいから。」


波流「えへへ、はーい。」


自然と笑顔になれたと思う。

美月ちゃんも小さく笑って、

自分の部屋へと案内してくれた。

私は食事が終わればそれでよかったのだし

外で大丈夫だと言ったのだけど、

人に見られるリスクを回避したいらしく

そのまま家に上がった。


いつもの廊下も、

今日ばかりは賑やかに

彩られているのではないかとすら

勘違いしてしまう。

けれど、流石に表立って見えない部分は

いつもと同じだった。

強いて言うなら、

お手伝いさんがせかせかとしているくらい。


波流「そういえば美月ちゃん、今は休憩なの?」


美月「ええ、そんなところよ。」


波流「やっぱり年末年始って大変?」


美月「やることが多いから、段違いにね。あとお盆あたりもそうね。」


波流「そっかぁ。」


美月「でも、1番大変なのは弟たちだと思うわ。」


波流「後継ってこと?」


美月「そう。将来、自分のやりたいことを選べるかどうか。…ほぼ無理かもしれない…わね。」


波流「普通は長男だっけ。」


美月「普通はね。あとは時代や家次第でしょうね。」


波流「凄いお家だなぁ。」


美月「ただの人間よ。しきたりに厳しいだけで。」


そのひと言を放った後、

唐突にくるりと振り返った。

私も慌てて足を止めようとしたけれど、

割とぴったり後ろにくっついて

歩いていたもので、

思わずぶつかってしまう。

刹那、冷えた私の手が

美月ちゃんの首に触れてしまった。

一瞬温度がわからなかったけれど、

肌から離れて数秒、

後になって暖かかったんだと知る。


美月ちゃんは、目を細めて

小さく言っていた。


美月「まあ、私は違うけれどね。」


そして、屈託もなく笑う。

あ。

あ、と思った。

多分、この笑顔は後悔のないものだ。

こんな結果になったけれど、

それでもまあ、よかったかなという

妥協のようにも見えた。


さ、こっちと言って再度私を誘導する。

その背中は私よりも小さい。


実際、あの夏前に全て解決していたなら

私たちは今でもこんな頻繁に

会うことはなかっただろう。

こんなに心を寄せることは

できていただろうか。


波流「美月ちゃん。」


美月「何かしら。」


今度は、振り返ってくれなかった。

なんだか、トンネルから出る時の

梨菜の姿と重なる。


波流「ありがとう。」


美月「ふふ、何よ急に。」


波流「伝えておかなきゃいけない気がして。」


美月「どういたしまして。私の方こそお礼を言わなきゃいけないわ。ありがとう、波流。」


春には全部忘れてと、

夏にはお互い様と、

秋には大丈夫と言ってくれたあなたは、

冬にありがとうをくれたのだ。

少しだけ小走りをし、

美月ちゃんの隣へと位置する。

やっぱり私よりも背が低い。

けど私よりも自信があって堂々としている。


波流「どーいたしまして!」


悩み事は尽きないけれど、

今の距離感も悪くないのかもしれない。

ひとつに依存するのではなく、

依存先を増やしてひとつに対する負荷を

減らすのもよかったのかもしれない。

それがある意味自立する

ということなのかもしれない。


晴れた冬の日は

なんとも言い難いほどに心地よかった。

それにやっと気づいた。

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