霧の朝
PROJECT:DATE 公式
最後の宵
梨菜「…。」
普段、やらないことをやってみる。
スマホをいじる時、
いつもは親指を使うけれど
今日は人差し指を使ってみる。
普段、生肉の大パックなんて買わないけど
家には1人しかいないのに買ってみる。
年越しそば、1人しかないのに
2人分買ってみる。
あ、最後だけはいつもと一緒か。
2つ買うのは、いつもと一緒。
梨菜「お腹すいたー。」
ふんわりと声を出してみる。
少し、甘えた声を出してみる。
けれど、この家は呼吸を
やめてしまったみたいに
音ひとつ返してくれなかった。
1人になって、随分と時間が経った、と思う。
実際、半年は経っただろうか。
気づけば2022年も終わろうとしていた。
食卓の上には未だに
クリスマスプレゼントを包んだ袋が
置きっぱなしになっている。
今年、星李のために用意したのだが、
もちろんそのまま開けられることはない。
星李のいつも座っていた椅子には
色のくすんだうさぎのぬいぐるみが
ちょこんと置いてある。
私はいつも、それに声をかけていた。
「星李、おはよう。」
「星李、行ってきます。」
「星李、ただいま。」
「星李、おやすみなさい。」
って。
梨菜「…。」
息を吸う。
埃っぽい匂いがした。
1人での生活には随分と慣れてきた。
やっと洗濯は2、3日おきにするようになり
ご飯も出来合いのものを買う時が多いけれど
ちゃんと食べるようになった。
唯一、掃除ばかりはなかなか
定期的にする気にはなれなかった。
1ヶ月から2ヶ月に1回くらいだろう。
足に髪の毛の塊がくっつくようになって
漸く掃除機を取り出した。
昨日掃除をし終え、
年を越す準備はできていた。
表向きは、世間の当たり前と
されていることはちゃんとした。
星李だったら、そうするから。
今年は星李と過ごそうと決めた。
もし、波流ちゃんとの仲が
悪くなっていなければ、
彼女と過ごしていたんだろう、と思う。
梨菜「…波流ちゃん。」
うわ言のように呟く。
長いこと彼女とは話していなかった。
少なくとも1ヶ月は話していない気がする。
ああ、いや、花奏ちゃんの
お見舞いに行く時に少しは会話したっけ。
でも、それは11月末だったはず。
やっぱり1ヶ月は話してないかもしれない。
あ、花奏ちゃんの退院パーティーの時も
少し話したかもしれない。
けど、露骨に避けられているのは
流石の私でも分かった。
波流ちゃんとは、
ざっくりといえば仲違いを起こした。
自分探しと称して秋口に
トンネルに向かった時、
星李はもう死んでいると
突きつけてきたのだ。
私は、私、私も多分、分かってた。
でも、ずっといると信じてきた。
私には、星李がいればそれでよかったから。
それを知った上で、
彼女は現実を突きつけた。
YouTubeの動画を再生したまま
放置していると、
ぽろろん、ぽろ、と
拙く繊細で、美しいピアノの音が漏れ出した。
まるでクリスマスの夜の最後の一瞬、
将又2022年の23時59分の
静けさのような音だった。
何かが欠け、無くなることを
憂うような音だった。
梨菜「はぁーあ。」
秋も終わり冬へ向かう頃。
花奏ちゃんが自殺した。
自殺して、それをなかったことにして、
そしたらまた、自殺した。
私にだって心はある。
何度も見る中で辛いと思うことも多々あった。
それでも、私が頑張らなきゃ
花奏ちゃんがいなくなるから、
それは嫌で頑張っていた。
けど、邪魔者扱いされたのは私だった。
私はただ、大切な人を救う機会を
無駄にしたくなかっただけなのに。
星李の時のように、
何もできないままじゃ嫌だったから。
私は私の目的のために。
花奏ちゃんは、花奏ちゃんの目的のために。
結局、花奏ちゃんは何があったのか
普通の顔をして退院していた。
死にたいと完全に
思わなくなったわけでは無いと思う。
あれだけ自殺を繰り返していた彼女だもの。
現に前にあった時も
目には虚な11月が霞んでた。
けど、一旦は心が軽くなったらしい。
儚く微笑む彼女の姿が浮かぶ。
そして、その隣で支えるように気遣い、
話しかけては適当に返事もする
歩ちゃんの姿があった。
それを見て、なんだか漠然と
「いいな」と、思ったんだっけ。
梨菜「…。」
私、間違ったことなんてしていない。
あるとしたら、何。
教えて。
私、星李が大切なの。
大好きなの。
唯一の家族で、ずっと一緒に
支え合って生きていた。
そんな家族が突然いなくなった。
星李の幻影を見続けた。
そこにいるって、思いたかった。
それの何がいけなかったんだろう。
私、花奏ちゃんがいなくなるのは嫌だった。
星李ほど大切な人ではない。
ただ、友達だった。
だけど、いなくなってほしいなんて
思ったことなかった。
だから、生きてほしくて巻き戻した。
対象が花奏ちゃんじゃなくとも、
美月ちゃんでも麗香ちゃんでも
波流ちゃんだったとしても
私は巻き戻していたと思う。
助けられるなら、って。
それの何がいけなかったんだろう。
確実に花奏ちゃんや歩ちゃんとの
溝は大きくなっていった。
梨菜「…………た…ぃ…。」
あぁ。
この数ヶ月、ずっと1人だなって
感じ続けていたけれど、
たった今、それを1番感じてる。
1人だなって。
誰か1人、星李が、横にいれば。
梨菜「ゃ…めたい…。」
花奏ちゃんは、こんな気持ちだったのかな。
あの事件は、私達には大きすぎた。
大きすぎた、なぁ。
…いろいろ。
…。
全部。
全部、大きすぎた。
非日常すぎたんだ。
梨菜「…。」
星李のところに行きたい。
会いたい。
れいちゃんでもいい。
星李の面影を、何かひとつでいい、
感じていたかった。
星李に会えるなら、なんだってしたい。
あぁ。
星李に、会いたい。
梨菜「…。」
ついさっき消したテレビをつけると、
何やら賑わっている様子が映り出されている。
それを見て漸く、
年が明けたことを知ったのだった。
私の知らない明日が
ひたすらに迫り続けていた。
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